一体いつ『特急にっぽん縦断』シリーズは完結するんだ!?というクレームが来るのを承知ではございますが、今回どうしても投稿したい記事がありまして。

 

鉄道ファンの皆様ならご承知でしょうが、昨日11月23(木・祝)を以てJR西日本・木次線の観光トロッコ列車『奥出雲おろち号』が26年間の活躍に幕を下ろし、ラストランとなりました。客車の老朽化が理由との事ですが、赤字ローカル線である木次線を盛り上げる観光資源だっただけに、残念ではあります。来年度からは山陰本線を走る観光列車『あめつち』が木次線にも乗り入れる事が決まっていますが、これまた残念な事に木次線最大の見どころである出雲坂根のスイッチバックには入らないそうで、出雲横田止まりに限られてしまうとの事…。

 

ラストランを迎えて二度と乗客を乗せて走る事はなくなってしまった『奥出雲おろち号』ですが、私は2017、2018年のそれぞれゴールデンウィーク前半期間に乗った事がありまして、今回はその中から2017年4月29日(昭和の日)に乗車した時の思い出記事を起こしたいと思います。流石に6年前という過去だけに、記憶が曖昧な部分がある事をお赦しくださいませ。 

 

えーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーんショボーンえーん

 

私は羽田経由でJALの航空便で出雲空港に向かったのですが、この日の『奥出雲おろち号』の始発は出雲市駅。その出雲市からだと羽田の始発便の到着には間に合わないため、出雲空港からタクシーで木次線の始発駅である宍道駅へ向かいました。

 

 

 

ホームの乗換案内版は国鉄時代のまま、陰陽連絡線時代を偲ばせる「広島方面」の文字が残っていました。

 

 

 

9:17、9152レとして出雲市駅からやってきた『奥出雲おろち号』(以下『おろち号』)。この客車側を先頭に進行方向を変え、8421レに列車番号を変えて木次線に入ります。

 

 

 

この日の牽引機はDE15 2558(後藤総合車両所所属)。『おろちラッセル』として除雪用としても使用されていましたが、残念ながら2021年(おろち号の運行終了が発表された年)12月10日付で廃車になっています。

 

 

 

 

トロッコ車両スハフ12 801の車内。この時点での乗車率は激混みという程でもなく、せいぜい6割程度といった処でしょうか。まだ余裕を持って席を取れた頃の話です。確か私も2週間位前にみどりの窓口で席を予約した記憶があります。私が確保したBOX席も向かい側に1人が座っただけでした。

 

 

 

スハフ13 801の車端部にあった記念スタンプ台。私も押させて頂きました。

 

 

 

コチラは雨天時等の乗客用に使われる控車スハフ12 801。かつて夜行急行『ちくま』に使われていたとの事で、オリジナルのBOX席から換装されたR51簡易リクライニングシートが並んでいます。トロッコ車両の指定券を持っていれば誰でも利用できるだけあって、「1本で2度オイシイ」贅沢な列車でもありました。

 

 

 

いきなり飛びますが、木次駅から先は観光ガイドのおじさんが乗り込んで沿線の見どころを解説してくれます。

 

 

 

おろち号の魅力として、沿線のうまいモノを味わう事もその一つ。木次駅から乗り込んだ車販から購入した木次乳業の『木次ミルクコーヒー』。甘ったるくなくスッキリとした味わいでした。

 

 

 

『駅ナカ農園』がある下久野駅。『動動(あよあよ)』という神話駅名が付けられています。

 

 

 

さて…おろち号の見どころとして、トンネルの多い木次線、暗い車内ではおろちを象ったイルミネーションが点る仕掛けがありました。

 

 

 

木次線は開業時からの風情ある木造駅舎が残る駅が多いですが、この出雲八代もそう。

木次乳業の車販はコチラで降りていきました。

 

 

 

出雲三成からは別の車販が乗り込んできて、『仁多牛べんとう』(竹葉謹製。事前予約が必要)の販売が行われました。私も買いましたが、コチラはまだ手を付けず(この日の夜に乗ったサンライズ出雲の車内で食べました)。

 

 

 

列車は松本清張の小説『砂の器』の舞台となった亀嵩駅に到着。

無人駅化後に駅舎内はそば屋『扇屋』が営業しており、名物の出雲そば(コチラも事前予約が必要)の販売が行われました。勿論私も購入、早速昼食として頂きました。残念ながらおろち号の後継である『あめつち』は停車しないとの事…。

 

 

 

いくら本州とはいえ、中国山地の春は遅く、ちょうどこの頃が桜の見頃となっていました。

しかも『春紅葉』も桜と一緒に見られるスポットもあったりして、良い時に乗ったなぁ…と思ったモノです。

 

 

 

出雲横田、八川を経て列車はクライマックスである3段スイッチバックの出雲坂根駅に到着。

 

 

 

