番外 現在「あそぼーい」用キハ183系気動車で運行、かつて存在、長崎~佐世保間特急「シーボルト」 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 上の画像1は、これまでも当ブログでもご紹介しております、長崎県佐世保市の玄関口にあります佐世保駅にあります佐世保駅の年表であります。
 
 この年表は開業110周年にあたります平成20年に掲示されたものでありまして、それ以降にありました動きとしまして、翌平成21年に再開されましたMRのJR乗り入れや(令和2年に再び定期列車乗り入れ廃止)、翌22年に設置されます自動改札機、平成27年に運行開始となりました「或る列車(現在は運行区間変更)」などもあっておりまして、これから15年の間にも様々な動きは見られております。
 
 特に大きな動きとしましては、令和2年8月にはその年の3月改正で減便がなされていた事もありまして、その下の画像にもありますように5・6番ホームが使用停止となっておりまして、階段・エスカレーターの部分には柵が設けられておりまして、立入自体ができない状態となっております。
 
 使用停止直後は、年表付近まで柵が設けられていた事もありまして、柵の中にありますトイレが使用できませんでしたが、現在は先述のように階段・エスカレーター部分に柵が掛けられた事もありまして、トイレも使用可能となっております。そのため、上の画像2・以下画像のように待合用の椅子も設けられておりまして、ホームに上るまでの間に利用される方もいらっしゃっております。
 
 
 さて、今回ここからご紹介しますのは、その年表に書かれておりました列車に関しましてご紹介しますが、それが年表にもあります、平成11年~平成15年まで大村線を運行しておりました、長崎~佐世保間の特急「シーボルト」に関しまして皆様にご紹介してまいります。
 

 この「シーボルト」とは、名称からもわかる方もいらっしゃるのではないかと思いますが、長崎にやってきまして、本来の仕事の傍ら、西洋医学(蘭学)の教育も行いましたドイツ人医師でありますシーボルトから愛称を取っておりまして、長崎と大いに関係がある事からこの愛称が付けられていたようであります。
 

 そんな大村線と言いますと、長崎~佐世保間におきまして快速・区間快速「シーサイドライナー」が運行されておりますが、その「シーサイドライナー」の特急版として生まれましたのが「シーボルト」であります。この大村線を走ります優等列車は、昭和63年に廃止されました、冒頭の急行「平戸」以来11年ぶりでありましたが、大村線を走ります特急列車としましては、早岐~ハウステンボス間の1区間を運行します「ハウステンボス」を除きましては初めてでもありました。

 この「シーボルト」の停車地は・・・

 佐世保~早岐~ハウステンボス~川棚(H13~)~大村~諫早~浦上~長崎
 
に停車しておりました。
 

 この列車の使用車両は、現在は熊本~阿蘇~大分・別府間の観光特急「あそぼーい!」に使用されております、画像にもありますキハ183系1000番台気動車でありまして、編成自体は4両編成で運行、座席も1号車(その後4号車)の一部車両が指定席であった以外が全車自由席でありまして、最も売りとされておりました展望車も自由席と言う扱いで運行されておりました。
 
 しかも、塗装が当初小倉・博多~佐世保間で運行されておりました「オランダ村特急」と同じ「トリコロール塗装」となっていたのが特徴でありまして、一度なくなった塗装が復活すると言う形でありました。それでも、側面には「SIEBOLD」などの表記がありまして、「オランダ村特急」とは違った姿も見られていたのが特徴でもありました。
 
 ちなみに、上の画像は平成12年に旧小倉工場(現・小倉総合車両センター)で撮影していたものでありましたが、このように小倉工場入場時にはキハ185系気動車が代走で走っておりまして、1編成しかありませんこのキハ183系気動車をサポートする姿も見られておりました。
 
 (参考画像、平成20年「ゆふ」運行時撮影)
 

 そんな「シーボルト」も、別途特急券が必要であった事や、元々出力が高いキハ58系・キハ200系各気動車が「シーサイドライナー」に使用されていた事から、速達効果自体も薄かった事で利用客は伸び悩みまして、結局平成15年の改正で廃止となってしまいまして、以来現在まで大村線ではハウステンボス駅以南では特急列車は運行されておりません。尚、この廃止後は「シーサイドライナー」は再び増発、「シーボルト」時代のダイヤもカバーするに至っております。
 
 (現在の「シーサイドライナー」)~YC1系気動車
 

 その後のキハ183系1000番台気動車は、以下画像のように「ゆふDX(博多~由布院~大分~別府間)」→「あそぼーい!」と変化しまして現在に至っております。しかも、塗装もこれまで5回も変更されておりますし、「あそぼーい!」になりましてからは車内も大きく変化しておりますので、その分運行区間の変化が生じてしまった事も仕方がない所ではないかとも思う所でもありましょうか・・・。
 
 (「ゆふDX」(黄色時代))
 
 (「あそぼーい!」)
 

 私自身、これまでも何度かその「シーボルト」に乗車する事ができておりました。その際は必ず最前部の展望席を陣取りまして眺めをよく堪能しておりましたが、中でも大村線沿いの大村湾の眺めや、長崎線の長~い長崎トンネル内の姿をよく見ていたものでしたが、そういった味わいができなくなったのは残念でなりませんでした。何と言いましても、自由席であったのが特によかったのではないかと思いますので。
 

 今回は、かつて存在しました特急「シーボルト」に関しましてご紹介しましたが、考えてみましてもこの列車自体が「シーサイドライナー」の格上げとして運行されていた事を思いますと、観光目的であった方もそう多くはなかったのではないでしょうか。恐らくは今ならば観光列車的な利用もできていたと思われるだけに、この運行されていた頃はそういった考えがあまりなかった所からも短命で終わる結果にもなったのではないかと思います。とにかく、この「シーボルト」が既に観光列車として運行していたのならばもしかしたら短命で済む事もなかったのでは?とも思ってならない所でもありましたでしょうか。
 
 (注)当時の撮影技術上、画像が粗い部分もあります事はご容赦ください。