番外 かつて平成時代に存在した宮崎~関西間の夜行バス、近鉄バス「おひさま号」&「ひなたライナー」 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 
 かつて平成31年2月末まで、宮崎から夜行高速路線バスが運行しておりまして、宮崎から関西方面へと結びます陸路が存在しておりました。
 
 それが、上の画像の近鉄バスが単独で運行されておりました、京都・大阪・神戸~宮崎線「ひなたライナー」でありまして、平成29年の2月に運行を開始しておりましたが、利用者の低迷や競合するフェリーの存在もありまして、残念ながら平成31年2月28日を持ちまして運行終了と言う事に至っておりました。
 
 今回は、その「ひなたライナー」に関しましてご紹介するとともに、その前に運行されておりました、前身の「おひさま号」時代の過去の画像も併せて皆様にご紹介してまいります。
 
 
 まずは、前身の「おひさま号」に関しましてもご紹介してまいります。「おひさま号」は、平成20年に関西~宮崎間の唯一の陸の公共交通機関として運行を開始したものでありまして、それ以前は、平成17年まではJRの寝台特急「彗星」が、京都・新大阪・大阪~大分・宮崎・南宮崎間で運行されておりましたので、3年間は関西~宮崎間の陸の交通機関は存在しておりませんでした。
 
 (運行開始当時の使用車両、8809・日野PKG-RU1ESAA)~現在は他社移籍
 
 この「おひさま号」に関しましても、実は「復活」と言う形となっておりまして、その証としましてそれ以前にも大阪~宮崎間で近鉄バスと宮崎交通との共同で運行されておりました「あおしま号」が存在しておりました。しかし、この頃はフェリーとJRとで宮崎~関西間で存在しておりましたので、それらの競争に負けてしまいまして、廃止に至っておりました。
 
 けれども、そのフェリーも燃油に関します運賃高騰もありまして、この関西~宮崎間の高速バスを復活させる動きが見られ始めた事から、その結果「おひさま号」が近鉄バス単独運行において運行を再開、かつての共同運行会社宮崎交通も発券・支援業務として任されておりました。
 
 そんな「おひさま号」の運行区間は・・・

 京都駅八条口~大阪駅(東梅田駅)~神戸三宮(「ミント神戸」)~えびのインター~小林インター~都城北~宮交シティ

となっておりまして、先述のようにこちらは九州自動車道~宮崎自動車道を経由して運行されておりました。
 
 
 ここからは、「おひさま号」の宮交シティ発着シーンでありますが、まずご紹介しますのは宮崎発のシーンであります。宮崎地区の始終着地は、南宮崎駅の近くでもあります宮交シティでありまして、宮崎駅までは運行されておりませんでした。したがって、この時も宮崎駅方面へ向かう際、また宮崎駅方面から向かう際にはには路線バスあるいはJRを利用しなければなりませんでした。
 
 この時の京都行きは、日野セレガの8255(現2255)・QPG-RU1ESBA)でありました。行先を見ましても、おひさま号 三宮大阪京都と、神戸・大阪・京都の主要都市を運行していた事がわかる姿が伺わせておりました。尚、この時の宮交シティからは10名ほどの乗車があっておりまして、その後都城北などで数名ずつの乗車がある事になっておりまして、最終的に20名ほどになる模様でありました(当時の座席表より)。
 
 こうして、発車時間となりまして神戸(三宮)・大阪を経由しまして京都へ向けて発車して行きました。これから約13時間と言う長い時間ではありましたが、私もとにかく安全に乗客の皆様を運んでほしいと言う思いで発車の姿を見送っておりました。
 
 
 一方、こちらは翌朝の宮交シティでの姿であります。この時の宮崎行きは、続番であります同じく日野セレガの8256(現2256)でありました。
 
 
 「おひさま号」の宮崎行きの行先の姿であります。この車の前面の行先を見ましても、おひさま号 宮 崎と表示されていない事から、見ていてシンプルな形でもありました。私としましては、せめて都城北くらいは入れて良かったのではないかとも思ったほどです。尚、この時の宮交シティでの降車人数は10数名ほどでありまして、乗車人数に関しましてはわかりませんが、おそらくは前日の宮崎発くらいの乗車人数はあっていたようでした。
 
