機  番:90号機

新  製:昭和31年9月1日

製  造:日立製作所

製造番号:日立No.191521-3

新製配置:米原機関区

最終配置:高崎第二機関区

廃  車:昭和58年6月18日

 

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS15

前照灯:原型(ハチマキ状ケース無し)

尾灯:原型内バメ式

正面窓:小窓+Hゴム支持

Hゴム色:白色

正面ヒサシ:大型

デフロスタ:あり

正面飾り帯継ぎ目:タイプ|

列車電話:なし

電源車制御装置:なし

元空気ダメ引き通し管:なし

スノープラウ:固定式

ステップ:改造前端梁側面取り付けタイプ

汽笛カバー:大型

常磐線用列車無線:なし

乗務員ドア:原型

側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ

側面エアフィルター:原型縦目タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:EG

 

【改造履歴(抜粋)】

昭和32年 2月16日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年2月25日に出場)

              特急用淡緑色に塗り替え。

              列車無線の取り付け。

昭和33年 9月11日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年9月18日に出場)

              列車無線を取り外し。

昭和35年 2月11日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年2月18日に出場)

              車警(A)の取り付け。

昭和39年 5月18日~:甲修繕(施工は浜松工場で同年5月18日に出場)

              側面ハシゴの改造。

              前面に手すりとステップを取り付け。

昭和41年 2月 7日~:丙修繕(施工は大宮工場で同年2月12日に出場)

              デフロスタの取り付け。

昭和45年 2月 5日~:中間検査B(施工は大宮工場で同年2月17日に出場)

              前面窓のHゴム支持化。

昭和47年 2月24日~:臨時検修(施工は大宮工場で同年3月29日に出場)

              暖房装置のEG化。

昭和53年 4月27日~:要部検査(施工は大宮工場で同年5月12日に出場)

              ワイパーをWP50に取り替え。

 

【転配履歴】

昭和31年12月25日:宮原機関区

昭和36年12月28日:東京機関区

昭和38年12月29日:宇都宮運転所に貸し出し

昭和39年 1月 7日:東京機関区に返還

昭和39年11月28日:高崎第二機関区に貸し出し

昭和40年 1月 2日:東京機関区に返還

昭和40年 9月26日:高崎第二機関区

昭和48年 7月28日:宇都宮運転所に貸し出し

昭和48年 8月20日:高崎第二機関区に返還

 

 

89号機と同じく、東海道本線全線電化用として製造された90号機ですが、その生い立ちは89号機とは若干異なります。

89号機の新製配置は東京機関区ですが、90号機は米原機関区。ただ、すぐに両機とも宮原機関区に転配されて特急牽引機に抜擢されるため、しばらくの間は兄弟機揃って特急牽引に勤しむことになります。そして特急牽引の座を退くと、揃って東京機関区に転配されますが、昭和40年代に入って89は宇都宮、90は高崎第二へと転配され生き別れとなります。まぁ、生き別れと言っても、上野や大宮、あるいは田端機関区構内などでしょっちゅう顔を合わせてはいただろうし、一瞬ではあるけど、宇都宮に貸し出されたこともありました。

高崎第二に転配されたことで、大型の氷柱切り取り付け、スノープラウの固定化、デフロスタの取り付けなど、大がかりな寒冷地仕様に改造され、89とは顔貌が異なるようになります。

米原、宮原、東京、高崎第二という転配履歴があるので、結果的に東海道、山陽、東北、上信越という幅広い運転経験を持つようになりました。

 

 

青大将時代の90号機から。

詳細な撮影日は不明ですが、普通に昭和31年~35年の間に撮られたものであるのは間違いありません。

撮影場所ですが、これ、どこだろう?

私自身は山科-京都間かなと思ったのですが、結構開けているので、山科っぽくないな。

 

 

もう1枚、青大将時代を。

これは大阪駅ですね。

現在とは比較にならないほど、大阪駅も目まぐるしく変化していますが、大型の氷柱切りやスノープラウが無い、 "大人しい顔つき" だった頃の90号機になります。

(以上2枚はウ様提供)

 

 

高崎第二に転配された頃の90号機。

転配日から考えるとこの画像はかなり貴重なものになろうかと思われます。

おそらくこの後、青+クリーム警戒色の直流機標準色に塗り替えられると思われますので、大型の氷柱切りに可動式だったスノープラウ、暖房装置はまだSGのまま。デフロスタは取り付けられているけど、Hゴム化はまだのようなので、昭和41年~45年の撮影かと。ただ、直流機標準色への塗り替えは昭和40年~41年辺りに集中的に行われていたようなので、その時期の撮影と考えて良いと思います。

(ヌ様提供)

 

 

晩年の90号機。

これは上越線の水上駅ですね。

東京南鉄道管理局のスロ81を牽引しているので、昭和56年以降の撮影になります。

上越国境越えに挑むところか、はたまた上越国境越えを終えたところかは定かではありませんが、寝台特急もEF16の補機が必要だったので、スロ81系6連の身軽な編成といえど、EF16の手助けはあったのかもしれません。撮影時期から考えると既にEF64 1000に置き換わっていたかもしれませんけどね。

 

 

荷物列車を牽く90号機。

背後に新幹線の駅と思しき側壁が見られますので、高崎か長岡かなと思われます。

(以上2枚はタ様提供)