駅に咲く八重桜の樹。ちょうど見頃を迎えておりました。

 

 

 

そのスイッチバックの一部始終~おろちループ~三井野原駅までを動画に収めておきました。拙い映像で恐縮ですが、お時間のある方はご覧くださいませ…。

 

 

 

そして列車は急勾配区間を越えて、JR西日本の中でも最高地点(標高727m)に存在する三井野原駅に到着。

 

 

 

油木駅を挟んで終着・備後落合駅に到着。宍道駅から3時間余りの木次線の旅が終わりました。

 

 

 

かつては機関区があったという交通の要衝であった備後落合駅。陰陽連絡の使命を終えた後はひっそりとしていました。

 

 

 

さて…この時は芸備線には乗り換えず上りおろち号(8422レ)に乗っており、木次線を往復する事となりました。但しこの列車は木次止まり。

 

 

 

復路はトロッコ車両には乗らず、敢えて古き良き客車列車の旅を楽しむべく控車のほうに乗車しました。

 

 

 

昼食として亀嵩の出雲そばを食べたばかりですが、出雲地区の地場スーパー『マルマン』謹製の『奥出雲和牛焼き肉弁当』(往路の木次駅で受け取り。要予約)も食べちゃいました😅

 

 

 

しかもオヤツには『クリーム大福』(御菓子司 田村屋謹製)も😁

(コチラも要予約。受け取り場所を失念してしまいました…)

 

 

 

復路の車内からも三井野大橋とそれに繋がるおろちループを眺めさせて頂きました。

皮肉にも…この道路(国道314号線)が整備されていなかった事から木次線は特定地方交通線の対象から外れていたのですが…現在は芸備線などと同様廃線の危機に。おろち号が失われる事によって、その事にますます拍車が掛かりそうで。

 

 

 

復路の車中から見た出雲坂根の3段スイッチバック。

 

 

 

出雲坂根駅では木次線を全線走破する定期普通列車1449Dと交換します。

 

 

 

スイッチバックを下り、出雲坂根駅に到着したおろち号。往路もそうでしたが、復路も停車時間が取られていました。

 

 

 

2010年に建て直された出雲坂根駅舎。左に写っている桜は先程紹介した八重桜。

 

 

 

有名な『延命の水』。

 

 

 

おろち号停車中のお楽しみとして、駅横で営業している焼き鳥と鉄道グッズのお店がありました。焼き鳥の香ばしい香りが駅周辺を包み込む…。

 

 

 

そこで購入した鉄道グッズ。サンライズエクスプレスでかつて売られていたアメニティセット、おろち号のキーホルダー、そしてかつて木次線を走行し陰陽連絡の大役を担っていた急行ちどり号のキーホルダーの3点を購入。グッズ購入者にはオリジナルのポストカードがオマケで付いてきた…ハズ。

 

 

 

さてコチラは奥出雲おろち号2017年シーズンの乗車記念証。この年は奇しくも木次線全線開業80周年という節目の年でもありました。

 

 

 

そしてグッズと共に購入した焼き鳥。コレがまたウマい!タレの味わいは北海道の室蘭やきとりに似たテイストでした。おろち号がなくなった後、この焼き鳥屋さんはどうなるんだろう…。

 

 

 

さてさて…またまた飛んで恐縮ですが列車は出雲三成駅に到着。

ここでも停車時間が取られていました。

 

 

 

駅舎は木次線の中でも最も立派といっても過言ではない程の建物で、『仁多特産市』という特産品を扱う物販店が併設されていました。

 

 

 

出雲三成駅停車中のトロッコ車両車内。皆特産市に買い物に出掛けたのか、車内はほとんどカラ…。ちなみに復路(上り列車)の乗車率は下りよりも少なかったように感じます。

 

 

 

そして15:57、終着・木次駅に到着。奥出雲おろち号の旅が終わりました…。

 

 

 

ここから宍道駅までは、3分後に接続する2番線に停車中のキハ120-1(※トップナンバーといえども最初に製造されたワケではない)の1460Dに乗車。余談ですが、この列車の運転士は女性でした。

 

 

 

そして1460Dの最後部窓からおろち号を見送りました。

バイバイ!また乗るからね~!と誓って。

 

 

 

…そんなワケで翌2018年(おろち号運行開始20周年)のGWにもおろち号(この時は出雲市→備後落合の片道のみ)に乗りに行ったのですが(この時は日本縦断乗り鉄の一部として乗車)、結果的にその時が最後の乗車となってしまいました。2シーズンも乗りに行っているのでもう未練はない…と言えばウソになってしまいますが、せめて秋の紅葉シーズンにも乗ってみたかった…というのが正直な処です。

 

最後になりましたが、長い間木次線沿線の盛り上げ役として活躍してきた奥出雲おろち号に「ご苦労様」と労いの言葉を贈りつつ、本稿を締めさせて頂きます。最後までご覧頂きありがとうございました。