糸魚川駅を発車後ほどなく姫川を渡ります。
今回乗車中の観光急行の1号車クハ455-701の前面に取り付けられているヘッドサインは「ひめかわ」が表示されていますが、もちろんこの姫川のことです。
先日も触れましたが、美しい名前とは裏腹にとんでもない暴れ川なんです。
手前に見えるのが国道8号線、奥が北陸新幹線の橋梁で、その向こうに日本海が広がります。
この姫川が日本海に注ぐあたりの海岸には翡翠の原石がよく採れる(簡単には見つからないのでしょうが•••)ことからヒスイ海岸とも呼ばれ、この路線の線名にも「ひすい」が使われています。
糸魚川の翡翠加工の歴史は古く、約7,000年前から行われていたとされており、世界最古とも言われています。
糸魚川市は新潟県最西端の都市で、以前は西側に西頸城郡青海町(にしくびきぐんおうみまち)がありましたが、現在は東隣の能生町とともに市町村合併により糸魚川市となっているため、現在では糸魚川市を抜けると富山県ということになります。
再び沿線の車窓風景の見所として速度を落として走行しているのは天嶮•親不知付近の海岸線です。
断崖絶壁が切り立つこの付近は昔から交通の難所です。
「親は子を、子は親を顧みる間もなく波が引いている間に駆け抜けなくては波にのまれるから」
だとか
「平頼盛(清盛の弟)が平氏滅亡後に都人の悪口雑言に耐えかねて領地のある越後刈羽村へ落ち延びた際、夫を慕って後を追いかけた妻がこの難所を抜ける際に愛児を懐から落として波に攫われた悲しみを詠んだ『親しらず 子はこの浦の波まくら 越路の磯の あわと消えゆく』歌が由来」
などと諸説あるようですが、その険しい地形は現代の国道8号線を車で走っていても容易に窺い知ることができます。
私がよく拝見しているトラックドライバーの方の会社では親不知から富山県の朝日町の間は北陸自動車道を通行するように指示しているみたいですからね•••。
列車はこの断崖の中腹をトンネルで通り抜けていきます。妙高山系と北アルプスに挟まれた狭隘な谷間を一気に日本海まで流れてくるわけですから当然ですね。マにフォッサマグナの川です。
親不知駅が近づいてきました。
この駅はホーム幅が狭く、動画では駅名標が平行四辺形みたいになってしまいました。
終点の市振駅に到着しました。
えちごトキめき鉄道日本海ひすいラインはここまでです。この先はあいの風とやま鉄道となります。
この観光急行は市振駅までの運転ですが、定期普通列車はこのままあいの風とやま鉄道線に乗り入れてふたつ先の泊駅まで運転されます。
乗務員の方々と談笑する赤いTシャツの方•••実はこちらの方とは昨年の秋に妙高はねうまラインの二本木駅で一度お会いしています。
あの日は信越本線米山付近で列車を撮影したりしての帰りに二本木駅に立ち寄ってホーム先端に降りて撮影できるスペースでスマホで動画を撮っていたら到着した列車から下車されて私の背後のホームの上からカメラで撮影されていました。
話しかけてこられて少し会話させていただいたのですが、その時に
「観光急行や雪月花が運転される時には市振駅でお出迎えしたりさまざまなイベントでボランティアとしてお手伝いさせてもらっています」
と仰っていたので今回もいらっしゃるのかなと再会できるのか楽しみにしておりました。
果たして、このようにホーム上にいらっしゃったのでお声がけさせていただくと覚えていてくださって
「スマホで撮影されていた方ですよね。覚えていますよ」
と仰ってくださいました。市振駅において新しい催しを計画されているとのことで、その時には再訪してみたいと思います。
続きは折り返し急行2号乗車記となります。
シルバーウィークは仕事なので、この乗車記をした記事が私のシルバーウィークとなります。