NO.2923 天候もよかったです、平成19年肥薩線いさぶろう・しんぺい利用記録&山線の駅の現状 | コウさんのコウ通大百科 PART3

コウさんのコウ通大百科 PART3

在住する九州を中心に、鉄道・バスを中心としました記事を毎日更新しております。
(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 当ブログでは、前々回前回と、観光列車(D&S列車)であります、「いさぶろう」・「しんぺい」の最後の撮影の模様に関しまして皆様にご紹介してまいりました。

 

 「いさぶろう」・「しんぺい」は、肥薩線の「山線」であります、熊本・人吉~吉松間で運行されておりました観光列車でありまして、このうち熊本~人吉間は特急列車扱いとしても運行されておりましたが、令和2年の「熊本豪雨」で肥薩線の「川線」であります八代~人吉間、「山線」の人吉~吉松間が大きな被害を受けた事から以降は北部九州地区で運行されておりました。

 

 しかし、令和6年に運行される事になっております久大線の新たなD&S列車に生まれ変わる事に伴いまして、「いさぶろう」・「しんぺい」は10月4日を最後に運行を終了する事が決まっておりまして、その前にかつての活躍先を回ります団体臨時列車「特急 いさぶろう・しんぺい号乗車ツアー」の「宮崎→鹿児島コース」として、これまでの発着駅でもありました、鹿児島県湧水町の吉松駅に9月17日・9月18日に入線を果たしておりまして、今回私は9月17日の撮影に出向いていたものでありました。

 

 今回出向きました9月17日は、多くの方々の姿が見られておりましたが、中には地元の方が描かれました「ありがとう いさぶろう・しんぺい」の幕あれば、地元の言葉であります「あいがともさげもした!(ありがとうございました)」と書かれた幕もありまして、本当にこの列車自体も最後なんだなという事が伺わせておりました。

 

 また、地元の中学校の吹奏楽部の演奏も見られておりまして、賑やかな形で運行を送る姿もありました。やはり、この吉松駅に入るのも翌日9月18日まででもありましたし、これまで長らく運行されていた所でいよいよ見られなくなるというだけでも残念ではないかと思いましたので・・・。

 

 

 さて、今回ご紹介しますのは、この「いさぶろう」・「しんぺい」にはこれまでも乗車歴はありましたが、今回ご紹介しますのは今から16年前の平成19年に利用しました際の模様を皆様にご紹介してまいります。また、これら「山線」の駅の現在(3駅は令和4年訪問時撮影)、そして今回人吉駅にも訪問しておりましたので、その模様も併せて皆様にご紹介してまいります。

 

 

 さて、この日の吉松駅は、「はやとの風」からの乗り換え客で大変ごった返しておりまして、乗車率は、立ち席も出た事で(私も最後まで立っていましたが)、満員列車と化していたほどでありました。実際に、16年前はそう言った姿も見られておりました吉松駅でもありましたが、今とはまさに対照的な姿でもあります・・・。

 

 

 この時は、現在は「ふたつ星4047」としてキシ140-4047となっておりますキハ140-2125に乗車しておりましたが、車内は画像のように木製のボックスシートとなっておりまして、まさに観光列車としての姿が見られておりました。この車に関しましては、唐津所属時(キハ40 2125→キハ140 2125)に学生時代にもよく利用していた車でもありましたが、ここまで変わって驚いていた事を覚えております。

 

 トイレ横の通路にありました「矢岳越え」に関します絵図です。この区間では数百メートルの勾配差もありますが、この絵を見ましてもそう言った所が伺えていたのではないかとも思います。

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 列車は複数のトンネルを通りましたが、途中で一つのトンネルに止まりました。それは、山神第二トンネルと言うトンネルでありましたが、このトンネルではここで昭和20年8月22日に復員軍人を乗せた列車が上りきれずに退行しまして、多くの死傷者が出たと言う、悲しい事がこの線ではあった事が放送で紹介されておりました。本当に、命からがら日本へ帰ってきた直後にこの事故に遭遇された方もいらっしゃったでしょうから、より残念でなかったかと思う所でしょうか。

