平成16年より、肥薩線などで運行されてきました観光列車(D&S(デザイン&ストーリー)列車)でありました「いさぶろう」・「しんぺい」が、10月4日の小倉総合車両センターへ運行されます団体臨時列車を最後に運行を終了します。
この「いさぶろう」・「しんぺい」は、肥薩線の山線であります人吉~吉松間で運行されておりました観光列車でありまして、愛称の由来は、「いさぶろう」が人吉駅→吉松駅間の愛称でありまして、人吉駅~吉松駅間が建設されました当時の逓信大臣でありました山縣(やまかた)伊三郎から、「しんぺい」が吉松駅→人吉駅間の愛称でありまして、同じく人吉駅~吉松駅間が建設されました当時の鉄道院総裁であった後藤新平の名前からこの愛称が付けられておりました。
この「いさぶろう」・「しんぺい」の現在の姿となりましたのは平成16年からでありますが、それ以前の平成8年から16年まではキハ31形気動車もしくはキハ40系(キハ40形・キハ140形)気動車1両編成によりまして、シートに畳を敷く形で運行されてきておりましたが、同年の九州新幹線新八代~鹿児島中央間開業に伴う観光列車化に伴いまして、キハ140-2125(画像2)を深い赤地の古代漆色に塗り替えられまして、かつ車内も改装しまして運行されておりました。
その後、利用者増に対応しまして、キハ47形気動車1両(キハ47-8159)が同年の秋に、そしてもう1両(キハ47-9082)も平成21年に改造されまして、「いさぶろう」・「しんぺい」は画像1のように最高3両で運行されておりました(通常は2両でした)。
さらに、運行開始から平成29年改正前は熊本~人吉間は快速として運行されておりましたが、平成29年改正以降は同じくキハ40系気動車で運行されておりました「かわせみ やませみ」とともに特急化されておりまして、それによりまして熊本~人吉間は特急料金が必要な列車となっておりました。
しかし、令和2年の「熊本豪雨」によりまして、活躍先の肥薩線は大きな被害を受けまして、災害以降は「かわせみ やませみ」と併結しまして博多~門司港間で臨時運行されましたり、小倉総合車両センター内に設けられました「小倉工場鉄道ランド」へのシャトル列車として活躍する姿も見られておりました。
(令和4年撮影、博多~門司港間臨時運行時)
そして、令和4年に西九州新幹線開業に伴いまして運行されるようになりました「ふたつ星4047」の種車としてキハ140-2125が外れましてキシ140-4047に改番、さらにほか2両も令和6年より久大線を運行するD&S列車に変わる予定との事でありまして、その結果「いさぶろう」・「しんぺい」は冒頭述べましたように10月4日で運行を終了する事になっております。
(キシ140-4047(←キハ140-2125))
さて、ここから今回と次回の2回にわたりましてご紹介しますのは、その「いさぶろう」・「しんぺい」の最後の撮影としまして、画像の鹿児島県湧水町の吉松駅へ去る9月17日に足を運んでおりましたので、皆様にご紹介してまいります。
この吉松駅と言いますと、昨年3月にも足を運んだ駅でありましたが、この時はキハ140-2125とともに「ふたつ星4047」に現在は改造されております「はやとの風」のラストラン撮影に出向いた駅でもありまして、約1年半ぶりの訪問でありました。それにしても、相次いで肥薩線から「D&S列車」が姿を消す事にもなりましたので、これに関しましては正直残念と言えましょうか。
(吉松駅発車時)
そんなこの吉松駅は肥薩線と吉都線との分岐駅でありまして、かつ鉄道の要所とされる所でもあります。実際に、この駅からは肥薩線の隼人方面、吉都線の都城方面、そして令和2年の「熊本豪雨」で運休中でもあります肥薩線の人吉方面と3路線の分岐駅でもありますし、いずれも勾配のかかる区間でもありますので、まさに要所と言われる場所でもあります。
そんな要所の駅には、令和4年3月まで「吉松運輸センター」と呼ばれる乗務員基地も存在しておりましたし、駅も有人駅でもありました。しかし、現在は無人駅となっておりまして、カウンターにはカーテンがかかっているなど寂しい姿が見られております。
(ホーム側にあった吉松運輸センターの出入口)~現在は締切です
(無人駅ですので、カウンターにはカーテンがかかっています)
無人駅で寂しい姿か見られておりますが、それでも吉松駅の待合室は健在の姿が見られております。この待合室内には、4畳半の畳敷きの所にちゃぶ台が置いてありまして、まさに昭和のイメージが感じさせられる所ではないかと思います。実際に時間によりましては乗り換えの時間を要しないといけない場合もありますし、駅近くの温泉を利用しまして風呂上がりに休むスペースとしても使えるのがいいのではないかと思います。
(ちゃぶ台)
また、畳敷きの横にはピアノも設けられております。現在も使用できないようですが、再び奏でる時が来る事を期待したい所ではあります。
