番外 かつて日豊線鶴崎駅から延びていた専用線、平成26年撮影、旧九州石油専用線廃線跡探訪(後編) | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

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 今から9年前になります平成26年訪問時に撮影しておりました、大分市の上の画像1にあります日豊線鶴崎駅より延びておりました、旧九州石油(現・ENEOS)大分製油所専用線探訪の話題をご紹介しておりますが、前回では鶴崎駅より少々先までに関しましてをご紹介しておりました。

 

 この旧九州石油大分製油所専用線は、鶴崎駅より北側にありますENEOS大分製油所までその鶴崎駅から延びておりまして、ガソリンを運んでおりました貨物列車も、末期時には長崎線神埼駅などへ運行されていた事もありました。しかし、残念ながら平成9年に廃止されておりまして、廃止からも今年で26年にはなりますが、現在も一部で線路など廃線跡は残っているそうではありまして、その分大分製油所までかつて専用線が存在していた事を伺う事ができます。
 
 尚、鶴崎駅は貨物時刻表でもありますように現在もJR貨物の臨時貨物取扱駅として扱われておりまして、JR九州の駅であるとともにJR貨物の駅としての姿は引き続き見られるようになっております。
 

 

 さて、今回後編では、製油所内までご紹介する予定でありましたが、この時残念ながら工場敷地内で詳しく伺う事・撮影する事ができない部分もありましたので、可能である部分までを皆様にご紹介してまいります。

 

 

 以下画像は、線路が切られている部分から少々進みましたかつての踏切の跡であります。現在もレールまで残されておりますが、おそらくかつてはこの部分に警報機・遮断機つきの踏切が設けられていたのではないかと思われますが、このようにレール自体も残されておりましたら、かつてタンク車らがこの踏切を通過していたイメージを伺わせるほどであります。
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 その踏切の跡から北側工場方の姿であります。この撮影を行いましたのは平成26年3月でありましたが、画像のように桜の木も見られておりました。本当に、かつて貨物列車が運行されていた場所にこのように桜の木を植えられている事は、この時期ならば美しい光景につながるのではないかと思います。
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 画像は上の画像から少々進みました場所から鶴崎方の画像であります。ちなみに、画像の塀の内側は住友化学大分工場の工場敷地内にあたっておりまして、現在のこの付近の廃線跡の所有も住友化学の所有となっております。
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 こちらは、上の画像の撮影地点から製油所方への撮影です。これより先へは、他の工場の敷地にも入ってしまいますので残念ながら立ち入る事ができませんでしたが、その先にはこの時点で橋梁の台座なども残されておりまして、かつて線路があった事を伺う事ができておりました。
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 場所は変わりまして、画像は、大野川大橋南側にあります船積場付近での撮影でありまして、以下画像が鶴崎方での撮影であります。ちょうどその付近では画像のあぜ道と化している部分がかつての線路であった部分でありまして、この訪問時にはかつて線路があった頃の名残は詳しく残されておりました。
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 こちらは上の画像の撮影位置から北側の部分です。かつて線路は奥に見えます大野川大橋の下の部分に存在しておりました。しかも、画像の手前から奥には、線路の跡もうっすらと見る事ができておりました。
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 さらに北へと進んだ所、大分市家島付近からの撮影です。かつて存在しておりました線路は、おそらく現在木が生い茂っている部分に存在していたのではないかと思われるようでありまして、その部分は、現在歩道化されている場所でもありまして、その名残は残念ながら詳しく見る事ができなくなっておりました。
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 画像は、さらに進んだ所にあります、九州電力大分火力発電所にあたる部分であります。画像の位置には、おそらく側線があったのではないかと思われる部分が残されておりました。しかも、この部分には枕木も残されておりまして、ここに側線があったのではないかと思わせるような部分も見られておりました。
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 (残されていた枕木)
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 ところが、私自身も間違っていたようでありまして、実際の廃線跡はまだ海寄りに見られておりました。以下画像がその部分でありましたが、かつての踏切跡には線路も残されていたようでありまして、下調べが詳しくできていなかった事が正直悔やまれる所でもありました。尚、その下の画像にもありますように、それより先の部分に関しましては、発電所・工場敷地内である事からどちらにしましてもその部分で終わるようにはなっていたようではありました。

 

 (Googleストリートビューより)

 

 

 今回は、平成26年訪問時に撮影しておりました旧九州石油専用線の廃線跡に関しましてご紹介しましたが、このように専用線が存在していた事がお分かりいただけたのではないかと思います。私自身も、学生の頃から佐賀県神埼市の神埼駅からこの鶴崎駅間の石油貨物列車の姿を見ておりましたので、この時平成9年の廃止から17年経過してようやくその廃線跡を見る事ができまして良かったと思っておりますが、後半ありましたように、詳しく存じていなかった部分がありました事に関しましては申し訳なく思っております。それでも、実際に存在していた事には間違いありませんので、ご覧の皆様も存じていただければと思っております。
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