林檎乃「とほほ・・・。」ブログ

林檎乃麗の「とほほ・・・。」な日常を綴っています。 

九州完乗の旅再び27

2023-11-07 | 鉄道・旅行

 27.長崎駅の「ふたつ星」と鹿児島本線松原駅

3:00p.m.前に長崎に到着してしまったため、
予定を追加して、長崎本線の駅取材を追加することにした。

いったん西九州新幹線の改札を出て駅舎取材したあと、
在来線の改札をぐるっと九州きっぷで再入場する。
ホームに上がると、14:53発の「ふたつ星4047」が停車していた。

「ふたつ星4047」は西九州新幹線の開業に合わせ、
登場した国鉄形気動車を改造した観光列車である。
西九州新幹線開業により、
長崎本線の一部区間で電化設備を撤去、
非電化路線に転身したために、
特急電車改造の観光列車での長崎乗り入れが不可能になり、
その代替として気動車の観光列車が投入された。
運転区間は西九州新幹線と同じ武雄温泉から長崎である。

JR九州デザイン顧問の水戸岡鋭治氏が担当しており、
水戸岡車両デザインらしい、中間車両の大きめの窓も健在である。
3両編成で、種車は1号車キハ47-4047は元「はやとの風」のキハ47-8092、 
2号車のキシ140-4047は「いざぶろう・しんぺい」の予備車キハ140-2125、
3号車のキハ147-4047は元「はやとの風」のキハ147-1045である。
2号車に座席はなく、まるまるラウンジカーとなっている。
そのため食堂車を意味する“キシ”となっている。
名称の「ふたつ星4047」は運行区間の佐賀県と長崎県をふたつ星と表現、
投入された種車のキハ40とキハ47を意味している。
運行区間も武雄温泉から佐世保線、大村線、長崎本線を通過、諫早経由と、
江北まで戻り、肥前浜経由の長崎本線を行く2つのルートがある。

「ふたつ星4047」の出発を見送り、15:08始発の区間快速「シーサイドライナー」に乗り込む。
投入さていたのはYC1で、喜々津経由だった。
長崎を出発すると浦上に停車し、喜々津、諫早と停車する。
これらの駅は既に取材済であり、下車する意味がない。
その先も大村、新大村、大村車両基地と停車するが、
これらの駅も取材済み、若しくは明日取材予定であるので下車する意味がない。
そこで15:53に到着した松原で下車することにした。

JR松原駅は相対式2面2線の地上ホームを有する大村線の駅である。
1番線は上り佐世保方面、2番線は下り長崎方面が使用する。
大村線は現在の長崎本線の一部として開業し、経路変更により分離されたものである。
長崎本線は鳥栖と長崎を結ぶ幹線鉄道として九州鉄道により建設されたもので、
1895年5月5日に佐賀から武雄(現・武雄温泉)までが開業、
現在の佐世保線に当たる経路で1897年7月10日に早岐まで延伸、
同年7月22日に長崎(現・浦上)まで延伸した。
1898年1月20日に支線として佐世保まで延伸した。
松原もこの時に同時に開業している。
九州鉄道は1907年7月1日に国有化され、
1909年10月12日に佐賀から早岐までが長崎本線、
早岐から佐世保が佐世保線となった。
現在の長崎本線のルートは有明線として敷設され、
1934年4月16日に有明線が全通、
同時に有明線を長崎本線に編入、
既存の長崎本線は早岐から佐世保までを佐世保線に編入、
この時に諫早から早岐までを大村線として分離させた。

かつては大村火力発電所に石炭燃料を輸送するための引き込み線があり、
現在も一部が残され、保線用車両が留置されていたりする。

先に出発した筈の「ふたつ星4047」が16:14頃通過していった。
途中駅で多めに停車している内に追い抜いていたのだろう。
駅取材をしたものの、帰りの下り列車は16:47までない。
そこで駅周辺を散策した。

駅近くの墓地には「相撲取り墓」があった。
説明板には以下のように書かれている。

  相撲取り墓

 この三基の自然石の墓は、相撲取りの墓です。
 墓石には、「大荒鷲岩」、「秀の川」などのしこ名が刻まれています。
 いずれも江戸時代後期のものです。
 残念ながらどのような活躍をした力士かは分かっていません。

 令和三年三月三十一日
              松原宿活性化協議会

駅に戻り、駅舎を再取材して予定していた列車に乗り込み長崎まで戻る。


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 九州完乗の旅再び26 | トップ | 九州完乗の旅再び28 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

鉄道・旅行」カテゴリの最新記事