ここからはホームの紹介であります。現在のホームは、2面4線のホームとなっておりまして、このうち1番ホーム~3番ホームまでを使用する事になっております。尚、かつては駅舎側にもホームがあったようでありまして、最盛期は1番ホームから5番ホームまでが存在していたようでもあります。
(駅名標)
(ホーム内にある時刻表)~肥薩線隼人方面11本、吉都線都城方面は8本しか本数がありません
このうち1・2番ホームが特に発着するホームとなっておりまして、肥薩線・吉都線の列車の発着が行われております。今回の「いさぶろう」・「しんぺい」では1番ホームでしたが、かつて人吉方面の発着ホームでした2番ホームではこの訪問時でも「いさぶろう」・「しんぺい」の表示が残されておりました。
(2番ホームに残されていた「いさぶろう」・「しんぺい」の表示パネル)
ちなみに、前回訪問時には1番ホームに、このホーム発着でした「はやとの風」の表示パネルも見られておりましたが(実際に上の画像にありますように1番ホーム発着でした)、運行終了に伴い撤去されておりまして、もう見る事はできなくなっております。
さらに、旧4番ホームは留置線となっておりまして、夜間を中心に車両の留置を行うようになっております。したがって、この駅では1番ホーム~3番ホームが使用するようになっている事がわかりますが、旅客に使用しないホームがあるのも寂しい所でもありましょうか・・・。
そして、こ線橋から見ました、人吉・都城方であります。その下の画像(令和4年訪問時撮影)からわかるのではないかと思いますが、左側が人吉方面、右側が都城方面となっておりますが、先述のように人吉方面は「熊本豪雨」で運休となっておりますので、信号機も人吉方面の信号機は撤去されている事がおわかりいただけるのではないかと思います。それにしても、令和4年訪問時としますと草が生い茂っている事がお分かりいただけます。
(左側が肥薩線人吉方面、右側が吉都線都城方面)~令和4年撮影
さて、ここからは「はやとの風」の吉松駅での模様をご紹介してまいります。この訪問時には、地元の中学校の吹奏楽部の方がホームで演奏を行っておりまして、ホーム内には演奏する音が響いておりました。
しばらくしますと、吉都線より「いさぶろう」・「しんぺい」がやってまいりました。この日の運行は、「特急 いさぶろう・しんぺい号乗車ツアー」と称しまして、「宮崎→鹿児島コース」として運行されていたものでありまして、宮崎駅から都城駅まで日豊線、都城駅から吉松駅まで吉都線、吉松駅から隼人駅まで肥薩線、そして隼人駅から鹿児島中央駅まで再び日豊線という行程で運行されておりました。この時には、多くの撮影者も地元を中心にいらっしゃいまして、最後にふさわしいような姿が見られておりました。
(草の中をさらにホームへ向けて進みます)
こうして、「いさぶろう」・「しんぺい」は、定刻の12時23分に吉松駅1番ホームに入線してまいりました。この列車の吉松駅での姿も、本来は肥薩線の「山線」のためにあった訳ですが、その「山線」が寸断されている今としては、その肥薩線(吉松~隼人間)・吉都線を通らないとこの駅へはやってこられないのも残念な所でしょうか。
この後、1番ホームに13時まで停車します。この間には団体の乗客も含めまして各場所から撮影される方あれば、駅内で販売も行っておりました土産物を購入される方あれば、先述の中学校の吹奏楽部の演奏を聞かれる方もあったなど様々な姿が駅内におきましてみられておりました。
「いさぶろう」・「しんぺい」の前面です。貫通扉の所にあります「いさぶろう」・「しんぺい」と円で描いてある所が印象的ではありますが、そこに描いてあります「肥薩線」も走る事ができない所はやはり悔やまれる所ではありましょうか。
旧ホームの両側から収めました「いさぶろう」・「しんぺい」です。鹿児島方がキハ47-9082、宮崎(熊本)方がキハ47-8159でありますが、場所柄うまく収める事ができなかった事は悔やまれる所ではありましょうか。それでも、フル編成は何とか収める事ができただけでも良かったとは思いますが・・・。
(先頭・キハ47-9082)
(キハ47-8159)
この後は、こ線橋、そして1番ホームでも収めておりました。正直足が完全であれば階段を往復してでも移動と言う事ができておりましたが、足が完全ではない分、13時の発車までは1番ホームに残りまして収めるに至っておりました。
今回は、運行終了となります「いさぶろう」・「しんぺい」の吉松駅撮影前編の模様をご紹介しましたが、私自身も乗車まで果たしておりました平成19年以来の吉松駅での「いさぶろう」・「しんぺい」でしたので、正直懐かしい姿を収める事ができてよかったと思っております。ただ、肥薩線も寸断されている今、この列車の運行終了が発表されている事もありまして、この撮影自体がもう最後になってしまうと思いますと正直残念としか言えない所ではありましょうか。次回後編では、その1番ホームで収めました「いさぶろう」・「しんぺい」の姿をご紹介してまいりますので、次回後編もご覧になっていただきたいと思います。