大宮鉄博(その2)旧型電機 | 北へ南へ東へ西へ

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yahooブログの終了に伴い引越して来ました。
ほぼ鉄道写真専用のブログです。懐かしい写真から現在の写真まで投稿しています。

暫く投稿が開きましたが11/6に大宮の鉄道博物館へ行った続きです。

入口を入って突き当り右手には現役で活躍した多くの車両が展示してあった。

中には見た事もない車両もあり興味深々で見学した。

今更だけど新たにEF58 61を展示したのだからEF58 89は青い姿に戻して欲しかった。

茶色のゴハチを2両より1両は青いゴハチを見たかった。

今となっては動かせそうもないので無理なのかな

 

先ずはパックから

 

EF58 89号機は昭和31年8月3日に東海道本線全線電化開業用として日立製作所水戸工場で製造され、東京機関区に配属さた。しかし同月29日に宮原機関区に配置となり、東海道本線全線電化の昭和31年11月19日を迎えた。そしてその当日、鷹取工場で極秘に「青大将色」と呼ばれた塗色に変更され、記念すべき上り<つばめ>の初列車を牽引した栄光の機関車です。

 

 

ムーミンの愛称で親しまれたEF55 1

ムーミンことEF55は1936年に日立製作所、日本車輌製造・東洋電機、川崎車輛で1両ずつ、計3両が製造された。

製造当初は沼津機関区に配置され、東海道本線の特急用として「つばめ」「富士」の牽引を中心に、運用の都合それ以外の旅客列車や小荷物列車の牽引にも使用された。しかし、最高速度95km/h程度では流線形による空気抵抗低減の効果が出ないことや、終端駅では電気機関車であるにもかかわらず転車台で方向転換をしなければならないことなど手間がかかるのでわずか3両で製造を打ち切られた。

 

ED17 1

ED17は1923年から1925年にかけてイギリスから輸入された電気機関車を改造して誕生した。

中央東線では、勾配線区であることから客貨両用として使用されたがF型電気の投入で身延線や飯田線転属して使われていた。

 

 

ED40 10

ED40形は信越本線のアプト式区間である横川~軽井沢間の碓氷峠用の電気機関車で、1919年から1923年までに計14両が製造された。国鉄が初めて導入した国産電気機関車である。

製造時の形式番号は、10020形(10020~10033)であったが、1928年の車両形式称号規程改正により、ED40形(ED401~ED4014)に改番された。

 

ウキペディアを参照