追記9.14
仙台空襲の歴史について一部真偽不明なところがありましたので訂正します。
今回はちょっと一風変わった場所に来ていますね。
そうですここは仙台駅前の高層ビル、AELのオフィス棟エレベーターです!!!←分かるか
お前みたいな凡人が何でこんな高価なとこに来たのかと。
なんと最上階31階に展望テラスがあるんですねぇ!!! 
仙台平野を見下ろせる場所ということで、早速訪れてみることにしました。
うひょーーー!!!
これは凄いですねぇ。
西口方面と東口方面2つがあるのですが、今回は東口方面をお伝えすることにしたいと思います。
宮城野区は勿論、多賀城市、名取市はたまたその先まで見渡せます。
新幹線がやってきました。
はやぶさ30号東京行きですね。
一度は上から見下ろしてみたい景色でした。
仙台駅は南北共に急カーブとなっています。
あまりにも酷かったので一時は現在の宮城野原駅付近に仙台駅とは別の新幹線駅を設けることにしていましたが、あまりにも仙台市街から離れていたことなどがネックになり、無理矢理カーブさせる設計になってしまいました。
現代になってみれば成功でしたね。
ホームに全車が入る瞬間まで見れます。
上はネットになっており、しっかりと新幹線の走行音も聞けます。
東北楽天ゴールデンイーグルスの本拠地、楽天モバイルパーク宮城も見えます。
こう見てみると市街地に意外と溶け込んでいますね。
横浜ベイスターズの本拠地のハマスタみたいな感じですね。
ここ仙台駅東口は第二次世界大戦の仙台空襲から逃れることができました。
当時の米軍は仙台市中心街の西口を空襲の拠点とし東口は無視される形になりました。
そして空襲実行にに伴い仙台市上空から「仙台良い町森の町7月10日は灰の町」というクソサイコにも程があるビラを撒き散らしました。
そして宣言通り1945年7月10日に実行、仙台駅西口は焼き尽くされ、消滅しました。
しかし全く空襲がなかったこちら東口。
皮肉なことに西口は空襲からの再建でどんどん発展していく一方、高度経済成長期、そしてバブル期とまで来ても永遠と戦前の町並みを残し続けた東口。
やはり治安も悪化し、お世辞にもきれいな街とは言えませんでした。
それを問題視した仙台市はいよいよ再開発を決断。
1990年代後半から2010年代後半辺りまで街をがらっと改変する計画を立てました。
そしてまず消えたのは仙石線地上区間。
2000年に地下に閉じ込められました。
そして当時の古い建物はほとんど壊され、そして道路も細い道が多かったですが、右下を見てわかるようにはっきりとした幹線道路に区画整理されました。
そして現在に至ります。
東口がどんどん発展していくのをみるとこの区画整理も成功でしたね。
はやぶさ27号、こまち27号新函館北斗、秋田行きが出て行きました。
やっぱり17両編成になると迫力がありますね。


もう一つ来ました。
動画でどうぞ。
それでは。