首長館(ブニュナ館)。
明治6年建設(1873)。
首長館(ブリュナ館)は、1973年(明治6年)に建築された、創業時に指導者として雇われていたフランス人ポール・ブリュナ(Paul Brunat)が1875年(明治8年)まで、家族やメイドと暮らしていた住居です。寄棟造で、桟瓦葺の住宅で、ブリュナが帰仏した後は、工女の夜学校として利用され、片倉時代には片倉富岡高等学園の校舎として利用されました。建物は300坪の高床式で周囲に回廊(かいろう)風のベランダをもつ風通しが良く、開放感のある造りになっています。床下には、建設当時に造られた煉瓦造りの地下室が現在も残っているそうです。校舎や講堂として使うために内部は大幅な改造が加えられ、当初の面影は少ないそうです。国の重要文化財の木骨煉瓦造平屋建て。
「鏑川」を見下ろす広場へ。
かつて建物があった跡地?
下流方向。
上流方向。
寄宿舎。
首長館(ブリュナ館)の西側に隣接して建てられた女性従業員のために寄宿舎2棟のうちの1棟です。三井経営期の明治29年(1896)に建築された鏑寮(現存せず)の北側に原経営期に建設されました。痕跡から2階建ての民家(養蚕農家)を転用し、増築・改造したものと考えられます。各部屋が20畳以上の大部屋となっているのが特徴です。壁や押入れには映画俳優のプロマイドが貼り残されています。また、寄宿者が休日に調理を楽しんだ1階西端の割烹室には調理道具や食器類がそのまま残されており、建物の随所で女性従業員の暮らしが感じられます。
防火用水槽。
今、墨田区内にある雨水利用の仕組みの先駆けのような。
世界遺産登録記念モニュメント。
「富岡製糸場と絹産業遺産群」は平成26年(2014)6月25日に世界遺産に登録されました。
そこから工場を望む。
寄宿舎(妙義寮・浅間寮)
片倉経営期(戦前)に建てられた女性従業員用の寄宿舎で、南棟は「妙義寮」、北棟は「浅間寮」と呼ばれていました。使用されている建築材から当時の物資調達の難しさがうかがえます。部屋の北側に廊下を配し、15畳の部屋が16室、計32室あります。部屋の名札掛けの数から最大12人まで使用可能な造りとなっています。建物の東側には洗濯場や物干し場が隣接し、室内にはアイドルのポスターや観光土産の定番だったペナントがそのまま残されているなど、操業当時の寄宿舎生活の様子を物語っています。
一通り、駆け足ですが見て回りました。帰りの電車の都合もあるので、帰途につきます。
「国指定史跡 旧富岡製糸場」。
「上州富岡駅」ホーム。
左手に見える建物が、かつての養蚕農家のような造り。
高崎駅に戻ります。
車内のようす。高校生達が。
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