どうもどうも、けいです。

 

「高校では何をしていましたか?」という問いに対して、

「地域の魅力を発信する活動をしていました」と答える私。

…ウソじゃないんですが、事実ではあるんですが。

なんかウソを言ってる気分。

 

そんなことから始まったブログシリーズ第22弾。なんと最終回です

最後を飾るのは市振駅です。

 

ではでは、どうぞよろしくお願いします。

 

22-1.市振駅 概要

市振駅は、新潟県糸魚川市にあるえちごトキめき鉄道の駅です。

日本海ひすいラインあいの風とやま鉄道線が乗り入れる駅です。

 

駅構造は島式1面2線で、親不知駅ほどホームは狭くありません。

ホーム番号の案内は公式にはないため、この記事では「山側」「海側」と表します。

山側ホームが上り富山方面、海側ホームが下り糸魚川、直江津方面です。

 

あいの風とやま鉄道線の終着駅および日本海ひすいラインの始点駅ですが、

当駅の設備が拠点駅とするにはあまりにも無理があるほど小規模なため、

基本的には両路線を走る旅客列車の境界は2つ先の泊駅に設定されています

 

この駅にも接近メロディーと発車ベルの設備があります。

接近メロディーは親不知駅と同じく島式型の警報機が設置されており、

山側富山方面ホームは「村の鍛冶屋」新音源、

海側直江津方面ホームは「エリーゼのために」新音源に設定されています。

また、両方向から同時に列車が接近した際には

アニーローリー」新音源に上書きされます。

 

接近メロディーの設定が親不知駅と上下逆であることから、

「警報機を親不知駅と逆に取り付けてあるだけなのでは?」という声もあります。

 

一方の発車ベルの設備は全くと言っていいほど使われておらず、

一説によるとスイッチを押しても既に鳴らなくなっているとされています

海側直江津方面ホームは運転席横にベルスイッチがあるのですが、

そもそも乗務員室から出てくる運転士がおらず、押されません

(窓から顔をひょっこり出して安全確認するだけ)。

 

駅の横には2本の側線が敷かれていますが、繋がっているのは直江津方面のみで、

富山方面への線路は切られています。

 

なお、当駅は新潟県で最も西にある駅です(東経137度39分2.03秒)。

余談ですが、新潟県最北端の駅は羽越本線・府屋駅(北緯38度30分50.59秒)、

最南端の駅は妙高はねうまライン・妙高高原駅(北緯36度52分19.8秒)、

最東端の駅は米坂線・越後金丸駅(東経139度39分48.71秒)です。

 

※越後金丸駅は2022年8月の豪雨で路線自体が被災し長期運休中で列車が来ないため、

列車が毎日来る最東端駅を考えると磐越西線・豊実駅(東経139度34分34.56秒)となります。

 

22-2.市振駅 駅設備

市振駅は地上駅ですが、駅舎とホームは直結しておらず、

両施設間は構内踏切で連絡しています。

 

駅舎内はベンチとごみ箱くらいしかありません。

窓口跡らしきものがありますが、無人駅なので掲示板で塞がれています。

市振駅は1985年に無人化されています。

券売機もないので、列車乗車時は整理券を受け取る必要があります

 

2023.12.5追記

市振駅駅事務室は11月末より、元改札部分を利用して

「えちごトキめき鉄道応援団」が運営する「出張ジオパル」となりました

改札部分の窓口を塞いでいた掲示板は撤去され、

改札出て左手の旧駅事務室入口より入ることができます。

 

糸魚川ジオステーション「ジオパル」には多くの鉄道資料がありますが、

一部は館内に展示しきれず余らせていたことから、

市振駅に移設(「借りる」という扱い)し展示が始まっています。

11月23日からは入場券の販売も行っています。

 

開設は不定期のため(運営の方も本業があるでしょうし)、

訪問の際はご注意ください。

また、2024年1月9日~3月末頃の観光急行の運休中は、

展示コーナーも同時に休業となります

 

