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【阪急】新大阪連絡線の発端についてのメモ

2031年の開業に向けて準備が進められている、阪急の「なにわ筋連絡線」と「新大阪連絡線」。

採算性の観点や南海の乗り入れが検討されているため、なにわ筋連絡線と新大阪連絡線がセットで取り上げられることが多いです。

ただ、最初からなにわ筋連絡線と新大阪連絡線がセットで検討されていたわけではありません。話の発端は、新大阪連絡線からです。

というわけで、新大阪連絡線の発端に関して調べたので読み手ガン無視のメモとして残しておこうと思います。

長文のため非常に長いです。じっくり読みたい方はブックマークしてまとまった時間で読んだ方が良いと思います。



新大阪連絡線の発端について

新大阪連絡線の当初計画を知るには、阪急の社史が手っ取り早いです。というか、ほぼそれが全てと言っても過言ではありません。

阪急の社史において、新大阪連絡線の発端については『75年のあゆみ 記述編』 の89~90ページにある「新大阪連絡線の計画」で触れられています。

新大阪連絡線の申請内容

当時の申請内容については『75年のあゆみ 記述編』の89ページに記載があります。

・新大阪連絡線の計画
 昭和39年の東京オリンピック開催にあわせて東京―大阪間に東海道新幹線が開通したが、この建設工事が進められているさ中、当社は、当社線を新大阪駅につなぐ計画を立て、昭和36年2月、淡路―新大阪―十三間(4.030km)と、神崎川―新大阪間(2.963km)の新線の免許を申請した。

―『75年のあゆみ 記述編』89ページ より引用

昭和36年(1961年)2月に免許申請を行ったことが、新大阪連絡線の始まりです。この新線の目的は、当然ですが、阪急から新大阪駅を繋ぐためです。背景は後述します。

そして、この時、

  • 淡路~新大阪~十三
  • 神崎川~新大阪

の2ルートを計画しています。ちなみに、千里線・千里山駅~箕面線・桜井駅と同じタイミングで申請しています(1961年2月1日)。

この免許申請の許可は1961年12月26日です。『私鉄統計年報 昭和36年度』を見てみると、千里線・千里山駅~箕面線・桜井駅と同じタイミングで許可されています。

事業者名 動力 軌間
メートル
区間 キロ程
キロ
建設費概算
千円
免許年月日
京阪神急行電鉄株式会社 電気 1.435 千里山・桜井 7.8 2,170,000 昭和36.12.26
淡路・十三
新大阪・神崎川
4.2
2.8
6,600,000
(『私鉄統計年報 昭和36年度』298ページより京阪神急行電鉄のみ抜粋して作成・一部追記)
余談ですが、免許申請はキロ程なので、距離については社史の記述と若干の差異があります。阪急電鉄が公開している営業キロ程表を見てみると、淡路~十三のキロ程は4.2キロで免許申請の内容と一致しています。



申請ルート

新大阪連絡線の申請ルートについては、残念ながら、阪急社史には掲載されていません。

…が、阪急公式が2002年に発表したリリース「新大阪連絡線の鉄道事業許可の一部廃止について」の中に、計画略図が掲載されています(本記事の最後の方にリンク貼っておきます)。

ただ、この計画略図が見づらいのと、免許の継続・廃止に焦点が置かれているので、線を引き直しました。

先述した通り、新大阪連絡線のルートは2つあります。

淡路~新大阪~十三のルート(上図の緑色)は、「淡路起点→東海道新幹線の新大阪駅東側を交差→東海道線の新大阪駅→現・山陽新幹線と並走→宝塚線の十三~三国間の手前で十三方向に転換→十三」というルートです。

神崎川~新大阪のルート(上図の青色)は、「新大阪駅起点→現・山陽新幹線を並走→宝塚線の十三~三国間を交差→阪急神戸線の手前で神崎川方面に転換→神崎川」というルートです。

新大阪連絡線計画の背景

では、どうして新大阪連絡線を計画するに至ったのか。その目的は「阪急から新大阪駅を繋ぐため」ですが、背景についても、阪急社史『75年のあゆみ 記述編』の89ページに記載があります。

ただ、社史の記述が長いのと、冗長的な文章になっているため、要点をピックアップすると以下5点です。

  • 東海道新幹線とほぼ並走してるので新線を敷いて新大阪駅に結び付けることは比較的容易
  • 新大阪駅まで結ぶことで沿線開発に寄与
  • 東海道新幹線・東海道本線・地下鉄御堂筋線と新大阪駅で繋がることによる利便性の向上
  • 踏切が多い淡路~十三において、高架の新線を建設することで、安全・円滑な運行と輸送力増大
  • 梅田駅の混雑緩和

いずれも阪急および周辺にメリットがあるという考えのもと、新大阪連絡線を計画していたということになります。



計画の変更

メリットが多いという事は、とんとん拍子で話が進みそうですが、結果的に新大阪連絡線の話は進んでいません。

阪急社史『75年のあゆみ 記述編』の90ページの記載で、

しかしながら、その後の進展は、新大阪駅周辺を副都心にするという当初の計画といささか異なった形で推移したこと、また、その頃当社は梅田駅の移設という一大プロジェクトを推進しようとして、施策の重点をこの「梅田新駅」においたこともあって、「新大阪連絡線」の計画については、区画整理事業等による用地の取得を続けながらも、新幹線の建設工事に際して当社予定線と交差する地点4カ所の一部施工にとどめ、以後の進展をまつことにした。

