1988年、祝〝中電池袋乗入〟ヘッドマーク。もう既に新宿には高層ビル群が建っていたが、まだ都庁は移転前で〝副都心〟とは言われていなかったと思う。池袋乗り入れは限定的、一大プロジェクトの第1歩だったとは思いもよらなかった。

親は東武伊勢崎線で通勤していたので浅草や上野、秋葉原辺りによく遊びに行った。子供には浅草より渋谷、新宿、池袋の方が都会的な繁華街に映った。浅草が東京で一番の繁華街だったと言われてもピンとこない。

鬼怒川橋梁にて、JR発足1周年記念ヘッドマーク。青函トンネル開通は別として、池袋乗入は貨物線の活用、国鉄ではなかなか進展しなかったプロジェクトだったのかも知れない。