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 こうして、スイッチバックの真幸駅に到着しました。ここで折り返し時間も含め数分停車しておりましたが、駅内には「幸せの鐘」がある事から、私も鳴らしました。特にこの時は女性の方が多かったようでありまして、それほど幸せを願いたい気持ちが伺わせておりましたが、16年経った今、鳴らされた方は幸せに暮らされているのかなと思う所ではあります・・・(ちなみに私は幸せですよ)

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 そして真幸駅を出まして、引き上げ線を経まして登ってまいります。引き上げ線を経ました後の画像がその下の画像でありますが、通ってきた線路からしますと登っている事がわかるのではないかと思います。

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 (登って来ていた線路)

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 さらに、先程停車しておりました真幸駅構内であります。ここでは駅内で販売を行っておりました地元の方が手を振る姿が見られておりました。このような姿はこれまでも見られていた姿ではありましたが、後述の姿のように現在は見られないのは残念に思う所でしょうか。

 

 

 その後、列車は5つのトンネルを抜けて行きます。すると、「日本一の車窓」と言われます「えびの高原」が広がってまいります。画像からはわかりませんが、この日は天気もよかった事から、なんと桜島までも見えておりました。これはまさに快晴の時しか味わえない事なので、この時はまさに私としてはラッキーではなかったでしょうか?

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 そして画像にはありませんが、肥薩線一長いトンネルであります、「矢岳第一トンネル」を通ります。ここは約2100メートルの長さで、抜けるのに数分の時間がかかりますが、そのトンネルを抜けると、矢岳駅に到着する事になります。尚、この間に鹿児島県~宮崎県~熊本県と3県を通って来ていた事もわかるのではないかと思います。また矢岳駅は、標高約537メートルの位置にある駅のため、この日吉松駅では暖かかったのですが、ここ矢岳駅に来た時は大変涼しかったほどでした。

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 この矢岳駅には、「SL展示館」がありまして、ここには、「デゴイチ」ことD51170号機が展示されております。このSLは、肥薩線の急勾配を登り下りしていた事を伝えるSLで、勇姿を伝える場とも言っていいでしょうか。また、現在は「SL人吉」として熊本~鳥栖間で臨時運行されております、8620形58654号機もここに保存されていたとの事でありまして、当時の私は、復帰してからここに自走で戻ってきて戻ってきてもらいたいなととも思ったほどでした。

 

 ちなみに、私自身も、この「デゴイチ」自体の実物を見るのは初めてでありまして、正直「こんなに大きいものだったのか」と思ったのが印象的でもありました。やはり、峠越えとなりますとこう言った大型の車両が一番いいと思いますので、こう言った車が走っていたのもわかるのではないでしょうか。

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 (運転室内も収めていました)

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 列車は矢岳駅を出まして、これからは人吉までの間、ずっと下って行く事にもなります。矢岳駅から次の大畑駅までの間には4つのトンネルを抜けて行きます。画像は「列車山登り」のイラストでありますが、画像中央より右寄りの矢岳駅から左寄りの大畑駅までの部分は、ループ線を含めまして下っている事もわかります。

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 列車はループ線に入ってまいりまして、以下画像の図が見られる所に一旦停車します。この位置からその下の画像の中央の部分が大畑駅のスイッチバック(引き上げ)線も見えておりまして、いつの間にかここまで下って来ていた事が伺わせておりました。

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 (画像中央が大畑駅の引き上げ線)

 

 その後さらにループ線を下ります。すると車窓からは人吉盆地が見えてきます。乗車しておりまして、矢岳まではえびの高原でしたが、この大畑手前では人吉盆地ですから、ここまで来たんだなと実感する所でもありました。

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 (運転席カメラより、ループ線区間)

 

 