市振駅には渡り線や絶対信号機があり、停留場ではないことが分かります

駅の前後には片渡り分岐器が設置されており、

高波発生時は山側ホームに列車を迂回させて海側ホームの使用を回避します

急行2号と急行4号(厳密にはその普通列車区間)は

このうち直江津方の分岐器を使用し、直江津方面に折り返しています。

 

えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の資産上の境界は

新潟県と富山県の県境付近にあり、

市振駅自体もえちごトキめき鉄道の管理ですが、

営業上は当駅を境にして運賃形態が変わります。

その新潟県と富山県の県境は当駅から西方に1.4kmのところにあります。

 

駅の敷地内には赤レンガ小屋があります。

これは「ランプ小屋」とも呼ばれ、

かつて列車内の照明などが電気ではなく灯油だった際に、

その燃料を保管するために各地に造られました。

灯油などを扱う関係でレンガ造りになっているのが特徴です

(木造だと簡単に引火して吹っ飛んでしまいます)。

 

現代では必要なくなったことで撤去が相次いでいますが、

えちごトキめき鉄道線内では二本木駅と市振駅の2ヶ所に残っています。

 

トイレですが、改札外に1ヶ所あります

駅を出て左手に別棟として置いてありますが、

水洗トイレではないので抵抗感がある方は注意が必要です

 

当駅付近の津波避難場所も記しておきます。

当駅は海抜8.3mの位置にあり、駅舎は浸水想定区域に入っていませんが、

ホームまで来ると1m以上の浸水想定がされています。

また、想定断層の位置から、

第1波到達に津波警報が間に合わない(2分程度)と思われるため、

駅周辺で大きな揺れを感じたら

避難を躊躇わず直ちに以下の場所に避難してください

・長圓寺(13.9m)

※詳しい場所は糸魚川市のハザードマップをご覧ください(カッコ内は海抜高度)

 

22-3.市振駅 周辺と駅の歴史

市振駅は天険「親不知子不知」を抜けた市振地区に位置します。

当駅から糸魚川方面を見ると、

すぐそこから断崖絶壁が続いていることが分かります。

 

親不知子不知は軍事拠点にも使われたことがあります。

代表的なのは1221年の「承久の乱」です。

さあ皆さん2022年大河を頑張って思い出してください

 

まず、承久の乱とは何だったでしょうか?

時の後鳥羽上皇が鎌倉幕府を潰さんとして、

第2代執権北条義時討伐の宣旨、兵を出したことに対抗し幕府も挙兵

結果として鎌倉幕府が勝利し、朝廷が敗れた一戦です。

演者の顔くらいは思い出しましたか?

 

鎌倉幕府はこの時3手に分かれて兵を進めていました。

東海道を10万騎、東山道(現在の中央本線沿い)を5万騎、

北陸道(現在の信越本線~北陸本線)を4万騎で侵攻します。

このうち北陸道方面の4万騎には、

執権北条義時の次男・北条朝時が大将として就きました。

 

5月30日、朝時は越後国府(現在の直江津)に到着しますが、

軍は既にさらに西へ進んでおり、「蒲原」という地域に到着していました。

この「蒲原」は諸説あるものの、現在の歌外波・市振地区だとされています

 

この日、親不知付近で朝廷軍と幕府軍が会敵。

これは承久の乱で最初の交戦だとされています

結果は幕府軍の勝利に終わったとされ、

幕府軍はさらに西へ進撃することになります。

 

朝廷側は親不知子不知の急峻な地形を活かして、

幕府軍を有利に迎え撃つつもりだったことが推測できます。

もっとも瞬く間にこちらが蹴散らされる結末に終わったが

 

同日夕方には幕府軍が宮崎城(現在の越中宮崎駅周辺)をも攻め落とし、

越中国へなだれ込みます。

6月9日には越中国と加賀国の境に位置する砺波山で朝廷軍を破っています。

 

以降もこの地は越中国と越後国の境として機能し続け、

後世は関所が市振に置かれることになります。

 

市振地区にはかの松尾芭蕉も宿泊したとされ、

市振で詠んだ句が『おくのほそ道』に掲載されています。

 

一家ひとつやに 遊女もねたり 萩と月

 

