本日は,幼稚園・小学校の遠足について振り返ってみたいと思う。

幼稚園・小学校の遠足で行った場所は色々である。その中には惜しまれつつも閉園・閉館した遊園地や水族館,遠足の時に初めて乗った電車,降りた駅など,様々なエピソードがある。

 本記事では,そんなエピソードを交えながら幼稚園・小学校の遠足の思い出を述べていきたい。

①幼稚園

 (1)年中クラス

 ・「親子遠足」(「江ノ島水族館」)

  小田急線の南林間駅に集合して,列車で片瀬江ノ島駅まで直行。

水族館を見学してきた。当時は展示施設が複数に分かれていた。この遠足の翌日に流行性角結膜炎に罹患するとは,誰も予想しなかったことであるが。とはいえ,免疫力の弱い幼児が幼稚園の集団生活の中で色々なウイルス・細菌を体内に取り込んでいるかもしれないことは想像に難くない。

 (2)年長クラス

 ・「親子遠足」(「京急油壺マリンパーク」)

 本来の予定では横浜市金沢区の「金沢動物園」であったが,雨天のため「京急油壺マリンパーク」に変更となった。

 観光バスに乗車して向かったが,道路の渋滞が激しく,現地滞在時間は2時間しかなかった。現着後,集合写真撮影,イルカショー鑑賞し,昼食。その後,再び観光バスに乗車して幼稚園まで戻り,帰宅した。

 「京急油壺マリンパーク」は令和3(2021)年9月30日に惜しまれながら閉館した。年が明けて令和4(2022)年1月24日,同施設の敷地内に「京急油壺温泉キャンプパーク」が開業した。

 「京急油壺マリンパーク」は幼稚園の遠足から4年半後の平成10(1998)年秋に初めてプライベートで母・妹と行った。そこから何回かプライベードでも行った。これにより,京急線の横浜~三崎口間を乗車した。おそらく,2100形や新1000形のシーメンス製GTO-VVVFインバータ制御装置の「ドレミファ」音,三菱や東洋電機のGTO-VVVFインバータ制御装置・主電動機の音も聞いている。

 プライベートで「京急油壺マリンパーク」に行った思い出の中で鮮烈なのはイルカショーでイルカとのふれあいを志願して,ショー終了後にオリジナルのぬいぐるみをもらったことである。平成12(2000)年3月のことである。当時もらったぬいぐるみは現存しており,自室に置いてある。

  

※「京急油壺マリンパーク」でもらったイルカのぬいぐるみ「ラインちゃん」  

 

・「お別れ遠足」(「横浜ドリームランド」)

 幼稚園卒園を目前に控えた平成7(1995)年2月,神奈川中央交通のバスを貸し切って,「横浜ドリームランド」まで行ってきた。この「お別れ遠足」は園児と先生方だけで行ってきた。

 「横浜ドリームランド」は平成14(2002)年に閉園した遊園地である。こちらはプライベートで1回だけ,平成12(2000)年に母・妹と行ったことがある。

  

②小学校

 (1)1年生

  【春】

  「かにが沢公園」

 小学校に入って最初の遠足は徒歩遠足で,「かにが沢公園」まで行ってきた。「かにが沢公園」は座間市役所のHPによると「相武台前駅から徒歩10分」とある。大きな滑り台で遊び,昼食に弁当を食し,帰ってきた。

  【秋】

  「こどもの国」

  秋の遠足は観光バスで「こどもの国」まで行ってきた。

牛乳工場を外から見学したり,アスレチックで遊ぶなどした。10月下旬の頃に行ってきた。

  「こどもの国」は,プライベートでは幼稚園(年中)の夏休みに母の実家(南町田)へ泊まった時に行ったり,小学校の春休みにイトコたち・伯母・母・妹と行ったこともある。プライベートで行ったときは牛乳工場直営の売店でソフトクリームを食べた。

