昨日10月5日で引退、パンタグラフを下ろした西武鉄道旧2000系2031F。
このシリーズは、引退前最後の国分寺線での活躍の記録である。
恋ヶ窪で2417Fと交換した2031F国分寺行きは、少し停車してから僅かな時間差で発車する。
この国分寺行きの発車の微妙な時間差が、この後の撮影行動に重要なヒントとなる。
この日は、日は出ているものの雲も多くなかなか悩ましい空模様。
昼過ぎまで沿線に滞在していたが、始終その空模様には悩まされることとなった。
そして、折り返してきた2031Fを待ち…
今度はここから乗車。
少しだけ、最後の走りを堪能する。
延べ40年余り、すっかり乗り慣れた西武国分寺線故に、今回はひたすら乗ることはしなかった。
2031Fという車号は2代目。
もともとは1979(昭和54)年度に製造された「3次車」だったが、1983(昭和58)年に至り
新宿線各停の8両編成化のために2001・2003・2005・2007Fにモハユニットを供出。
この際に車号を「モハ2301〜2308」に改番している。
またクハ2031〜2034はクハ2410・2412・2414・2416と改番、全車本川越方に方転されて
新製のクモハ2409・2411・2413・2415と新たに2両編成に仕立てられた。
従って、現在も車籍が残るクハ2410は、実は初代クハ2031であった。
1986年の田無事故で、被災した8両が廃車となり…
翌1987年に代替新製されたのが、この2代目2031Fだった。
製造時期の関係から、屋根上の通風器や床下機器類は新2000系と同等のものを採用。
これは2033Fと、2両編成の2417・2419Fも同様のものとされた。
いずれも車体は旧2000系のままという、最後まで異彩を放った折衷仕様車となったのだった。
さて、2031Fは鷹の台に停車。
朝ラッシュは終わり、既に1番線のみの発着となっている。
鷹の台駅北側の交通広場は整備が終わり、すっかり装いも新しくなっていた。
そんな鷹の台駅を発車していく2031Fを見送り…
また4分くらいして、今度は2417Fを迎撃。
こんかいは実質2編成がいる分、多様な撮影行動が可能になっていた。
それも、この9月一杯で事実上終わりを迎えたのである。
またここから、来た道を戻る。
新2000系との併結も、いつまで見られることだろうか。
もっともこの2417Fだと、システム上は新2000系と変わらないのだが。
そして、また恋ヶ窪駅に戻ってきた。
この日の2417Fの場合、恋ヶ窪での交換は新2000系の6両固定編成であった。
やれLED表示だ、戸袋窓を埋めたリニューアル車などと選り好みしてきた時代は、もう終わり。
ここからは、6年くらいかけてしっかり記録を残していかない形式になってきた。
新101系や4000系と共に、腰を据えて対峙せねばならぬ。
かつて構内踏切があったあたりから、2417Fの発車を見送る。
実はまだ、撮影を始めてから1時間ちょい。
まだまだ、仕掛けていくことはたくさんある。