NO.2919 引退から1年の415系鋼製車の現状、過去画像より、最も活躍の場の「関門間」での姿 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 昨年の9月22日、JR九州に所有しておりました415系電車の鋼製車両(100・500番台)が全車引退となりまして、丸1年が経過しました。

 

 昨年9月22日まで運行されておりました415系電車の鋼製車は、大分車両センターに16編成64両、鹿児島車両センターに5編成20両がそれぞれ所属しておりましたが、この日をもちましてこれら全車が運用を離脱するに至っておりました。

 

 これは、西九州新幹線開業に伴いまして電車の余剰が発生しておりまして、さらに九州各線では特に鹿児島線を中心に減便・減車も多く見られておりまして、その結果813系電車が大分地区の運用にも数運用が入る事にもなりましたし、南福岡車両区所属車とともに運行されておりました長崎線・佐世保線でも811系電車が運用に就くようになりまして、それだけ多くの415系電車鋼製車の運用離脱へと至らせておりました。

 

 

 さて、今回は引退して1年の415系電車鋼製車両の現状、そして過去撮影画像より特に活躍の場を得ていた区間での姿を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 そんな415系電車の鋼製車両は、以下の区間におきまして運行されている姿が見られておりました・・・。

 

 【大分車両センター】

 日豊線 小倉~行橋~中津~柳ヶ浦~宇佐~亀川~別府~大分~津久見~佐伯

 鹿児島線 門司港~小倉~折尾~赤間~福間~博多~南福岡~二日市~鳥栖~久留米~大牟田~荒尾~熊本

 長崎線 鳥栖~佐賀~肥前山口

 佐世保線 肥前山口~武雄温泉~早岐~佐世保

 山陽線 門司~下関

 

 【鹿児島車両センター】

 鹿児島線 川内~串木野~鹿児島中央~鹿児島

 日豊線 鹿児島~隼人~国分~霧島神宮~都城

 

 

 まず、大分車両センターの場合は、最も活躍していた区間がいわゆる「関門間」でもあります、小倉・門司~下関間でありまして、ここでこの電車の大きな特徴でもあります交直流電車としての姿を見せておりましたし、それ以外にも日豊線・鹿児島線などでも活躍の場が見られておりましたし、さらには南福岡車両区に所属しておりました1500番台の代走を行う事もありまして、上の区間以外でも長崎線の肥前山口(現・江北)~長崎間でも活躍の場が見られておりました。

 

 【運用は撮影時のものです】

 (関門運用・Fo107編成)

 

 (同・Fo124編成)

 

 (鹿児島線内運用・Fo520編成)

 

 (大分地区運用・Fo105編成)

 

 (同・Fo117編成)~セミクロスシート車
イメージ 11

 

 (長崎線代走・Fo108編成)

 

 

 また、鹿児島車両センターは運行区間は広くはなかったものの、それでもラッシュ時には特に本領を発揮しておりまして、日豊線では当初は鹿児島中央~国分間までではありましたが、後に都城駅まで延長運転を行うようになっておりました。やはり、メインが2両編成であります鹿児島地区でもありましたので、この存在は特に大きかったとはいえましょうか。尚、これら編成はいずれも500番台でありまして、元は常磐線で活躍しておりましたが、「科学万博」終了翌年の昭和61年に南福岡電車区に転属、その後475系・455系各電車の置き換えとして鹿児島総合車両所(当時)に転属した車達でありました。

 

 (Fk513編成)

 

 (Fk515編成)

 

 

 これら編成の車内画像です。500番台以外は元はセミクロスシート車でありましたが、更新に際しまして一部編成を除きましてロングシート化が行われておりましたが、編成によりましてシートの色も違っていた事もお分かりいただけます。

 

 (Fo106編成車内)

 

 (Fo123編成車内)

 

 (Fk513編成車内)

 

 (Fo520編成車内)

 

 

 こちらはセミクロスシート車です。実際に画像のようにシートが見られておりました。尚、シート幅はそれほど広くはなく、同じセミクロスシート車のキハ40系気動車と比べましても幅は広くはありませんでした。

 

 

 しかし、これら編成は9月22日に全車引退となっておりまして、以下の場所へと疎開留置されておりました。けれども、中にはその後小倉総合車両センターに廃車回送された編成も見られておりまして、徐々に数も減りつつある事も伺わせております。ただ、合計84両もの離脱車両ですし、他の離脱車もありますので、さすがに一気に解体とまでは行きにくい事が伺わせてもいるようでもあります。

 

