今回は、夕張鉄道の駅名の由来を私なりに調べたので、簡単にまとめてみました。


夕張鉄道は、札幌市近郊の江別市に位置する野幌駅で函館本線に接続し、空知郡南幌町を経て、夕張郡長沼町の北部をかすめ、同栗山町の栗山駅で室蘭本線に接続、夕張市の鹿ノ谷駅で国鉄夕張線(後の石勝線夕張支線、現在は廃止)に連絡し、夕張本町駅を終点とする53.2kmの路線でした。


昭和46(1971)年11月15日に鹿ノ谷駅〜夕張本町駅間が廃止、残る野幌駅〜鹿ノ谷駅間も昭和49(1974)年に旅客営業廃止、翌50年に路線廃止となっています。


以下、簡単に駅名とその由来を列記していきます。

駅名は旅客営業廃止時点のもので記します。




●野幌(のっぽろ) 江別市

アイヌ語に由来するが諸説あり。

ヌプ・オロ・ペッ(nup-or-o-pet):野の中にある川、ヌプル・ペッ(nupur-pet):濁った川、など。


●北海鋼機前(ほっかいこうきまえ) 江別市

北海鋼機株式会社(本社:江別市上江別441)の最寄駅であることから。

同社は昭和36(1961)年創業の鉄鋼二次製品メーカー。


●上江別(かみえべつ) 江別市

江別の市街地は千歳川が石狩川に注ぐ川口にあり、そこから見て千歳川の上流に位置するため「上」を付けた。

江別の名はアイヌ語に由来するが諸説あり。

新しい順に記すと、イ・プト(i-putu:その口、大事な所への入口)、ユペ・オチ(yupe-ot-i:チョウザメの多い処)、エペッケ(epetke:兎唇、みつくち、裂けた口、あるいはウサギそのものも指す)などが挙げられる。


●下ノ月(しものつき) 江別市

千歳川流域を下の月、中の月、上の月に分けたうちの一つ。

「の月」の部分はアイヌ語のノッケ(notke:岬)に由来するという。


●晩翠(ばんすい) 空知郡南幌町

地区名から。

アイヌ語のパンケソウカからバンケソウ、バンスイと転訛し、これに晩翠の字を当てた。

パンケソウカはパンケ・ソー・カ(panke-so-ka:川下の滝の上)によるという。


●南幌(なんぽろ) 空知郡南幌町

函館本線幌向(ほろむい)駅(岩見沢市)あたりから南幌町までの地域を幌向原野と呼び、幌向原野の南部にあることから「南幌向」(みなみほろむい)とされ、駅名も当初は「南幌向駅」とした。

駅が所在する幌向村が昭和37(1962)年に町制を施行する際、「南幌(みなみほろ)町」と改称し、駅名も「南幌(みなみほろ)駅」と改めたが、昭和43(1968)年、町名、駅名とも「南幌」(なんぽろ)に読みを変更している。


●双葉(ふたば) 夕張郡長沼町

長沼町域の北西端に近い所にあった駅。

長沼町の年表によるとこの辺りの地区名であったようだが、行政地名に「双葉」というものはなく、通称と思われる。


●北長沼(きたながぬま) 夕張郡長沼町

長沼町の北部に位置することから。

長沼町の中心部には当時の国鉄バス、中央長沼バス停があった。

長沼の名はアイヌ語の「タンネ・トー(tanne-to):長い沼」の意訳。


●中央農試前(ちゅうおうのうしまえ) 夕張郡長沼町

北海道立中央農業試験場(現在の北海道立総合研究機構農業研究本部中央農業試験場)が当地長沼町に移転してきたことにより新設された駅。

昭和44(1969)年に新規開業した駅である。


●栗山(くりやま) 夕張郡栗山町

国鉄室蘭本線との接続駅。

かつては夕張郡角田村といったが、町制施行した際に栗山町に改称した。

栗山は角田村時代の字名で、アイヌ語のヤムニウシ(yam-ni-us-i:栗の木の群生する処)を和訳したものという。


●角田(かくた) 夕張郡栗山町

明治21(1888)年に宮城県の角田の士族が団体移住し、その際に郷里の地名にちなんで付けた村名。

現在の宮城県角田市。


●継立(つぎたて) 夕張郡栗山町

夕張炭鉱開鉱に際して、必要な人員や資材を岩見沢から夕張まで馬車で送るにあたって、当地を中継地としたことにちなむという。


●新二岐(しんふたまた) 夕張市

阿野呂(あのろ)川と富野川の合流地点(アイヌの人にとっては分岐点)であることから。

夕張市の行政地名は「二岐」であるが、隣の三菱系の大夕張鉄道にも「二股」(昭和17(1942)年に南大夕張(みなみおおゆうばり)駅に改称)という駅があったため、「新」を付けたものと思われる。

