2023.9.25 西武2000系2031F、国分寺線最後の記録② | たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

たいちょ〜の心のつぶやき 第2章

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※最近すっかり鉄道ルポタージュ化してますが、言いたいことを素直に言うという意味でブログタイトルは変えてません。

昨日10月5日で引退、パンタグラフを下ろした西武鉄道旧2000系2031F。

このシリーズは、引退前最後の国分寺線での活躍の記録である。


恋ヶ窪で2417Fと交換した2031F国分寺行きは、少し停車してから僅かな時間差で発車する。

この国分寺行きの発車の微妙な時間差が、この後の撮影行動に重要なヒントとなる。


この日は、日は出ているものの雲も多くなかなか悩ましい空模様。

昼過ぎまで沿線に滞在していたが、始終その空模様には悩まされることとなった。


そして、折り返してきた2031Fを待ち…


今度はここから乗車。


少しだけ、最後の走りを堪能する。

延べ40年余り、すっかり乗り慣れた西武国分寺線故に、今回はひたすら乗ることはしなかった。

2031Fという車号は2代目。

もともとは1979(昭和54)年度に製造された「3次車」だったが、1983(昭和58)年に至り

新宿線各停の8両編成化のために2001・2003・2005・2007Fにモハユニットを供出。

この際に車号を「モハ2301〜2308」に改番している。

またクハ2031〜2034はクハ2410・2412・2414・2416と改番、全車本川越方に方転されて

新製のクモハ2409・2411・2413・2415と新たに2両編成に仕立てられた。

従って、現在も車籍が残るクハ2410は、実は初代クハ2031であった。


1986年の田無事故で、被災した8両が廃車となり…

翌1987年に代替新製されたのが、この2代目2031Fだった。

製造時期の関係から、屋根上の通風器や床下機器類は新2000系と同等のものを採用。

これは2033Fと、2両編成の2417・2419Fも同様のものとされた。

いずれも車体は旧2000系のままという、最後まで異彩を放った折衷仕様車となったのだった。


さて、2031Fは鷹の台に停車。

朝ラッシュは終わり、既に1番線のみの発着となっている。


鷹の台駅北側の交通広場は整備が終わり、すっかり装いも新しくなっていた。

そんな鷹の台駅を発車していく2031Fを見送り…


また4分くらいして、今度は2417Fを迎撃。

こんかいは実質2編成がいる分、多様な撮影行動が可能になっていた。

それも、この9月一杯で事実上終わりを迎えたのである。


またここから、来た道を戻る。


新2000系との併結も、いつまで見られることだろうか。

もっともこの2417Fだと、システム上は新2000系と変わらないのだが。


そして、また恋ヶ窪駅に戻ってきた。


この日の2417Fの場合、恋ヶ窪での交換は新2000系の6両固定編成であった。

やれLED表示だ、戸袋窓を埋めたリニューアル車などと選り好みしてきた時代は、もう終わり。

ここからは、6年くらいかけてしっかり記録を残していかない形式になってきた。

新101系や4000系と共に、腰を据えて対峙せねばならぬ。


かつて構内踏切があったあたりから、2417Fの発車を見送る。


実はまだ、撮影を始めてから1時間ちょい。

まだまだ、仕掛けていくことはたくさんある。