東海道本線でEF58をメインに撮っていた頃、EF60をついでに撮る中で、EF60が来たと思ってシャッターを切ったが、よくよく見るとEF65ということがたびたびあり、「EF65一般型はついでのついで」と、以前このブログで書いたことがあった。

そのEF65であるが、大別して3タイプ又は4タイプに分類できよう。まずは0番台(一般型)と称される貨物用。次にEF60500の後を継いで東海道ブルトレ牽引の任についた500番台、いわゆるP形。この500番台には高速貨物用として増備されたF形もある。そして、客貨両用で重連運転時の総括制御が可能な1000番台のPF形。現在でも車籍があるのは、JR東日本ぐんま車両センターの501号機(P形)と、JR貨物・東・西に残るPF形である。これらは今なお人気が高い。

↓東京貨物ターミナル付近を行く135号機の単機。このあたりの景色は激変している。(1983.11)

↓東海道貨物線横浜羽沢・大船間の猪久保トンネルを抜けて下る119号機牽引の貨物列車。東戸塚に程近いこのあたりは東海道本線の清水谷戸トンネルも含め撮影適地だった。(1983.11)

↓根府川の白糸川橋梁を渡る貨物列車。当該列車よりも鉄橋のたもとで上京するプルトレを狙う鉄チャンに注目。当時はこれでも激パと言えた。(1982.12)

これに対し、一般型は今も昔も人気がない。その理由はいろいろ考えられるが、僕は理由のひとつに塗装があると思っている。一般型をP形と同じ塗り分けにしたらさぞかし人気を博したことだろうと当時から思っていた。一般型に比べP形の塗装は手間がかかるだろうし、地味な用途の貨物用機にそこまでする必要はないということもわからないではない。しかし、貫通扉のない電機の正面の塗り分けはP形に如くはないと思うのである。なんなら側面のクリームのラインなどなくてもいいから、試行的にでもやってもらいたかった。

↓三島・函南間をいく若番3号機。スカート上部にある通風口は初期車の特徴。架線柱がまだ木製の頃。(1982.3)

↓三島・函南間の撮影名所竹倉だが、あいにく富士山は霞んで望むことができなかった。(1981.12)

↓三島・函南間では竹倉のほかにも富士山をバックに捉えられる場所があった。(1981.12)

余談になるが、PF形の塗装は僕の好みでいうとイマイチである。PF形のような貫通扉のある電機の正面はEF62〜64のように窓下だけクリーム色という塗装の方が顔が引き締まってみえるような気がする。(以上、個人の見解です。)

↓参考までにEF65PとPF、EF641000の塗り分けがわかる写真を掲げるので、本文に記した塗り分けをご想像願いたい。

話を戻して、二つ目のEF60とEF65一般型をどうやって見分けるのか。最近になって調べたところでは、EF65一般型の初期車は通風口がスカート上部にあるのに対し、2次車以降は尾灯斜め上にあるのがEF60との外観上の違いのようだ。また、3次車以降はスカートの機関士側に足掛け用の切り込みがあることも特徴らしい。しかし、初期車は屋上モニター屋根の形状以外にEF60とほとんど外観の違いがないようで、見分けがつかないのも当然といえば当然といえる。今となってはどうでもよいことではあるが…

↓東海道本線に復活つばめが走った日、仲間と共に三河大塚・三河三谷間の斜面に朝から陣取った。つばめを待つ間に線路端まで降りて66号機の牽く貨物列車を撮影した。巡回してきた国鉄保線職員にここでつばめを撮ってよいかと尋ねたが、(当然ながら)ダメと言われた。(1981.7)

↓冬の関ヶ原のどんよりとした空の下を走る87号機牽引のコンテナ貨物列車。(1981.12)

↓早朝の柏原・近江長岡間にて。手前の線路を走る長い貨物列車が通り過ぎるとすかさず10号機の牽くコンテナ列車がやってきた。(1981.12)

↓上の写真と同じ日、伊吹山の麓を単機の111号機が駆け抜けていった。(1981.12)