駅付近にある長圓寺にはこれを記念した句碑が置かれています。

 

明治維新後は明治~大正期にかけて鉄道がやってきます。

これが1912年なのですが、市振駅を回っていると妙なことに気がつきます。

建築財産票が1908年になっているのです

写真が見つからなかったので後で載せます

 

竣工から路線の開業まで4年の差があるのは、

この駅が工事用の基地としての役割も兼ねていたからとされています

既に竣工から115年は経っていますが、いまだに改築されずに残っています。

 

なお、国やえちごトキめき鉄道は駅舎の歴史的価値を認め、

2022年11月にランプ小屋と親不知駅駅舎ともども

国の有形文化財に指定されましたもうなんでも文化財になる勢いである

 

さて、この地域の奇妙な立地についてもお話ししましょう。

市振地区は新潟県糸魚川市に位置していますが、

駅の1.4km西方からは富山県朝日町になります。

 

しかし、市役所までの位置を見ると逆転現象が起きます

市振駅から糸魚川市役所までが22km程度なのですが、

行政区画上は隣町となるはずの朝日町役場までは9.7kmしかありません

親不知子不知をえっちらおっちら越えて糸魚川市役所に行くより、

逆走して朝日町役場に行った方が近いのです。

 

しかし行政区画では糸魚川市の区分ですので、

それが分かっていながら各手続きは糸魚川市役所まで行かねばなりません。

朝日町役場では手続きができませんからね。

 

また、県庁までの位置を見ても恐ろしいことが分かります。

市振地区は新潟県に位置しています。

しかし市振駅から新潟県庁までの距離は185km

これは実に東京都庁から栃木県の那須塩原市役所までの距離に相当します。

 

では、北陸方面の県庁はどうか?

そう思って市振駅から富山県庁までの距離を調べてみると、なんとわずか65.2km

同じく石川県庁までの距離も118km

福井県庁までの距離までを調べるとようやく198kmと、

なんと市振駅から新潟県庁までの距離で金沢旅行に行けるという

とんでもないことが起きているのです。

 

これを逆に言えば、金沢市から新潟市まで自動車で向かっている際、

新潟県に入った時点ではまだ半分も走っていないことを意味します

 

よく「北陸自動車道で北陸から新潟市を目指す際、

新潟県に入っても気を抜くな」と戒められる所以がここにあります。

 

また、文化的にも糸魚川市街地と差異があるようで、

ポリタンクの色は(市街地は)、餅の形は丸(市街地は四角)であるようです。

ポリタンクは赤が東日本仕様、青が西日本仕様で、

餅は四角が東日本仕様、丸が西日本仕様となっています。

 

市街地と市振地区で文化の違いがあるのは、

やはり親不知子不知の存在が大きいでしょう。

市振地区から見れば親不知子不知をわざわざ越えるよりも、

反対の富山県と交流した方が楽だったのです(距離的にも近いし)。

だからこそ富山県の文化が流入した一方、

糸魚川市街地の文化は入ってこなかったのです

(近年は糸魚川市の文化も入ってきており、

赤ポリタンクを使っている家庭も多くなっています)。

 

空気的にも、親不知子不知を越えて市振にたどり着いた時、

そこはもう新潟県ではないような雰囲気になります。

 

しかし市振地区には富山県と決定的に違うものがありました。方言です

 

市振地区と境地区では方言が違い、言葉が通じなかったとされます

そのあたりの事情は新潟県に近く、市振地区は新潟県になった、とされています。

 

なんとも面白い立ち位置の市振地区。

急行で降り立つ方はそんなことも頭に入れると面白いかもしれません。

 

なお「市振」という地名の由来ですが、

越後に入る振り出しの地」という説がよく見られます

(親不知子不知を指す「厳しい縁(イツ・フリ)」にある集落だから、

という説もあります)。

筆者はよくふざけて「市ブリブリブリブリュリュリュリュリュリュ!!!!!!ブツチチブブブチチチチブリリイリブブブブゥゥゥゥッッッ!!!!!!!あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!」などと抜かしていますが、

多分そのうち処刑されます

 

