【大井川鐵道・大井川本線】 記事ダイジェスト | ゲイムマンの日本縦断紀行 + ご当地ゲーム制作・配信

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ゲーセンでゲームをプレイし、1面クリア毎に増える“ゲーム路銀”を交通費にして日本縦断を目指す「ゲーセン紀行」でしたが、ゲーセン巡りよりも、普通の観光旅行の方が主になってしまいました。

現在このブログ上でゲーム『香川県からの脱出』を制作・配信中。

昨年の12月から今年の1月にかけて、大井川鐵道の旅を振り返る記事を当ブログにアップしました。
(もともとは2001年から私のサイトで行なっている「日本縦断ゲーセン紀行」の一部。訪れたのは2009年12月)

しかしこのときは「鉄道コム」にまだ登録していなかったので、あらためて大井川鐵道関連記事(全9本)の内容をまとめて、それぞれのページへのリンクを貼ることにします。
長くなったので、大井川本線と井川線に分けています。このページは大井川本線の記事へのリンクページです。
(井川線の記事へのリンクはこちら)

鉄道コム

これを書いている時点では、昨年の台風15号による土砂災害の影響で、大井川本線の家山-千頭間が不通となっています(バス代行)。
10月1日から家山-川根温泉笹間渡間の運行が再開される予定。残る区間も早く復旧できるよう祈っております。

大井川鐵道公式サイトはこちら

 

 

 

 

【大井川鐵道(1)】新金谷からSLに乗ろう! 

金谷駅、新金谷駅

 


JR金谷駅の隣にある、大井川鐵道の駅舎へ。まずは隣の新金谷駅を目指す。


もと南海の急行車21001系。昭和30年代から高野線で走った「ズームカー」だ。

 


新金谷駅。古い客車の妻面に、「かわね路」のヘッドマーク(テールマーク)がついていた。


新金谷駅の駅舎は、洋風下見板張り。

 


駅前のプラザロコという建物に入って、SL急行を待つ。
おみやげコーナー、喫茶スペース、数多くのベンチに加えて、「ロコミュージアム」と名づけられたスペースがあり、大井川鐵道でかつて使われた蒸気機関車や、井川線の客車などが展示されている。
この写真のSLは、大井川鐵道がSL急行を運行する前、千頭-川根両国間でSLを走らせていたときに使われた、大正時代・ドイツ製の1275形。

 

 


11時ちょうどに改札が開くと、すぐにホームは人でいっぱいになった。
シュッシュッと音を立てて、やってきたSLは、C11の190号機。かつてはお召し列車を牽引したこともある。
客車は3両あったが、うち2両が団体客用だったようで、私が乗った3号車は比較的空いていた。


この客車も昭和のもので、センヌキや灰皿があった。私の世代には懐かしい。(車内禁煙なので灰皿は使用不可)
車掌さんの解説によると、1954年(昭和29年)製のスハフ42。

 

ポオーッという汽笛とともに、SL急行が動き出した。
機関車のすぐ後ろの席なので、窓からときどき煙が見える。


ときどき景色の中に民家が現れ、茶畑が広がる。
本当に線路のすぐ間近。
大井川の流れとともに、独特な車窓風景を作り上げている。

 

【大井川鐵道(2)】SLに乗って川根茶の産地へ 

家山(いえやま)駅、駿河徳山駅

 


家山駅停車。年代物の木造駅舎が、ちょうど窓から見える。
ここで乗降する観光客も多いようだ。

※現在は、途中の五和駅改め合格駅と、神尾駅の間、新東名高速道路・島田金谷IC付近に「門出」駅があり、「KADODE OOIGAWA」という、お茶と農業をテーマにした観光施設がある。
KADODE OOIGAWA

 

※家山から先は、2023年9月時点で不通。

 


橋を渡って、今まで右手に見えていた大井川が左手に移る。

 

右手には、温泉施設「川根温泉ふれあいの泉」がある。
川根温泉笹間渡(ささまど)駅から近いらしい。
露天風呂からSLが見える場所として、観光ガイドブックによく載っているが、今日は休館日。
川根温泉 ふれあいの泉
 

※2023年10月1日以降、家山からこの川根温泉笹間渡までの運行が再開されるそうだ。

 