急行は停車しなかったが、当駅折返しの列車が存在した。


●錦沢(にしきざわ) 夕張市

元の地名を錦ケ岡といった。錦ケ岡と富岡との間に交通の難所となっていた沢があり、明治31年に第一新坑が開坑して新坑の沢と通称していたが、これを指して錦沢といったものと思われる。

地名は昭和17(1942)年に錦ケ岡から錦に改められているが、当駅はそれより前、大正15(1926)年にスイッチバック式の信号場として開業している。

昭和2(1927)年に駅となった。


●平和(へいわ) 夕張市

元々は若菜辺(わかなべ)という地区の一部であったが、当地にある若菜辺坑が昭和12(1937)年に再開鉱するにあたり、事故の多い炭鉱のイメージを払拭するため、平和坑と改名したことによる。

駅は昭和13(1938)年開業。

昭和17(1942)年には行政地名にもなった。


●鉱業所前(こうぎょうしょまえ) 夕張市

当初は坑内員通勤専用駅として設置されたため、このような駅名となったと思われる。

設置の10年後となる昭和37(1962)年より一般営業がされるようになったが、両隣の平和駅とも夕製前駅とも1キロ未満の駅間であった。


●夕製前(ゆうせいまえ) 夕張市

夕張製作所(後の北炭機械工業)の最寄駅であることから。


●若菜(わかな) 夕張市

開業時は若菜辺(わかなべ)駅と称した。

元はアイヌ語のワッカナンペッ(wakka-nam-pet:水の冷たい川。namはyamと同じ)を若南部(わっかなんぶ)と音訳したものが転訛し、若鍋(わかなべ)となった。

明治39(1906)年に若鍋坑が開鉱したが、常に危険と隣り合わせの炭鉱において火を連想させる「鍋」という字は縁起が良くないとして、読みはそのまま若菜辺坑という名に改めた。

行政地名は若南部(わっかなんぶ)のままであったが大正8(1919)年に若菜辺(わかなべ)に改称、その後に駅ができたため若菜辺駅となった。

昭和17(1942)年に夕張町(昭和18年より夕張市)が行政地名を変更した際に若菜辺は若菜(わかな)となり、駅も昭和29(1954)年に若菜駅となった。


●営林署前(えいりんしょまえ) 夕張市

夕張営林署があったため。


●鹿ノ谷(しかのたに) 夕張市

国鉄夕張線(後の石勝線)との接続駅で、当駅に機関区が置かれていた。

鹿ノ谷の名は、鹿が山間に群れをなして棲んでいたことによるという。


●末広(すえひろ) 夕張市

昭和17(1942)年に夕張町が行政地名を変更した際に新たに起立した町名。

地域の繁栄を願う願望地名と考えられる。

駅は昭和31(1956)年の開業。


●夕張本町(ゆうばりほんちょう) 夕張市

夕張鉄道の終着駅。

夕張町字本町に位置したため。

昭和17年の行政地名変更により字は廃止され、本町1丁目〜6丁目となり、駅は本町4丁目の地内となった。

夕張の地名はアイヌ語によるが諸説あり。

ユ・パロ(yu-paro:温泉の口)、イ・パロ(i-paro:その口、千歳へ往来する東の口であったことから)などが言われているが、より古い江戸期の松浦武四郎の再航蝦夷日誌には「ユーバリ、硫黄臭があるの義」という記述があり「ユーバリにより、大雨の時、硫黄により白く濁ったことにちなむ」という説がある。

「硫黄臭がある処」を無理矢理アイヌ語にすると、一例として「iwaw-hura-o-i(イワゥフラオイ)」のような形が考えられる。

これが詰まってあるいはユーバリとなったのであろうか。推測の域を出ない。




以上、簡単にまとめてみました。
素人の個人が調べたものですので、記述に不正確な部分や曖昧な部分が多々あるかとは思いますが、何かのお役に立てればと思い、書き残しておきます。

今回もここまでお付き合い下さり、誠にありがとうございました。


参考文献(敬称略)
「北海道の地名」山田秀三著、北海道新聞社刊
「地名アイヌ語小辞典」知里真志保著、北海道出版企画センター刊
「角川日本地名大辞典1 北海道 上巻(地名編)」高倉新一郎・榎本守恵ほか編、角川書店刊
「北海道の駅878ものがたり」太田幸夫著、富士コンテム刊
「時刻表から消えた北海道の私鉄」高井薫平編、フォト・パブリッシング刊