序章に続き本編に入ります。
温田到着は25分遅れですが、このツアーの参加者がほぼ全員遅れた電車に乗ってたので、主催者側としてもオープニングは遅らせて開催宣言。
今日のツアー参加者は29人、スタッフ6人の35名でした。
コースは地図の通りで、温田駅→南宮大橋→神子谷の道祖神→川田製茶工場→分校跡→竜田橋→田本駅→奈川(昼食)→泰阜小中学校美術館→ゆべし工房→旧家→足神さま→ポタジェやすおか→経路見渡し場所→温田駅
緑のラインを時計方向(右回り)に歩いてまわる周回コースでした。
基本、天竜川を挟んで左側が阿南町、右側が泰阜(やすおか)村です。
行程は約10kmあまりですがツアーのみなさんも良いお年なので、ゆっくり歩くペースなら帯状疱疹中でもついて行けると思ったんですよ・・・。
0.天竜峡駅
番外ですが天竜峡で乗り換え、ダイヤが乱れていたので大急ぎで上り中部天竜行きに乗り換えました。
1.温田駅

特急伊那路も停まる泰阜村の中心地になります。
普段はこんなに乗降客がいないであろう温田。
ツアー開始。この日はダイヤが乱れていたので後で思わぬプレゼントタイムがありました。
2.南宮大橋
見事な斜張橋。横浜ベイブリッジも同じ構造ですがこちらの方が先に作られたそうです。
3.神子谷の道祖神
神子谷の道祖神は、双体道祖神と呼ばれる珍しい道祖神でして、享保三年(1733)年と刻まれているので相当古くから見守ってくださっている道祖神ですね。
近くの馬頭観音は本当に馬が頭の上にいるんですよ。
4.特急伊那路2号
特急伊那路2号が遅れに遅れて温田を出発する所を対岸から見ることが出来てラッキーでした

5.ゆず農家
この地区はゆずが一杯採れる地域です。
農家のおじさんが物珍しそうに見ていました。
6.川田製茶工場跡
暖かいので茶も採れ製茶工場まであったんですが、随分前に廃業。でも建物は残されていました。
現在、お茶は自家製の畑が少々とあとは勝手に生えていました。
7.川田分校跡
川田と呼ばれるこの地区にはかつて分校があったそうで、その校舎跡が残っています。
現在何に使われているのか?不明なようです。
8.竜田橋
道祖神からは道をひたすら下って行くと竜田橋が見えてきました。
水力発電の交付金で作られたつり橋で当然人しか渡れないのですが、動物さん達にも使われているようです。
今はほとんど渡る人がいなくなりましたのでいつまで現存するかは分かりません。
もう一度地図を見ると竜田橋を渡ると田本の駅が近づいてきています。
9.田本駅
飯田線秘境駅の一つで、駅は崖面にあり反対側は天竜川。
こんなところに駅があるの?って場所で、このビューポイントは鉄ファンが写真に収めるアングル。
田本駅に降りて来ました。
美里山倶楽部はホームから213系を狙いました。
実は上にたくさんの人が上に写っていて、さっきのアングルから写真を撮っています。
天竜峡方面(上り)の去って行く列車。
紅葉が綺麗だったら良い写真になっただろうな

午前中のハイライトは田本駅から昼食会場のお食事処「奈川」までの行軍で細い道をひたすら登ります

小休憩が入りながら30分近く登り詰めてようやく視界が開けました。
看板には「ここから歩いて行くんだに」と書いてますがツアー行軍は、「ここまで歩いて来たんだに」というところ。
しかしこの看板を見て田本に降りようとしても、あまりに道が悪く急な下りに恐れをなして諦める鉄ファンも多くいると聞きました。
10.お食事処
「奈川」でお昼になりました。女将さんがお出迎え。
みなさんよく登りきりました、ツアーの最高齢は86歳らしいです。
お昼は手作り弁当。陽が差してきたので戸外で採ることにしました。
丸い揚げ物は里芋コロッケ、美味しかったわ。
ご飯、大根、人参などはほとんど地物です。
11.泰阜小中学校美術館
登りは終わったと思ったら、午後イチは泰阜村の高い丘にある小中学校まで更に登ることになりました。
昼を食べると身体が重くなり足取りもきつくなりますので、学校着はかなりばらけました。
ここには全国でも珍しい学校内に美術館があるんですが、「撮影はご遠慮ください」との事なので写真はありません。
寄せられた美術品は年々増えて今は750点にもなって、年4回季節に応じて入れ替えを行うそうです。
詳しくは下記をご覧ください。
12.ゆべし工房
特産のゆずを活かした保存食が「ゆべし」になります。
出来るまでに蒸したり熟成させたり大変に手間がかかりますと、工房のおばさまが語ってくれました。
お茶請けに合うとのことで京都の茶会にも使われているとの事です。
隣にあったこの崩れかけた倉庫も魅力的

南天とゆずは一大生産地です。
田本神社を過ぎたころから風が強くなりました。
ススキが大きくなびき、向こうから雪が近づいてきました。
前線通過の雪と思われます。
13.旧家
なにやら由緒正しきお屋敷でした。
なんでも織田信忠の書状が残っていたそうです。
(現在は行方不明)
現代風にするとこのような事が書かれていたとのこと。
すみません、説明時にちょっと違う場所で写真撮っていたので良く聞いてませんでした。
それにしても織田家の時代となると1550年ころのことなので武田と争っとたころの話なんでしょうね。
正面が偉い方を迎える玄関。
障子は和紙を使っていますが、本当に障子だけなので夜は雨戸を閉めなければ寒くてかないません。
石積みも見事でした。
14.足神さま
この道を通った偉い方の奥方さまの物語詳しくは下記をどうぞ。
そばにわらじが何足も下がっていて例祭の度に新しいわらじを供えるそうで足が悪くならないようお参りしました。
15.ポタジェやすおか
廃校になった泰阜南小学校の調理室を借りて手造りこんにゃくをを作っています。
元は大阪→東京→泰阜と移住先をここに求めてきたご夫婦が泰阜の名産だったこんにゃくを復活させようと頑張っています。
これで全行程を終えて温田に戻る途中、来た道が振り返られる場所に来ました。
バナナとイチョウの紅葉のコラボ

基礎が古タイヤなの?
崩れないか心配な建物

これは歩道が完全に抜けてしまった危険地帯。
・・・などなどを見てたどり着きました丘の上。
最初に渡った雨宮大橋。
中央左に見える分校跡。
天竜川にかかる竜田橋と山の頂上に泰阜小中学校美術館。
こんな高低差を登ったのか

そして温田駅に戻って参りました。
最後に16時近くになって温田駅に着きました。
約19000歩、歩き後半は帯状疱疹の痛みと戦いながらのゴールとなりました。
美里山倶楽部自身「ようやるわ」といった感じ。
宮田には19時過ぎに到着して、夕食はお寿司屋で乾杯🍶。
帯状疱疹は
午前中は薬が効いていたのか
なんとか我慢できましたが
昼食後は
ズゥッキン!
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ズゥッキン!
・
ズゥッキン!
と痛みましたとさ
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