今朝の朝日新聞デジタルに冒頭の記事があったので、それに便乗する。
飯田線は愛知県豊橋市と長野県辰野町を結ぶローカル線だが、8年前にこの線を利用した。
目的地は長篠合戦の史跡。
豊橋で新幹線を降り、飯田線特急「伊那路」で本長篠へ。
本長篠駅前で城の場所を尋ねると「エっ?歩いていくの?」と聞き返された。
歩くと30分くらいかかるらしい。
もっとよく調べてくればよかったと、迂闊さを悔いたが、もうどうしようもない。
とぼとぼ歩きながら、こんなことならわざわざ特急など使わず、各停で長篠城駅に降りるのが正解だったか、と更に落ち込んだ。
帰宅後に確かめると、時間的には結果オーライだったことが分かった。
長篠城の空堀。
長篠城本丸から見た鳶の巣山。
ここを徳川方は鉄砲500丁の兵力で奇襲した。
織田・徳川連合軍は設楽が原で鉄砲3千丁で武田軍を破った、というのが通説だが、鉄砲3千丁も3段撃ちも武田騎馬隊も、最近は疑問視されている。
3千丁でなく1千丁というのが本当らしいが、鳶の巣山奇襲に500丁使ったとすれば、信長はそれだけここを重視していたことになる。
設楽が原資料館まで三河東郷駅から徒歩15分。こちらは予定通りの行程だったが、長篠で想定外の歩数を費やしたダメージがボディーブロウのように効いてきた。
連吾川は、あちこちで見かけるような個性のない川だが、戦いの前日の雨で増水し一帯がぬかるんだことが武田方に災いしたらしい。
柵の一部が再現されているが、信長はこの裏手の丘の陰に部隊を隠して、兵力を少なく見せて、武田軍の突進を誘ったという。
あちこちに、戦没した武将のゆかりの石碑などがあり、時間の余裕もあったのだが、足が棒のようになったので、駅にたどり着くことに専念した。
やっとたどり着いた三河東郷駅。