塩郷(しおごう)駅のすぐ脇に架かるこのつり橋は、久野脇橋、通称・恋金橋(こいかねばし)という。
全長220メートル、高さ11メートルあるという。

 


駿河徳山駅で降りた。


いにしえの木造駅舎に、現役高校生が集まっている。

 

駅の近くにあるという、フォーレなかかわね茶茗舘(ちゃめいかん)を目指して歩くが、うっかり道を間違えてしまい、また駅まで戻る。
ホームのすぐ横の踏切を渡って左折。橋を渡るとすぐそこが、フォーレなかかわね茶茗舘だった。
30分以上歩いてしまった。

 


茶茗舘は、川根茶をテーマにした資料館・道の駅。
2階の展示室では、中川根の歴史と、中川根のお茶の歴史が解説されていた。
盆踊りの「鹿ん舞」の衣装もある。擬人化された白い鹿の顔がユニーク。

1階には、藤城清治さんの影絵が展示されている。
SL、茶畑、つり橋、鹿ん舞などが、藤城さんらしいファンタジックな世界に組み込まれていた。

ここで軽く、お茶とお菓子をいただこうと考えていたが、道に迷った分、時間がなくなった。
フォーレなかかわね茶茗舘

 

ほんの10分ちょっとで、駿河徳山駅に到着。
駅に入ると、中に茶茗舘へのわかりやすい地図があった。
駅舎の中はよく確認しておくべきだと痛感した。

 

 

【大井川鐵道(3)】俯瞰で見るアプトいちしろ駅と、タイ王国カラーのC56 

千頭(せんず)駅(、アプトいちしろ駅、寸又峡(すまたきょう)温泉)

 

次に乗ったのは、昭和40年代後半から平成の頭まで活躍した、もと京阪の特急車3000系。
車内にテレビがついていて、「テレビカー」と呼ばれていた。(大井川鐵道に入った際、テレビは撤去された)
なお、台車は旧営団地下鉄(現・東京メトロ)東西線5000系のものが使われている。

 


大井川本線の終点、千頭駅に到着。


ホームの向かいで、C56が出発準備中。
このC56 44号機は、大井川鐵道で唯一の、炭水車を連結しているテンダー式機関車だ。
戦時中はタイで活動し、1979年(昭和54年)に日本へ帰国。
以後、大井川鐵道で活躍を続けており、大修理を経て復活した2007年(平成19年)から、タイ時代のカラーリングで走っている。
(※2019年から休車中)


SLの編成の最後尾に、電気機関車が連結されていた。
このE102号機も、1949年(昭和24年)に造られた年代ものだ。

 


千頭は大井川本線と井川線の乗り換え駅だが、井川線には翌日あらためて乗ることにする。

 

 

バスに乗って寸又峡(すまたきょう)温泉へ。出発して間もなく、山間の険しい地形に入る。道は狭くて曲がりくねる。

 


奥泉駅前。縄文遺跡が近くにあるそうで、縄文人の像があった。竪穴式住居風トイレあり。

 

さらに山奥へ進んでいく。
バスは普通のサイズなのだが、道幅はこのバスがやっと1台通れる程度。

 


240メートルも下にダム湖がある。
つり橋のたもとにある建物が、井川線のアプトいちしろ駅。

写真を撮ってみると、景色がまるで、本城直季氏の写真集『small planet』ばりに、ミニチュアのように写った。
空気が澄んでいて、遠くの景色なのに、あまりぼやけて見えないからだろうか。

 


ずっと細く険しい道路だったけど、30分ちょっとで、寸又峡温泉入口に到着した。
やっぱり空気が少しひんやりしている。
今日泊まる、奥大井観光ホテル翠紅苑に入った。
若干車酔い気味なので、酔いざましを兼ねて、温泉郷を少し散策しよう。

 


ホテルのすぐ前の駐車場に、1968年(昭和43年)に廃止された、千頭森林鉄道の小さな車両が展示されている。
かつては寸又峡温泉への観光客輸送も行なっていたらしい。

 

【大井川鐵道(4)】寸又峡(すまたきょう)温泉・夢のつり橋 

(寸又峡温泉)

 

寸又峡温泉の温泉街は、山懐に抱かれた集落といった感じ。
「寸又峡プロムナード」を歩いてみよう。この道路はかつて、千頭森林鉄道の線路だったらしい。

 


