画像は、大分県玖珠町の豊後森駅であります。
この豊後森駅は、玖珠町の玄関口でありますとともに、久大線の中核駅でもありまして、運行本数自体は日田~豊後森間が久大線の中では最も本数が少ない区間ではありますが、この駅から大分方面へは徐々に本数も多くなって行く事になるなど、この駅自体が中核駅と言う事で特急列車も全列車が停車する駅でもあります。
また、かつてはこの豊後森駅から1駅先の恵良駅より「宮原線」と呼ばれます路線が存在しておりまして、豊後森駅より旧肥後小国間で運行されておりました。しかし、その宮原線も昭和59年に廃止されておりまして、大分交通グループの玖珠観光バスが代行バスを走らせております。
さらには、その宮原線が存在していた事や、由布院寄りにあります「水分峠」の存在もありまして、現在も保存されております扇形庫の豊後森機関区が存在しておりましたので駅構内も広く、扇形庫とともに複数の留置線も存在していたのがかつての豊後森駅でもありました。
さて、以下のホーム上にありますモニュメントにもありますように、この玖珠町は「童話の里」とも呼ばれる町であります。この由来は、口演童話家でもありました久留島武彦氏の出生の地とされておりまして、そう言った事からに玖珠町が「童話の里」と呼ばれるようになりました。
そのため、玖珠町最大のお祭りでもあります「日本童話祭」と呼ばれますお祭りが、毎年国民の祝日にあたります5月5日に開催されておりまして、今年も多くの来場者でにぎわったそうであります。
そんな「日本童話祭」に向けて、かつてはそれら来客輸送としまして、「童話号」・「メルヘンフェスティバル号」と呼ばれる臨時列車がそれぞれ運行されておりました。今回は、過去の時刻表において記されておりました両列車をご紹介したいと思います。
「童話号」・「メルヘンフェスティバル号」は以下のように運行されておりまして、「童話号」が別府駅発着、「メルヘンフェスティバル号」は博多駅発着で・・・
「童話号」 別府~大分~由布院~豊後森
「メルヘンフェスティバル号」 博多~久留米~日田~由布院
と、以上のルートで運行されておりました。尚、かつて1970年代は「童話号」は「おとぎ号」と言う愛称で運行されてもいまして、「童話号」と同区間でも運行されておりました。
でそれぞれ運行されておりました。
以下画像が、平成元年の時刻表に掲載されておりましたこれらの時刻でありますが、この頃久大線では優等列車としまして急行「由布」が運行されておりましたが、本数もわずか3往復と少なく、また高速道路網も工事の段階であった事から(当時平成元年5月の段階で大分自動車道は鳥栖JCT~朝倉ICまでしか開通しておらず)、その補完としましてこれら臨時列車が博多・別府・大分発着にて運行されておりました。
上の画像の時刻表を見ましてもわかりますが、「童話号」は各駅停車で運行されていたのに対しまして、「メルヘンフェスティバル号」は快速列車で運行されていた事がわかります。中でも、「メルヘンフェスティバル号」は当時の従来の快速列車停車地となっておりましたので、この「メルヘンフェスティバル号」の停車地の中には南福岡駅も含まれておりました。
私自身、これらの列車に関してはこの時刻表が掲載されていた当時私が中学生でありました平成元年から気になっておりましたが、今回改めて昔の時刻表を見てみまして、そしてネットでさらに調べてみましてこう言った列車であった事がわかったほどでした。
今回は「日本童話祭」に運行されていました、「童話号」・「メルヘンフェスティバル号」に関しましてご紹介しましたが、これら臨時列車は、その後も平成初頭までは運行されておりましたが、現在は優等列車も最後の画像にあります特急「ゆふ」及び特急「ゆふいんの森」と合計6往復運行されておりますし、交通網に関しましても大分自動車道が全通しておりますので、それを考えますとこれら臨時列車の存在も必要性はなくなったのかなと思ってならない所もありましょうか。ご覧の皆様もこういった臨時列車がかつて運行されていた事を覚えていただければと思っております。
(注)キハ58系気動車・12系客車に関しましては資料画像です。したがって他の路線で使用されていた頃の画像を掲載しております。