 (2)2年生

  【春】

  「多摩動物公園」

  2年生の春は,観光バスで多摩動物公園まで行ってきた。

5月の晴れた日で,暑かった。道中,多摩都市モノレールの橋脚が建設中のところを見た記憶がある。多摩動物公園は動物展示の他に「昆虫園」という施設もある。ここでアゲハチョウなどの昆虫を観察することが出来た。当時,昆虫や動物の図鑑をよく見ていたことを思い出す。チョウや蛾,カブトムシ,クワガタ,ハチにも色々な仲間がいて,昆虫世界の奥深さを感じていた。

  【秋】

  「こども自然公園」

  2年生の秋は,小学校の遠足としては初めて列車に乗って行った。

相鉄線さがみ野駅まで徒歩で移動し,二俣川駅まで乗車。ここから徒歩で「こども自然公園」まで行ってきた。ウサギなどの小動物とふれ合える施設,アスレチック施設などがあり,行楽の秋を十分に楽しめる場所である。

 私が「二俣川」という駅名を知ったのも,この遠足が初めてである。

 二俣川駅は相鉄線の本線(海老名方面)と「いずみ野線」(いずみ中央・湘南台方面)の分岐点である。

 当時の相鉄線は,「いずみ野線」は各駅停車のみの運転で,「いずみ中央」駅が終点。本線の列車は早朝・深夜の一部を除き,大多数が急行であった。本線の急行列車は横浜~二俣川間がノンストップで,二俣川~海老名を各駅に停車するというわかりやすい停車駅であった。この時は当然ながら,「二俣川=免許センター(当時の「運転免許試験場」)」という認識は無かった。ただ,駅南口から左近山団地やJRの東戸塚駅へ向かう相鉄バスが多数運行されていて,大きな拠点駅だったことが印象に残っている。

 「こども自然公園」は小学校の遠足以外にもプライベートで2回ほど行っている。1回目は母・妹と,2回目は母・妹・伯母・イトコたちと行ってきた。自宅で弁当を作って,或いは現地に着くまでの道中でおにぎりなどを買って行ったものである。

 (3)3年生

  【春】

  「市内めぐり」

   3年生の春の遠足は,なんと徒歩遠足で「市内めぐり」であった。座間市役所,星谷観音,谷戸山公園と回ってきた。

 座間市役所では庁舎7Fの展望回廊から市内を一望し,星谷観音を見学。谷戸山公園で遊び,昼食に弁当を食して,帰ってきた。今思えば,かなりハードな遠足だったと思う。

  【秋】

  「江ノ島水族館」

  幼稚園(年中クラス)以来の「江ノ島水族館」である。この時は学校から小田急線の南林間駅まで徒歩で移動し,南林間駅から小田急線に乗車。片瀬江ノ島へ向かった。施設は幼稚園の時と同じであったので,割愛する。その後,「江ノ島水族館」はリニューアルされて,平成16(2004)年に「新江ノ島水族館」として再オープンした。

 (4)4年生

  【春】

  横浜

   4年生・春の遠足は観光バスに乗って横浜まで行ってきた。

 生憎の曇り空の中,「横浜ランドマークタワー」69Fの「スカイガーデン」から横浜市内を一望。その後,「横浜マリタイムミュージアム」を見学し,昼食に弁当を食べて帰ってきた。

 「横浜マリタイムミュージアム」は平成元(1989)年に開館した海事博物館で,帆船「日本丸」が展示されていたが,平成21(2009)年に「横浜みなと博物館」と改名されて,リニューアルされた。

 「横浜ランドマークタワー」はプライベートでも何度か行っている。69Fの「スカイガーデン」は2~3回であるが,低層階の「ランドマークプラザ」には「伝統横濱スカーフMarca」へスカーフを求めて,ここ数年,足繁く通っている。「伝統横濱スカーフMarca」では「日本丸」をデザインしたスカーフが販売されており,「日本丸」以外でもマリン柄のスカーフが販売されることも多数ある。