はるか下方を流れる寸又川。
滝の音が聞こえる。というか、それしか聞こえない。

 


「夢のつり橋」が眼下に見えてきた。
観光ガイドブックに必ず出てくる、寸又峡の名所だ。


「夢のつり橋」の長さは90メートル。水面からの高さは8メートル。

軽い気持ちで渡り始めたはいいが、揺れるし、長いし、下が見えるしで、橋の真ん中少し手前あたりから、急に怖くなってきた。
無事に渡り終えた後も、しばらく体が揺れているような感覚がおさまらなかった。

 

さて、おそらくつり橋よりも大変と思われるのがこの先。延々続く上り階段だ。
こまめに休みながら上がるが、それでも相当きつい。

ダム湖の景色を眺めつつ、「くろう坂」「やれやれどころ」と名づけられた地点を経由し、やっと平坦な道へ出た。
分かれ道を左へ進む。(右へ進めば展望台があったらしいが、気づかなかった)

 


もう薄暗くなってきたところで、ようやく飛龍橋が見えた。


飛龍橋を渡る。もともと鉄道橋だったためか、がっしりとした造りだ。
長さ72メートル。水面からの高さは70メートルもある。
正面の山は、岩壁となって、まるでこちらに迫ってくるようだ。

 

 

プロムナードの入口へ向かう。かろうじて今歩いている道路が見える程度の暗さ。
はるか後ろから、カップルとおぼしき話し声がかすかに聞こえるのだが、その姿までは確認できない。

家々の明かりが見えてきたときはホッとした。
と同時に、自分が夢の中かどこかを歩いているかのような感覚に襲われた。
寸又峡温泉・夢のつり橋

 

奥大井観光ホテル翠紅苑に帰ってきた。
6時半から夕食。ヤマメの塩焼き、猪鍋、さまざまなきのこなど、山の幸をたっぷりと堪能。

食後そのまま大浴場へ。歩き回った疲れを癒そう。
泉質は硫黄泉で、お湯がつるつるとした感じ。あったまる。
露天風呂の場所は寒かったけど、風呂に入って出てくると寒くなくなった。

 

 

8時15分から、大浴場の男湯と女湯が入れ替わる。
9時頃、もう一度大浴場へ行き、もう一方の浴室に入ってきた。
露天風呂から空を見上げると、まんまるい月が輝いていた。

 

※翌日、井川線で千頭駅から井川駅まで行ったが、それについては別ページにて。
(井川線の記事へのリンクはこちら)
帰りに少し時間があったので、大井川本線の田野口駅に立ち寄ってみた。(駿河徳山駅の、金谷側の隣駅)

 

【大井川鐵道(9)】昭和の駅舎・田野口駅へ 

田野口駅

 

まだ明るいので、田野口駅で途中下車してみた。


田野口駅の駅舎は、1931年(昭和6年)に建てられた。
昭和時代の内装が再現されているという。

 


一見、よくある木造駅舎のようだが、照明が蛍光灯ではなくて小さな電球だ。
時計や時刻表は新しいものだが、何かの撮影があれば、すぐに古いものに取り換えられるだろう。


駅務室にはダルマストーブと、票券発行用の受話器(多分)がある。切符売り場も木造の出札口。

 


入口の駅名板も手書き。
駅を出ると住宅地や茶畑が広がる。


外壁は押縁下見板張り。
昔の内装を再現したといっても、門司港駅のような派手さはない。
でも、地元との密着感を残した形で、リフォームできていると思う。

 

 


だんだん暗くなっていく。
冬場なので、次の電車が来る5時27分までには、確実に日が落ちているはず。

 

5時になり、町に『ふるさと』のメロディーが流れた。
案の定、とっぷりと日が暮れた。寒くなってきた。
ツイッターに書き込みしつつ電車を待つ。

 

車両は京阪の元テレビカーだった。暖房が効いてて、落ち着く。
結局、南海ズームカーと京阪テレビカーには乗ったけど、近鉄の特急車両にだけは乗れなかった。

 


終点・金谷駅着6時22分。
JR東海道線に乗り換えて掛川まで行き、7時31分の新幹線で東京に帰った。

 

 

鉄道コム

 

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