「白い西武線」との予期せぬ出会い | あさかぜ1号 博多行

「白い西武線」との予期せぬ出会い

西武鉄道の特急型車両以外の一般的な車両といえば、長年活躍してきた黄色い車体の車両や、近年勢力を拡大しているステンレスやアルミ製の銀色の車両というイメージが定着していますが、その中で文字通り異色の存在となっているのが、真っ白な車体の窓下に青・赤・緑の3色の細帯が入った塗装が目印の4000系電車。
塗装も異色なら、西武というより大手私鉄では珍しい2扉セミクロスシート車両であることも大きな個性になっています。
主に西武池袋・秩父線の飯能ー西武秩父間の折り返し列車に使用されるほか、西武鉄道から秩父鉄道への直通列車にも使用され、さらに少し前までは土休日に池袋と秩父鉄道の三峰口・長瀞を結ぶ直通快速急行にも使用されるなど、特急ほどの派手さはないものの観光地である秩父へ向かう列車にはふさわしい気軽な観光電車といったイメージの車両です。
そんな西武4000系が登場したのは1988年。
実は、私にとってこの形式を初めて目撃した時には、結構な衝撃を受けたのを覚えています。今回はその時のことを振り返ってみます。

西武4000系デビューの1988年は、私は高校2年生の年。
その年の10月のある日、高校の授業を終えての電車での下校途中、16時頃に地元駅に着くと、私の乗ってきた電車の反対側のホームに見慣れない白い車体の電車が停車しているのを見つけました。
現在は「相対式」と呼ばれる2面2線構造となっている地元駅は、その当時下りホームのみ本線のホームを挟んで反対側にも線路のある2面3線構造の駅でした。本線の反対側の線路は普段はあまり使われている様子はなかったのですが、この日は珍しくその白い謎の電車が停車していました。
新交通システムの山口線の車両(8500形)と同じライオンズカラーの塗装、両開き2扉構造の車体、戸袋窓以外は2枚1組の幅の狭い一段下降窓の並ぶ側面と、どれもそれまでの西武鉄道の車両には見られない特徴で、しかも窓から車内を覗けば扉付近がロングシートになっている他はブルーのボックス式のクロスシートが並ぶ国鉄・JRの近郊型電車のような車内となっていました。
最初私は、この車両はどこかの地方私鉄向けの新車または譲渡車両が当時あった西武所沢工場での製造または改造後に西武線で試運転を行っているのだと思いましたが、車両のほぼ中央部の車体下部を見ると西武鉄道の社紋と4000番台の車両番号があり、これはもしかして西武4000系という車両なのだろうかと一応納得しました。
ただ当時はネットも存在しない頃のことゆえ、目撃した時にすぐこの謎の車両の正体を調べることもできず、なぜこんな車両が西武に?という謎を残したまま、しばらく車両を観察したのち改札を出て自宅へ向かったのでした。
それから少し経ち、いつも読んでいる鉄道雑誌の最新号にその白い電車の紹介記事が掲載され、すべての謎が解けました。
そういえばその数か月前に同じ鉄道雑誌に、近く始まる西武鉄道と秩父鉄道の直通運転に向けて西武では観光用のクロスシート車両を製造するという記事が出ていて、あの日見た白い電車はまさにそのクロスシート車両である西武4000系だということがわかりました。

それ以来、クロスシート車両好きの私にとって4000系は西武の車両の中でも11、2を争う好きな車両になりました。
日常の足として乗るチャンスはなかなかなくても、何かの機会に秩父方面へ向かう時には乗るのが楽しみな車両でした。
また秩父鉄道の1000系(元国鉄101系)をよく撮影・乗車していた時期には、池袋や所沢から4000系の秩父鉄道直通快速急行に乗って現地に向かったものです。
さらに、その快速急行の送り込み回送を兼ねた土休日朝池袋行の4000系使用の快速急行や急行も、大学への通学や用事のある時などに愛用したものでした。

気が付けば、予備知識なしの突然の4000系との出会いからもう35年が経過し、さらに主要機器の流用元である101系の製造時からは50年を超えるようになり、そろそろ4000系にも引退の時かも…と思ったところへ、今後(2025年以降)西武鉄道に譲渡される東急9000・9020系の一部が、現在4000系が活躍している秩父線にも投入されることになりました。
元東急車の投入予定線区の数と車両数との兼ね合いで、果たして秩父線の4000系がすべて置き換えられるのかちょっと微妙な気もしますが、いずれにしても近い将来には4000系にも引退の時は訪れることになります。
個人的には、秩父線に投入される元東急車にはセミクロスシート化かロング・クロス変換式座席化を実施し、気軽に乗れるクロスシート車両という4000系の特徴を引き継いでほしいと思いますが…
まあそれは望み薄かな?
とにかく、まだ4000系が健在な今のうちに、座り心地のいいクロスシートでの秩父線の旅をまた味わいに出かけたいものです。