未成線。計画はされたものの未だに完成していないor頓挫した路線です。
今回はそんな鉄道ファンの心を掻き立てる話題です。
さっそく見ていくよ
時は1928年。
3年前に環状運転を開始した山手線沿線の更なる発展を見込み、「第二の山手線」を作るべく「東京山手急行電鉄株式会社」が設立されました。
そんな東京山手急行電鉄の路線図がこちら。
大井町を起点に23区をぐるっとUの字型に回り終点の大井町を結ぶ計画です。
駅数の都合上、主要駅のみの表示とさせていただきました。
見て分かる通り壮大な計画です。
というわけでこの路線は実現しませんでした。
詳しく解説していきます。
東京山手急行電鉄は比較的容易だった別の路線計画「渋谷急行電鉄(渋谷-吉祥寺)」を先に建設することにし1933年に帝都電鉄へと改称します。
1934年に現在の京王井の頭線にあたる渋谷急行電鉄を開業させました。
1936年、帝都電鉄は駒込-洲崎の建設を断念。
大井町-駒込の開業を目指しはじめますが、1937年に日中戦争が勃発してしまいます。
資金源の確保も厳しくなっていき、ついにこの計画は頓挫することとなりました。
その後帝都電鉄は1942年に大東急へ統合、1948年に解体されたのち「京王帝都電鉄」へ名称が変わり、1998年に「京王電鉄」となり現在に至っています。
幻は夢へ…
いかがだったでしょうか?
今回紹介した東京山手急行電鉄の計画を肌で感じられる場所が東京・明大前にあります。
こちらの写真、奥の橋の下に4つの空間がありますね。
右二つは京王井の頭線として使用されていますが左二つはまさしく東京山手急行電鉄が開通した時のために建設されたと言われています。
本気で開業させようとしていたことが伺えますね。
さて、こちらの計画ですが何か見覚えがあるな、と思った方。
そう、以前まとめた「エイトライナー・メトロセブン」の路線図とかなり似ているのです。
今や幻となった東京山手急行電鉄ですがエイトライナー・メトロセブンとして生まれ変わって開通してくれると嬉しいですね。