今日10月28日は群馬県民の日。
群馬県民の日が制定されたのは1985年。当時の国鉄は県民の日を記念して群馬県内の国鉄各線を乗り降りできるフリー乗車券を発売した。
その頃私は中学生だった。学校は休みになり、フリー乗車券を使って日帰り旅行に出かけた。

 

 

 



↑ これが群馬県民の日を記念して初めて発売されたフリー乗車券。
券面の左半分には115系と鶴が描かれている。「JNR」と高崎鉄道管理局の文字も懐かしい。フリー区間にはわたらせ渓谷鉄道の前身の足尾線も含まれていた。
値段は800円。運賃が今より安いうえ、消費税もない時代だった。なにより、機械が自動発行するのと違い、手作りの切符の温もりが感じられる。保存にも向いている。切符の右下には鋏で切り落とされた跡がある。昔は改札口で駅員が切符を切るのが常識だった。自動改札やスイカが当たり前の今では隔世の感がある。
ちなみにこの年は信越線や上越線に乗った。





↑ 翌1986年のフリー乗車券。
図柄は115系と妙義山。群馬県民なら妙義山と聞いてすぐわかるが、他県の人にはわからないだろう。
翌年に国鉄はJRになるため、「JNR」と高崎鉄道管理局の文字もこれで見納めとなる。
運賃は1000円に値上げされた。中学生の小遣いにとって200円の値上げはきつかった。たくさん乗った分だけ得をするので、午前中に上越線の土合まで往復し、午後は吾妻線の大前まで往復した。朝から日が暮れるまで乗り続けたわけでずいぶん欲張ったものだ。





↑ 国鉄からJRになって2年目、1988年のフリー乗車券。
この年は足尾線に乗った。足尾線は1989年4月からわたらせ渓谷鉄道に移行されることが決まっていたから、足尾線がフリー区間に含まれるのはこれが最後となる。券面には「大間々」「足尾」の途中下車印が捺してある。図柄は211系と榛名富士となっている。

その後、大人になって会社に勤め始めると、県民の日は休日にはならなくなった。次第に県民の日そのものに関心を持たなくなってきた。久しく忘れていた昔の切符を眺めながら、ささやかな日帰り旅行を思い出してみた。