 こうして、半径約300メートルのスイッチバック線を経て、大畑駅へとやってまいりました。矢岳駅からここまでの間に、何と約240メートルもの高さを下りてきておりまして、ここまで急勾配で一気に回ってきている事に初めて実感しておりました。本当に、この技術で作りました(作らせました)、伊三郎、新平両氏の努力がわかる気がします。

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 キハ140-2125の展望スペースです。このスペースは車両中央にありますので、この時のように天気が非常にいい時の眺めは格別であったのかなと思います。

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 そして、列車は大畑駅を発ちます。発った際には、大畑駅に進入時に折り返したスイッチバック線を横に見て行く事になりますが、この後5箇所のトンネルを通っていく事にもなります。

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 その5箇所のトンネルを抜けると、人吉市内に入ります。人吉市内に入ると、まず球磨川の橋梁が見え、そして、球磨川の橋梁を渡って行きます。この日は天候もよかった事などもあり、流れはゆっくりで、いい時に来たなと思いました。また、この人吉市内が標高約105メートルとの事なので、最高地点の矢岳付近からは400メートル以上下ってきた事になります。

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 (車内より、球磨川橋梁を渡った時)

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 こうして、約1時間20分にわたります、吉松→人吉間の「しんぺい」の旅は終わりました。本当にあっという間ではありましたが、それでも各駅や、普通ではありえない、列車が途中区間で止まりながら見学なども行えておりましたので、非常に充実した旅だった様に思いました。

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 ちなみに人吉駅では、この折り返し列車、「いさぶろう」に乗る多くのお客さんが乗車するために、大変ごった返しておりました。それほどこの列車の人気度が今回よくわかったように感じましたが、現在は寸断されている事もありまして、このような姿は今は見られないのも残念でしょうか。

 

 

 これからご紹介します画像は、昨年令和4年に訪問しました「山線」の駅であります。16年前の時点ではにぎやかな姿が見られておりましたこの「山線」の駅も今や列車自体来ませんので、静かな姿が見られておりました。それでも、各駅地元の方々が駅の掃除を行っている事もありまして、きれいな姿が各駅残されておりまして、今にも列車が来るのでは?と思わせるような姿が見られておりました。

 

 (真幸駅)

 

 (真幸駅「幸せの鐘」)

 

 (矢岳駅)

 

 (矢岳駅前、人吉市SL展示館)

 

 (大畑駅)

 

 

 そして、現在の人吉駅の姿であります。今回吉松駅からマイカー移動でこの人吉駅に訪問しておりましたが、ちょうど訪問前には駅構内でイベントを行っておりまして、一時的に賑わった姿が見られていたようですが、訪問時にはそのイベントも終了、再び静かな時が見られ始めておりました。

 

 人吉駅ホームです。上の画像にもありますように「いさぶろう」・「しんぺい」に乗車する姿、それに加えまして「九州横断特急」に乗り換える姿も見られておりましたが、今や列車すら来なくなっておりますので、ホームでは静かな時が流れておりまして、列車が来る・来ないだけでここまで違う事が伺わせておりました。

 

 

 そして、人吉機関庫です。この石造りの機関庫には現在は留置車両も見られなくなっておりますが、今後運行を終了します8620形58654号蒸気機関車のねぐらとして置いてくれればと思う一方、今後再開した際には車両の留置ができなくなりますので、この機関庫も今後どうなって行くのか気になる所であるのには間違いないでしょうか・・・。

 

 

 今回は、平成19年に利用しました「いさぶろう」・「しんぺい」の利用記録、そして現在の「山線」の駅をご紹介しましたが、この当時は非常に天候が良かったですし、桜島までも見る事ができてもいましたので、まさにラッキーな利用ではなかったかと思っております。そんな肥薩線も、今や八代~人吉~吉松間が寸断している事もありまして、今回のような姿に出会う事ができなくなっているのには残念ではありますし、「いさぶろう」・「しんぺい」が終了する今、この「矢岳越え」の区間の観光列車も見られなくなっているだけに、今後一日でも早く運行再開、また新たな観光列車を期待したいと思っております。