22-4.市振駅周辺の施設・名所

・市振漁港

市振地区にある小規模な漁港です。

新潟県最西端の漁港で、アジ、イカ、タコなどが釣れるようです。

 

かつての市振地区はやはり漁業で生計を立てていたのでしょうか。

 

市振駅から徒歩8分です。

 

・市振関所跡

越中国と越後国の境にあった関所です。

江戸時代には各地に関所が設けられ、通行人の取り締まりが行われましたが、

そのうちの1つがこの市振関所でした。

 

松尾芭蕉は『おくのほそ道』にてここ市振に泊まったと記しており、

一家ひとつやに 遊女もねたり 萩と月

という句が掲載されています。

 

芭蕉が泊まったのは「桔梗屋」という建物で、

現在でも桔梗屋跡地には印が立っています。

 

また、地内には「弘法の井戸」というものもあります。

あくまで伝承ですが、かつて弘法大師が市振の茶屋を訪れて水を頼んだ際、

茶屋のお婆さんは1kmも離れた場所から水を汲んできたのです。

弘法大師はこれを憐れみ、

持っていた杖で足元を三度突いて井戸を作ったとされます。

水なんて隣にいくらでもあるだろって?弘法大師を塩分過多にするおつもりか

 

関所跡付近には市振小学校がありましたが、2018年に閉校となっています。

また、市振海水浴場も近くにあり、透き通った水を求めて海水浴客も訪れます。

 

市振駅から徒歩7分です。

 

・道の駅 越後市振の関

国道8号線沿いに位置する、新潟県最西端の道の駅です。

というか市振地区の施設は基本全部新潟県最西端です

 

1994年に「玉ノ木情報ターミナル」として整備されました。

現在は売店や食堂などもあり、

特に食堂では郷土料理「たら汁」が提供されています。

 

たら汁は隣接する宮崎・境地区の名物で、

かつて漁師が船上でスケソウダラをぶつ切りにして食べていたのを、

家に戻って家族とともに食べるのが慣わしとなった際に定着したようです。

たら汁は家庭料理でしたが、海水浴客や温泉客などに提供したところ好評で、

一気に有名になったとされています。

 

越中宮崎駅周辺では「たら汁」と書かれた看板を多く見ることができます

地域的に近い市振地区でもたら汁の習慣があったかは分かりませんが、

道の駅で提供されるのは近傍だからというものが大きいでしょう。

 

新潟県に入って一区切り、または親不知子不知を抜けてきたということからか、

大型トラックが立ち寄っているのもよく見かけます。

 

市振駅から徒歩8分です。

 

・新潟、富山県境

新潟県の県土面積は実に全国5位。

並べてみると九州の縦幅や東京~名古屋間に匹敵するほどです。

 

そんな新潟県の最果ての最果て、日本海の荒波が聞こえる場所に、

新潟県と富山県の県境があります。

 

ここから先は正真正銘の北陸地方。

魚がうまい。温泉がある。立山や兼六園、恐竜が見られる。そんな北陸地方です。

 

新潟県と富山県の県境にあるのが、二級河川の「境川」。

ここから東は新潟県、西は富山県です。

 

鉄道は2015年まで同じ会社でしたが、

北陸新幹線開業以降はこの場所で会社が分かれることになります。

この先はえちごトキめき鉄道ではなく、富山県の第三セクター

「あいの風とやま鉄道」です。

越中宮崎、泊、入善…と駅は続いていきます。

 

すなわち、ここから先はこの連載記事が扱う範囲の外、というわけです。

いつか記事にするかもしれませんが、

今はぜひ皆さんの目で地域の魅力や特産品を確かめてもらえればと思います。

 

市振駅から徒歩18分で、さらに46分歩くと越中宮崎駅に着けます。

 

 

 

 

 

 

というわけで市振駅の紹介でした。

 

これにて22回続いてきたえちごトキめき鉄道の各駅紹介(ブログver)は終わりです。

ぜひこの情報をもとに上越地域を訪れて、

自分の「好き」を発見してもらえればありがたいです。

ここまで見てくださり、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

…と思っていたのですが。

路線全体の概要も書きますかね?