今日は西武2000系撮り鉄ネタです。最後の初期形6連2031F引退前に急行運用に入ったので最後の撮影をしてきました。6連に減車された2077Fも初撮影の機会があったので合わせて書いてみます。

 

いつもご訪問頂きありがとうございます。以下本編です↓。

 

引退~廃回イベントから1週間ほど経ちましたが、10月に入ってから新2000 4連と組んで急行運用(朝だけ)に入ったのが分かったので見送りに行って来ました。2507F2031Fの10連です。行先LED表示を極力”スジらせない”よう1/250sec撮影、普段通り元気に走り去って行きましたが..この急行 新所沢行が最後の定期運用だったんじゃないかと思います。初期形主体の編成も見納めです。自分を含め4名での撮影、お疲れさまでした。

 

西武線アプリでは有り難いことにアイコンが細かく分けられて表示されます。写真は国分寺線運行時のものですが、初期形+新2000の併結運転では両数の多い方が表示されるようなので、初期形6連が2031Fだけになってからはアプリチェックすればどこを走っているかすぐに分かりました。上記撮影後も気になってちょくちょくチェックしていましたが、新宿線に初期形アイコンを見ることはありませんでした。

今や2連×3本だけになった初期形、編成端に連結される列車には初期形アイコン表示にしてくれるといいかな~ と思います😁。

 

初期形は1977年3月、トップナンバー2001Fの試運転から見ています。写真は”新車ガイド”掲載の鉄道ファン誌です。初の回生ブレーキ付界磁チョッパ4ドア通勤車、レモンイエローが眩しい期待の新車でした。

 

写真は試運転を見た場所に赴き、当時の記憶に近い写真を撮ってみようと撮影したものです↓。登場時の2001Fも6連、営業前の試運転~今回の6連最終運用?まで見送れてよかったかな?と思います。あれから46年、2連の増結編成は残りますが、初期形のみ/初期形主体の編成は終焉を迎えました。46年間お疲れさまでした。

 

 
[追記]丁度2年前の10/11にはトップナンバー2001F引退の記事をUpしていました↓。
2031Fの本川越、拝島方先頭車クハ2032の車番、銘板を撮影していました。田無の追突事故廃車を受けて追加製造されたと聞く2031F 昭和62=1987年登場ですから2001Fより10年も若い車両でした。36年間活躍しました。西武所沢工場製の銘板を掲げる編成も少なくなってきた気がします。
 
その2031Fの代わり?として8連から2両減車されて運用に入り始めた2077Fの撮影機会がありました。パンタグラフ2基の6連は初登場かと思います。
 
この角度では皮1枚しか写りませんでしたが😅矢印;パンタ台座が黄色く塗られているのは高圧母線引通しの表示、なので他の6連のようにダブルパンタにする必要は無かったのかな?と思います。
 
2200番台が抜かれて2100、2300番台のモハが残った編成も初登場と思います。床下にどっちも写っていますが、CP(右端)やSIV(左)を持たないモハ2278を抜いたためでしょうね。
 
2077Fは更新車で戸袋窓無し..初期形のサイドビューを彷彿とさせます。右に入ってきたのは貫通扉小窓の2051Fです。来年には小田急8000系と並ぶ姿が見られるようです。2000系が減るのは自分にとって喜ばしくないことですが😞、小田急8000は鋼製車なので西武イエロー全面塗装ならそれはそれで面白いかも..😁。
 
撮影を終えて乗車したのは2049Fでした。方向幕で残っていますね。そういえばクハ2050のつり革がハート形だということで一旦見ておこうかな?と思いましたが..
 
普通のつり革だったと思います。乗車が短かったので端から端まで確認できたわけではないですが..車番を絡めて撮影してみました。写真の後方も白く丸いつり革が並んでいたように見えました。
 
西武2000系初期形はそう遠くなく全廃を迎えるんでしょうけど、新2000系にはまだまだ頑張ってもらえたら と思います。
 
最後までご覧いただきありがとうございました。
 

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