先日、大阪メトロ中央線の主力であった20系電車が来春、 “卒業” することが決まったとお伝えしました。

工事の遅れなど問題が山積して大阪府、大阪市、国との間で責任の擦り付け合いをしている大阪・関西万博のアクセスとして期待される大阪メトロ中央線は1985年に長田まで開業、その翌年には近鉄東大阪線の生駒-長田間が開業し、ここで中央線との相互直通運転が開始されました。その相互直通運転に際して近鉄が用意した車両が7000系になります。

 

 

乗り入れ先に合わせたため、大手私鉄初の第三軌条方式による電車は当時の通商産業省の「グッドデザイン商品」に選定されたほか、鉄道友の会から「ローレル賞」を受賞しています。

 

元々、近鉄東大阪線は1977年に近鉄出資の東大阪生駒電鉄として設立し、京都・大阪・奈良の3府県にまたがる丘陵地帯を「関西文化学術研究都市(学研都市)」として開発する際にそのアクセスとして計画された路線でした。時同じくして近鉄奈良線の混雑が激しさを増していたことから、「早急に整備をして奈良線のフォロワーとして活用すべき」という声が高まり、事業を本格化。1986年に出資元の近鉄が東大阪生駒電鉄を吸収し、「近鉄東大阪線」として運用することを決めました。

しばらくは生駒-長田間のみの運転で、列車はそのまま中央線に乗り入れて当時の終点である大阪港まで行っていましたが、生駒から先の延伸計画が本格化し、新たな第三セクター「奈良生駒高速鉄道」を設立しました。

用地買収の難航や乗務員の習熟に時間を要するなどの問題を経て、2006年に生駒-学研奈良登美ヶ丘間が開業し、「けいはんな線」と命名されましたが、運用は近鉄東大阪線と一本化されており、東大阪線自体もけいはんな線の一部となりました。

 

7000系は試作車両が1984年に登場し、東大阪線の開業に合わせて量産されました。けいはんな線の開業時に増備されて、この車両は7020系と称します。

とは言うものの、試作車両が出来てから39年、量産車が出来てから37年が経っているので、「万博も迫っていることだし、そろそろ置き換えては・・?」という声も聞かれるようです。そういう意味では東京のりんかい線70-000系と同じような「そろそろ世代交代を・・」現象が阪奈でも起きているわけですが、大阪メトロ中央線の車両は世代交代が加速しているのに、近鉄はどう動くのか注目されますし、また近鉄にとって大阪・関西万博はそもそも興味あるのかどうかも聞いてみたいです。