おやじのつぶやき

おやじの日々の暮らしぶりや世の中の見聞きしたことへの思い

「わたらせ渓谷鐵道」その7。足尾の街並み。通洞・駅舎・「足尾銅山観光」下車駅・足字銭(足尾銭)・おあし。足尾・海抜640米(㍍)。(関東ローカル私鉄の旅。その7。)

2023-09-30 18:55:13 | ローカル鉄道の旅

町が大きく広がってきます。

「通洞」。

足尾町の中心にあり観光の拠点となる駅で、行楽シーズンには観光客で賑わいます。駅舎は北方ヨーロッパの木造建築技法であるハーフティンバー様式で、柱や梁が外に出ているのが特徴です。駅舎及びプラットホームが登録有形文化財として登録されています。
「足尾銅山観光」は駅から徒歩約5分で、足尾銅山の旧坑道を利用した、江戸時代からの銅山の歴史と仕組みを見学できる施設です。園内には、江戸時代に足尾で作られた「足字銭」の鋳造行程をわかりやすく再現した施設もあります。
「古河足尾歴史館」には、江戸時代から昭和まで日本を支え続けてきた足尾町の移り行く姿を伝える写真など、貴重な資料が展示されています。足尾銅山の真の姿をいろいろな角度から見ることができます。また、併設の「足尾トロッコ館」では、復元されたガソリンカーに乗ることができます(運転日は要確認)。
横根山ハイキングコースは足尾の東南に位置し、横根山(1,373m)を中心とした2市(日光市、鹿沼市)にまたがる波状の起状に富んだ前日光県立自然公園に指定されている高原です。他に古峰ヶ原ハイキングコースなどがあります。

※1 江戸幕府直山の足尾銅山は産銅量の減退に伴い、銅山師達は山元(やまもと)の困窮を救うため、寛保元年(1742)幕府に足尾銅山で「寛永通宝・一文銭」の鋳造許可を願い出、鋳銭することとなりました。

寛永通宝は江戸時代に広く流通した銭貨で、寛永13年(1636)に創鋳、幕末まで鋳造。特に足尾で鋳造の寛永通宝一文銭は、裏に「足」の字が刻まれ「足字銭(足尾銭)」と呼ばれ、お銭(かね)のことを「おあし」と言っていたのも足字銭が語源といわれます。

(この項、「」HPより)

※2 「おあし」の語源

お足は、もとは女房詞。
お金はあたかもが生えているかのように行ったり来たりすることから、お金を「足」にたとえ、女房詞なので接頭語の「お」が付いて「お足」となった。
中国晋時代の『銭神論』にある「翼なくして飛び、足なくして走る」に由来するともいわれるが、女房詞は日常から自然に発生した言葉ばかりなので、「お足」だけが書物に由来するとは考え難い。
『銭神論』を直接の語源とせず、日本の「お足」と『銭神論』の「足」は、同様の発想から生じたと考えるのが妥当であろう。
なお、旅費などをいう「お足代」の「足」はなど交通の手段を指しており、お金そのものを指す「お足」と関係するものではない。

(この項、「語源由来辞典」HPより)

  「足尾銅山観光」下車駅。

趣のある駅舎。

 駅前の通り。

        町のようす。

「足尾」。              

「海抜640米(㍍)」。

トロッコわたらせ渓谷号の始発・終着駅です。
足尾駅はかつて、銅製品や原料輸送のための貨車を入換・留置しておくため、広い構内に何本もの線路が敷かれていました。現在も駅構内に国鉄足尾線時代の気動車や濃硫酸輸送に使われた古河工業のタンク車などが保存されていて、往時を偲ばせます。
     
駅舎及びプラットホームなどは登録有形文化財として登録されており、駅周辺だけでも全 5か所の登録有形文化財を見ることができます。
「古河掛水倶楽部」は、古河鉱業の迎賓館として建設された建物で、大正初期に改築され、外観は洋風、内部は和洋、それぞれの様式を用いた2階建てです。現役の福利施設として宿泊や会合に使用されていますが、土・日曜日・祝祭日に限り一般公開されていています(冬季を除く)。

保存されている車両。

次は、終点の「間藤」です。


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