大人になるまでは盲腸線が何故あるかなんて気にせず、乗りに行くだけだった。

1992年。九頭龍湖。盲腸線の終点らしい簡素な造りだったが、駅舎はログハウス風、景気の良いうちに建てたのは先見の明になったと思う。

1992年。越前花堂、こう言う分岐駅はアジがあって好きだ。福井まで行って乗り継いでも良かったが、たいして長い乗車時間でもないので座れなくてもヨシとここで乗り換えた。駅名がいい、これが〝南福井〟とかでは魅力にかける。
10年くらい後に福井には縁があり何度となく訪れた。ついでに越美線が完成したらと峠越えをしたことがある。
九頭龍湖(425m)から桧峠(960m)を越えて北濃(450m)に抜けるのは、岐阜側がかなり巻かないと線路が引けないと感じた。
九頭龍湖(425m)から油坂峠(790m)を越えて白鳥(370m)に抜けるのは、今の高速ですら地形を無視した無茶な敷設、鉄道なら数箇所のスイッチバックがいるかと想像した。
もう一箇所、樽見線樽見(165m)から温水峠(1022m)を越えて大野(170m)に抜けた。ここは福井県側が山奥の無人地帯が長く続き、路線候補に選ばれなかった理由がよく分かった。
何にせよ、福井と中京圏を結ぶにあたり鉄道で越美山中を超えるのは今でも現実的では無い。
越美線はどんな目的で計画されたのだろう?南側は郡上八幡や白鳥まで、北側は勝山や大野までの鉄道を引くための大義名分だったのか?
福井から勝山や大野までは京福電鉄が結んでいた。2002年頃は休止していて乗れなかったが、今は越前鉄道で復活している。特に大野は1960年代まで京福も来ていたと聞く。後から出来た越美北線に客を奪われ廃止、そして今や越美北線も廃線の危機。県都福井から勝山、大野への鉄道はあった方がいい。
時の政治家は、将来まで考え越美北線を誘致し建設を決めたのだろうか?福井から大野への鉄路は京福に任せておけば良かったと、ならない事を祈る。