小学生の頃に読んだ京都産業大学創設者 荒木俊馬氏著の″大宇宙の旅″に思いを馳せ、宮沢賢治の″銀河鉄道の夜″とメーテルリンクの″青い鳥″をヒントにして完成した物語。
九州から東京へと上京する際、夜行列車の車窓を流れる家の灯り、そして通過する駅の光の幻想的な旅情をオマージュに描かれています。
銀河鉄道999••••••••1977年から″少年キング″にて連載が始まり、今年で45周年を迎えました。
999とは、1000に1つ届かない、大人になる直前で未完成の青春の終わり、心の中で永遠の時へ変わると言う意味が込められているそうです。
原作者の松本零士先生は1938〈昭和13)年1月25日の生まれで、今年2月13日に星の空へと旅立たれました。
もう周知のことでしょうけれど、京都鉄道博物館では12月~2月にかけて、銀河鉄道999関連のイベントが催されます。
イベントでは、C62-1号機・C62-2号機・C62-26号機にそれぞれ、999号にちなんだ装飾が施されるようです。
と言うことで、冒頭から銀河鉄道999で押せ押せ全開できましたが、今日の車両はC62-2号機 スワローエンゼルのみだったりします。
SLスチーム号として、1往復する姿を撮っています。
日本国内最大そして最速のC62ですが、京都鉄道博物館の展示線では徐行でのゆっくりスピードで走ります。
停車しなければ、電車ダイヤの合間を縫って走ることもできる、日本唯一の蒸気機関車ですが、たどり着いた駅でどうにもできない現代でもあります。
東海道本線または山陽本線で、本気の全力疾走は夢で見るだけの幻想です。
それに近い状態で走るのなら、山口線での第3の牽引機と言う道も残っていますが、蒸気機関車の本線復帰の予算は、会社を左右するほどの金額が必要となります。
全力疾走は夢で思いを馳せながら、SLスチーム号の奏でるサウンドと、汽笛に煙にと堪能するのが現実的です。
でも、これでも安定運行をさせるには、それ相応の技術と予算をかけねば、お客さまの信頼を失うばかりか、大切な産業遺産も失うこととなってしまいます。
国鉄時代に公営としてオープンした京都梅小路機関車館でしたが、分割民営化されてJR西日本が施設を引き継ぎ、今もこうして複数の蒸気機関車を運行させているのですから、これは凄いなと素直に感嘆したいと思います。
京都鉄道博物館のC62は、完成体としては3機が収蔵されていますが、もう1機 忘れてはならないC62がいることは、既に
2021(令和3)年5月20日 の記事で語っているところです。
3機のC62が牽引した特急列車としては、扇形庫に保管されているマイテ49を従えた特急平和や特急つばめなども代表的な列車ですが。
4機のC62が牽引した特急列車となれば、やはり20系ブルートレインを語ることになり、特急さくら・特急あさかぜ・特急ゆうづるの名前がよぎります。
なのでラストには、京都鉄道博物館の食堂車として営業再開が果たされた、ナシ20形を併載して今日の記事を結びます。