 (赤字が小倉総合車両センターに廃車回送された編成)

 門司駅構内 Fo117・Fo118・Fo122・Fo520

 門司港駅構内 Fo112・Fo119・Fk513

 柳ヶ浦駅構内 Fo103Fo123

 津久見駅構内 Fo120・Fo124

 荒木駅構内 Fo105Fk514

 熊本車両センター Fo106・Fo108・Fo110・Fo111・Fo126

 鹿児島車両センター Fk515・Fk516・Fk517

 

 (荒木駅に留置されていたFo105編成&Fk514編成)

 

 

 ここからは、最も活躍する姿が見られておりました、「関門間」での姿をご紹介してまいります(平成30年~令和3年までの撮影画像より)。「関門間」からもわかりますように、ここでの活躍の場は門司駅~下関駅間でありまして、特に門司駅では交流と直流とが切り替わる場所であります「交直流デットセクション」がある場所でもありますので、実際に交流と直流とが切り替わる姿も見る事ができておりました。

 

 尚、現在も以下画像のステンレスの1500番台が運行されておりますので、現在も415系電車の活躍の場である事には変わりはありませんが、それでも運行区間は「関門間」以外は鹿児島線・日豊線・長崎線の運用はあるものの大きく縮小した形となっておりますので、それだけ編成も減った事には伺わせる所ではあります。

 

 (Fo1516編成)

 

 ちなみに、現在は南福岡車両区に駐在する編成での別運用が見られておりまして、混雑緩和のために2編成を使用した福間→南福岡間の快速運用が存在するようになった事は大きな話題ではなかったでしょうか。

 

 

 さて、鋼製車の姿に戻りますが、この門司駅での下関行き列車は現在もそうですが、5番及び6番ホームを中心に発着を行っておりまして、これらホームにおきまして切り替えテストを行う姿も実際に見られておりました。

 

 (5番ホーム)

 

 (5番ホーム停車、下関行き)~Fo117編成

 

 (6番ホーム停車、同)~Fo105編成

 

 また、小倉方面は3番及び4番ホームに停車を行っておりまして(後述画像も含みます)、画像は、関門トンネルを出まして門司駅3番ホームへと入ってまいりました、Fo118編成によります小倉行きの姿であります。この関門区間におきましては、小倉・門司~下関間の区間運転を行っておりますので、このような区間の行先の姿を見る事ができておりまして、これら鋼製車も運行する姿が見られておりました。

 

 ちなみに、関門トンネル区間は複線のように見えますが、「単線並列」と言う形を取っております。それは、時より行われております保寸工事を日中でも行いやすくするためである事などがありまして、それによりまして片線を閉鎖する事もあるためでもあります。

 

 そのため、門司駅の信号機では画像のように下り線・上り線両方の出発信号が存在しておりますし、基本上り線の線路に下り列車が運行される場合もありますが、やはり開通から既に80年近くになります海底トンネルである関門トンネルでもありますので、それを考えますとわからなくはない所ではないでしょうか。

 

 

 一方、こちらは下関駅へと向かいます、Fo125編成であります(令和元年撮影)。この編成はセミクロスシート車でありましたが、この撮影時ではロングシート・セミクロスシートが混在した運用の姿が見られておりました。尚、この編成はこの年1500番台が転属した事によりまして定期運用を離脱、既に廃車・解体されております。

 

 ちょうどこの時には、デットセクションを通過している時でありました。そのため、画像ではわかりにくいのではないかとも思いますが、車内の電気は消えておりますし、画像のドアとドアの間にあります非常灯が点灯されておりまして、通過している事がわかる部分なのではないかと思います。

 

 そのデッドセクションを通過した後、関門トンネルへと向かいまして、最終的に下関駅へと向かって行きます。実際このような姿が日常的に見られていたものでしたが、令和4年9月23日を境に見られなくなってしまった事は残念ではなかった事ではありましたでしょうか。

 

 

 今回は、引退から1年を迎えました415系電車の鋼製車に関しましての現状、そして最も活躍の場でした関門間での姿に関しましてもご紹介しましたが、現在も疎開留置された姿が九州内各地で見られております。しかし、「復活を」とも労組などが訴えてもいましたが、それに報いる事もなく現在に至っております。確かに製造がこれらは40年以上経過しておりますが、あまりの80両以上の離脱には減便に至った所さえ見られているだけに、正直残念としか言えようがない所ではあります。とにかく疎開車両は今後も「呼び出し」へと至る事にはなりますが、これら電車の活躍した雄姿も忘れてはいけない事には間違いないでしょうか。