昭和53年7月17日
北恵那鉄道
昭和53年9月に廃止になった北恵那鉄道を紹介します
あまり馴染みわなく名鉄瀬戸線の760型が
5両元の名前のモ560として活躍していました
同時期に名鉄揖斐線の760型も廃止になるため
モ560を求めて3回訪れました。
当日は新潟より夜長野に移動
長野から夜行急行きそ5号で訪れました
北恵那鉄道は廃止間際は朝と夕方しか列車は走ってなくて
移動に苦労ですね
中津町発→付知着
7:03→7:56
16:15→17:08
17:45→17:08
19:00→19:53
20:40→21:34
22:05→23:00
付知発→中津町着
5:55→6:31
6:52→7:45
8:10→9:02
17:48→18:41
19:03→19:56
20:43→21:39
中津町を始発で出て栗山駅に
鮎と水泳出来るきれいな川です
川は付知川です
モ563
8時の電車で中津町に戻ります
中津町駅です
国鉄の中津川より北に歩いてすぐの所です
駅の南側です
モ560型 モ561~モ565
大正末から昭和初期の間に日本車両で製造された3扉14m級
半鋼製ボギー車で瀬戸電気鉄道のホ103形、後に名鉄も560形として瀬戸線、揖斐・谷汲線で活躍した。一部は760形になる
昭和39年7月付けで561~564が転入48年565が転入した。
モ563 デ2 デキ251
デ1型
北恵那鉄道開業時に用意された車両で、大正13年に梅鉢鉄工所で4両製造された。
製造時は、トロリーポール、ブリル製E-2ラジアル台車で2軸電動客車。昭和32年5月名古屋市交通局より発生品のブリル76E-2台車を購入し、ボギー化し昭和37年12月にポール集電からZパンタに交換した。 昭和39年に名鉄からモ560形が入線したため、3両が廃車となった。しかし、その性能が重宝されデ2のみ昭和53年の廃止時まで中津町構内で入れ替え作業をしていた。
モ563 デ2
拡大
拡大モ563
デキ251
昭和27年8月、関西電力の丸山ダム建設資材運搬用に製造された本格的な電気機関車、日立製出力300kWの凸型30t機関車
入線は昭和43年主に中央板紙中津川工場入れ換えに使われた
デキ251
デキ251の運転台
ク551型 ク551
愛知電鉄の電4形日本車両で大正11年10月製造された。
ハフ11とハフ12を置き換えるため導入された。
ク80形
三河鉄道キ50形気動車(みかわてつどうキ50がたきどうしゃ)は、
後年に電車化(付随車化)改造を受けサ2290形と再改称・改番、
さらに制御車化に伴いク2290形となった。
後に北恵那鉄道に譲渡されク80形(81・82)に改称。
北恵那鉄道線廃止まで運用された。
ク81
ク82