僕が大学に入学した1980年の時点で旧型国電が営業で走っていたのは東から大川支線・身延線・飯田線・大糸線・富山港線・福塩線・可部線・宇部線・小野田線・本山支線くらいだった。他にもあったかもしれないが、漏れがあったらご容赦願いたい。このうち風光明媚な路線として人気があったのは身延線と大糸線、飯田線だが、前2路線は訪れることのないまま1981年の夏に新性能化されてしまった。なぜ訪れなかったのか理由はハッキリしていた。当時所属していた鉄研に旧国命男がいて、ちょっとというかだいぶ変人めいていて、それでいてカッチリとした写真を撮る彼の向こうを張るつもりなどサラサラなかったからである。こちらはもっぱら冬の北海道ばかりだったので、あっちから見ればこちらも相当の変人と映ったことだろう。

そんな僕が重い腰をあげて初めて旧型国電を撮りに出かけたのが飯田線である。1981年の1月だった。

このときは前日に雪が降った後で、曇天で雪がまばらに残る中を走る列車という冴えない写真を撮る羽目になった。しかし、撮影ポイントに恵まれていることは実感でき、これは再訪しなければならないと思った。

↑↓1981年1月に初めて訪れた飯田線沿線には前日の雪が残っていた。(飯田線田切ー伊那福岡。以下すべて同区間にて撮影)

次に訪れたのは翌82年の5月だった。以降、その年だけでも7ー8月、10月、11月と立て続けに訪問している。よほど気に入ったとみえる。中でも特に気に入っていたのは田切と伊那福岡の間にある中田切川の鉄橋とその前後の築堤区間である。

鉄道を利用して飯田線北部の伊那谷に向かうときは、各駅停車の441Mではなく、0時前に新宿を出る夜行の急行アルプスに乗車することが多かった。4時過ぎに着く辰野で飯田線の一番列車(222M)に乗り換えると田切には5時半に着く。秋も深まる頃はまだ日の出前で、すごく冷え込む中を撮影ポイントを目指して歩く。三脚をセットして寒さに耐えているとやがて太陽の光が差し込んできて、みるみるうちに背後の中央アルプスの山々を照らしていく。それは荘厳な光景で、今でも鮮明に覚えている。そんな中をやって来る旧型国電や165系を片っ端から撮影するのは至福のひとときであった。

↑↓夜明け前に田切に着き、やってくる列車を撮りまくった。バックの山々は中央アルプス。(1982.10)

↓普段は編成の中に隠れているクモハ53007が編成の先頭に立った。これは珍しいと慌てて東京から駆けつけた。(1982.11)

↓中央アルプスを背に中田切川の鉄橋を渡る。(1983.5)

ここは今でも撮影ポイントとしては健在だと思うのだが、あまり写真を見かけることはない。走る電車にあまり魅力がないということなのだろうか。時と場所とモノ(車両)が揃って初めて名所となるという好例だと思う。

↑↓日が暮れつつある田切の築堤を旧型国電が走りゆく。(1983.5)