  【秋】

  「生命の星・地球博物館」

  当時,私の小学校では4年生・秋の遠足では弘法山に登ることが通例であったが,「クマ出没」という情報が入り,急遽,行先を変更。神奈川県立「生命の星・地球博物館」へ行くことになった。

 この博物館は地球の歴史と生物の歴史をリンクさせて学べる博物館である。箱根登山鉄道の入生田駅から徒歩ですぐの所にある。

 例によって相鉄線のさがみ野駅まで徒歩,海老名駅まで相鉄線に乗車。

海老名駅から小田急線急行(箱根湯本行き)で小田原から箱根登山鉄道に乗り入れて,入生田駅まで乗車。長い旅であった。

 (5)5年生

  【春】

  遠足なし→7月に1泊2日のキャンプ(「清川自然の村」)

 5年生は春の遠足に行かない代わりに,7月中旬に「清川自然の村」へ1泊2日のキャンプに行ってきた。観光バスで宮ヶ瀬ダムを通過して,折り返し場から「清川自然の村」まで数十分,歩いて行った。現着後,雨が降る中,施設管理者とスタッフの方々からガイダンスを受けた後,持参した弁当で昼食。昼食後,班ごとにバンガローに入り,しばらく過ごした。夕食は班ごとにカレーを作り,飯盒で御飯を炊いた。

 夕食後,「キャンプファイヤー」をやった。3クラスあった5年生であるが,各クラスが出し物として踊りを踊ることになっていた。私のクラスはブラックビスケッツの「タイミング-Timing-」であった。キャンプファイヤー後,就寝中に下肢の痛みで目覚めて,流涙。おそらく,筋肉痛か筋痙攣と考えられる。

 2日目は朝食にパンと牛乳を食し,帰路についた。ちょうどこの頃,小田急ロマンスカー3100形「NSE」がラストランを迎え,退役したことを付け加えておく。

  【秋】

  鎌倉

  5年生・秋の遠足は班別行動という形式で,出発から帰還までの行程を事前に策定して,実行に移すというものである。もちろん,江ノ電沿線の主な駅や各観光拠点に先生が「チェックポイント」として配置されていたが,それまでの「学年全体で固まって移動する」形式の遠足とは趣が変わった。

 私の班は鶴岡八幡宮と大仏を見学した。班によっては「源氏山公園」や「銭洗弁天」などを見学したところもある。

 (6)6年生

  【春】

  東京(国会議事堂・「科学技術館」見学)

  6年生・春の遠足は雨の中,観光バスに乗って東京まで行ってきた。国会議事堂見学と「科学技術館」見学である。当時の国会における議員定数は衆議院500(小選挙区300・比例代表200),参議院252。内閣総理大臣は,森喜朗氏(小渕恵三氏が脳梗塞を発症し,順天堂大学付属順天堂医院に入院。同氏が執務不能となったことを受けて,就任であった。

 天気は雨であったが,行き帰りのバスの中はカラオケ大会が催された。女子は,おそらく「モーニング娘。」やSPEEDの曲を歌っていたと思われる。いずれにしても雨を吹き飛ばすような盛り上がりであったことは想像に難くない。

  【秋】

  修学旅行(日光・1泊2日)

 6年生の秋は修学旅行として日光まで行ってきた。

 一日目は観光バスで国道246号線,東名高速道路,環状8号線,関越自動車道を経由して群馬県沼田市まで走行し,同市内で昼食。昼食後,金精道路を経由して日光市内へ。華厳の滝日光東照宮を見学して,ホテルに入った。

 夕食に湯波が出てきて,私は歓喜した。テレビでしか見たことない高級食材に修学旅行の旅行先で出会えたことが非常に嬉しかった。

 二日目は「日光江戸村」で班ごとに行動し,各種アトラクションを楽しんだ。昼食は園内の食堂で蕎麦を食べた。

 帰りは日光宇都宮道路,東北自動車道,首都高,東名高速道路,国道246号線を経由して学校に戻ってきた。途中,都内で激しい渋滞があり,首都高を降りて一般道を走行した。首都高を走行中に上野駅を見ることが出来た。