 
 しかし、冒頭ご紹介しましたように、「おひさま号」は平成28年9月に廃止されました。やはり、フェリーに乗客を奪われていたのが大きな要因でしたが、その4ヶ月後に「ひなたライナー」として復活する事にもなります。


 「ひなたライナー」は、先述のように「おひさま号」を復活させた形で運行されておりまして、「おひさま号」時代が宮崎自動車道を経由しましてえびの・小林・都城を経由しておりましたが、「ひなたライナー」では延岡・日向・西都などを経由するようになっておりまして、これまでの宮崎県の南部・西部方面向けの集客から、日向・延岡方面の北部向けの集客に転換しておりまして、特に延岡は宮崎県一の工業都市でもありますので、より集客が望めるとの判断ではなかったかと思われます。
 
 
 そんなこの「ひなたライナー」は、名称から宮崎県が「日本の日なた」とも称します事から名付けられておりましたが、この停車地は以下の通りでした。停車地からもわかりますように、この「ひなたライナー」でも「おひさま号」と同様宮崎駅には停車せず、宮交シティが起終点でしたので、宮崎駅方面は途中のカリーノ宮崎前及び山形屋前を利用する事になっておりました。
 
 京都駅八条口~大阪駅前(東梅田駅)~三宮バスターミナル(ミント神戸)~(山陽自動車道~九州自動車道(~北九州ジャンクション)~東九州自動車道(一部区間大分自動車道)~延岡駅前バスセンター ~(東九州自動車道)~門川BS~日向IC~西都IC~国富BS~宮崎BS~カリーノ宮崎前・山形屋前~宮交シティ
 
 また、延岡・日向経由に伴いまして、東九州自動車道を経由する事になりまして、延岡市内を経由する事などもあり、所要時間が「おひさま号」よりも長い約14時間、運行距離は937キロにも及んでおりました。やはり、オール東九州自動車道である分、まさに経路変更した事が伺える所でもありましょうか。
 

 この「ひなたライナー」に使用されておりました車両は、前身の「おひさま号」で使用されておりました以下画像の平成24年式日野セレガ2台(2255(←8255)・2256(←8256)、いずれもQPG-RU1ESBA)でありまして、コンセント・プラズマクラスターなども装備されている車であります。またこの「ひなたライナー」の担当は稲田営業所でありましたが、「おひさま号」時代の廃止前は京都営業所、そして最初の担当営業所は稲田営業所が担当しておりましたので、車両も以下の表にもありますように最初の登録ナンバーである大阪ナンバーに戻っておりました。

 (8255(現2255))~「おひさま号(大阪ナンバー)」時代
 
 (8256(現2256))~大阪ナンバー再登録直後

 
 8255(→2255) 大阪200か33-81→京都200か30-70→大阪200か41-89
 8256(→2256) 大阪200か33-82→京都200か30-71→大阪200か41-88
 
 
 さて、こちらの画像は廃止前の平成31年2月上旬に宮崎交通富吉車庫(宮崎中央営業所)に訪問した際に収めました2255(←8255)であります。近鉄バスでは、平成30年頃に社番を変更しておりまして、上1ケタが「8」から「2」に変わっております。この要因はわかりませんが、平成30年訪問時に最初あれ?と思っただけに、社番が変わった事を実感したほどでありました。
 
 (側面に書いてある社番)
 
 
 それにしても、これまで宮崎訪問時には毎回見ておりました「おひさま号」の専用車でありましたが、この関西~宮崎方面も、ご紹介しておりますように2度の復活を経ておりましたが、それでも廃止へと至ってしまう訳ですから、この駐車シーンではなく運行シーンを見たかった・収めたかったなと思ったほどでもありました。
 
 (平成30年撮影、2256)
 
 
 今回は、平成31年2月末で廃止されました「ひなたライナー」、そして前身の「おひさま号」に関しましてご紹介しましたが、これらの廃止の要因も、やはりフェリーの存在が大きかったようであります。価格も、フェリーとはさほど変わらなかったようですし、かつ装備もフェリーの方がゆったりしている訳でしょうから、フェリーに軍配を与えてしまった事は残念ではないかと思います。現在は夜通しによる宮崎~関西間の陸上の交通機関はなく、完全に「海」に軍配を与えておりますが、それでも陸上での交通機関でのメリットもある訳でしょうから、乗務員不足と言われる中ではありますが、また何らかの形での復活を期待したいと思います。