廃車が進む新鶴見のEF65の中でも更新色最後の2機として末期の活躍を続けていた2060,2063と、2139から間を開けて再び特急色塗装で出場した2065の3機が月曜日、大宮へ廃車入場しました。


前日ファンフェスタに行きそのまま夜勤だったので、さすがに眠気に負けそうになりつつ、牽引機がいつの間にか所定EF210に変わっているにも関わらずなんとPFを当てて4重単にすると聞いていたので、いつぞやはハンネにPFを入れるほど好きだった僕が無視する訳にもいかないと意気込み出かけてまいりました。(前置きが長い)


【EF65 2066+EF65 2065+EF65 2063+EF65 2060/北朝霞〜西浦和】
牽引機も番号の近い2066が充当、4機とも向きが揃っていたりとかなり"分かっている"組成。
迫力あるPFの行進が見られました。
Canon EF70-200mm F2.8L IS II USM

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高機で一休みする在りし日の2065。

2065牽引の3075レが武蔵小杉のビル群を背に西を目指しはじめた。


2066が出場するまでのしばらく、時期に増えたこの特急色にスノープラウの形態を誇るのは2065だけで、特徴的な運用に入るごとに話題になってた。

午後の大宮駅に姿を現した遅れていた3083レの2060。
このあとのはる3083からPFとコキ50000が同時に消えて、どちらも末期なんだなあと実感した改正だった。

5079レをまっている間に来た3071レ。
初めての大宮バルブ、この頃は撮り鉄初心者すぎて立ち位置も分からず、望遠でハイビームに負けてる汗

一時期流行った白Hふう(呼ばれてただけ)になった中に2060もいた。

つづいて2063だけど…

カメラをEOD 80Dに変えてテスト撮影をした日の3091レ。
列番が3091に変わってから初めてした大宮バルブだった気がするけど、時期が時期なおかげで暗くはなってなかった。
それでも写真に写っているほどは明るくなく、今の機材と違って三脚を立てないと撮影出来ないくらいだったのが懐かしい。

30周年ヘッドマークの東浦和バルブ。
この頃は定期のPF貨物でも東浦和に止まるものが数本あったんだなあ。

問題は2063これくらいしか撮っていないというか、PFより東上線になった時期、検査で白文字になってきた時期と重なり、白文字の更新色に興味がわかず撮影していなかった。
ということで、少し懐かしめの画像から選んで更新色を。

北斗星を待っていた朝にきた3070レを牽引する2081。

上の2060の3071と同じ日、5079を撮影したあと帰りのバスの時間までのんびりしていた時にきた単機の2084。
この頃はまだ2084と2096にクーラーが搭載されていませんでしたね。


興味なかった白文字…とはいっても一部例外、この頃検明け2日目が土曜73レのルーティンがあって、ピカピカのPFを拝むことが出来ました。
とくに2117は撮り鉄始めた頃には既に故障からの疎開休車で撮影出来ていなかったのもあって、白文字でも撮れてよかった。

大宮操車場で発車の時を待つ2機のPF。 
2機のパンタが並び、ハートパンタになっていてお気に入りのカット。

京都駅を通過する2138率いる5087レ。
鉄を始めた時期には既に2139が黒磯訓練機になっていた為、更新色で走る姿を見たPFの中では最老番に。 

西武甲種に2089、配給には2060が入り新秋津で並んだ時。
デカパン三兄弟は鉄を始めるほんの数ヶ月前に、2119,2121もこの春先廃車になって、2139はまだ黒磯の時期で、特急色は一機もいなかった頃、貨物PFが走るイコール更新色で寒い時期だった。
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何だかんだ貨物更新色の消滅はPF引退への1つの節目という所、更新色のまま落ちていった釜たちの活躍に感謝を。
運良く特急色になり生き延びている釜たちに、最後の活躍の無事を祈りつつ。


今回は以上です。