―『75年のあゆみ 記述編』90ページ より引用

とあります。

新大阪連絡線が進まなかったポイントは、

  • 新大阪駅周辺を副都心にする計画が発生
  • 梅田駅の移設に注力

の2点です。



新大阪駅周辺の副都心計画

阪急の社史にいきなり出て来た、「新大阪駅周辺を副都心にする」という記述。これは何かと言うと、1967年に大阪市総合計画局が出版した「大阪市総合計画基本構想1990」に記載があります。

「大阪市総合計画基本構想1990」が出版された1967年は、いわゆるいざなぎ景気とよばれる好景気で、1960年代は産業の発展とそれに伴う都市部への人口集中がありました。大阪市としては、大都市の生活圏・経済圏を広域的に考えて、将来の計画を作成したのが、「大阪市総合計画基本構想1990」です。

で、当時の大阪の都心部の近くにあって、連絡が便利な場所に副都心を作ろうというのが計画の一つに上がっています。その一つが、新大阪駅周辺です。

そして、「大阪市総合計画基本構想1990」の93~94ページに新大阪駅の再開発と阪急の新大阪連絡線についての記述があります。

(5) 新大阪駅地区開発計画
 (前略)この地区は大阪経済の中枢的役割を果たすのに好適の場所となる。また一帯は新規に開発される土地であるという点を考え、計画的な都市建設により快適で能率のよい街をつくる
 この地区の開発の有力な手がかりとして
  新大阪駅周辺土地区画整理事業が施行されている。
  御堂筋線に4車線の高速道路が建設される。
  大阪市高速鉄道1号線(中百舌鳥―千里山)が建設される。
  京阪神電鉄が十三、神崎川および淡路より新大阪駅に乗り入れる。
 (後略)

―「大阪市総合計画基本構想1990」93~94ページより引用

上記の引用部分の後続に開発計画の概要が記載されていますが、端的に言うと、新大阪駅周辺に高密度オフィスや、ショッピングセンター・アミューズメントセンター・ホテルなどを配置することが述べられています。

阪急の社史に戻ると、「その後の進展は、新大阪駅周辺を副都心にするという当初の計画といささか異なった形で推移した」と記述しています。

これは阪急社史の記述が複数の解釈を生みそうなので、勝手に推測します。阪急が新大阪連絡線を申請したのは1961年のことで、1967年に大阪市が開発計画の構想を「後出し」しています。あくまでも推測ですが、阪急が当初考えていた新大阪連絡線および周辺開発と、その後に出て来た大阪市の構想に乖離があり、阪急が大阪市の動きを待った可能性があります



梅田駅の移設に注力

もう一つ。梅田駅の移設の話です。これは阪急の歴史においてビッグイベントの一つとして各所で取り上げられているので、詳細は割愛します。

梅田駅の移設が始まったのは昭和41年(1966年)2月1日。そこから4期に渡る工事を経て、1973年11月23日の京都線1号線ホームをもって梅田駅の移設および拡張が完了します。

阪急が「施策の重点をこの「梅田新駅」においた」とある様に、1966年~1973年の間に梅田の移設工事が行われており、ターミナルビルの工事費用を含めると、総額約365億円を投じたことになります。

ところで、梅田の移設の話は、1967年に「大阪市総合計画基本構想1990」が出る前から動いています。この辺りの時系列は後でタイムラインに記載しておきますが、社史にある新大阪副都心の話と合わせてザックリ言うと、

阪急「新大阪連絡線作ります。得意な沿線周辺の開発もします。」(1961年)

阪急「やっぱり先に梅田駅を移設・拡張します。梅田の利用客がいっぱいなので。」(1966年)

大阪市「新大阪を副都心として開発します!阪急も新大阪に新線作るみたいなので!詳しい事はこれから!」(1967年)

阪急「えぇ…大阪市さんがそう言うなら…。でも、今は梅田で手一杯なので後で。」(推測)

みたいな感じですかね。

結果的に、既存路線の対処を優先したので、1961年に免許申請した新大阪連絡線は頓挫しています。

梅田の移設以外にも、1960年代の阪急は大きなプロジェクトをかかえています。
1961年~1963年には京都線の大宮~河原町延伸工事が行われています。また、1962年~1963年、1965年~1967年に千里線の延伸が行われており、千里線の2度の延伸は千里ニュータウンの造成計画と同時に進行しています。その他にも駅の拡張工事とか、北大阪急行の建設とか。
存在していない新大阪連絡線は建設しなくても困らないですし、キャパシティが限界を迎えていた当時の梅田駅の移設・拡張や、計画が進行している路線の延伸等、必要なところにリソースを投入したと考えるのが妥当だと思います。



都市交通審議会の話(答申第13号)

梅田の移設に注力した阪急ですが、阪急社史の記述にあるように、東海道新幹線が外業しても新大阪連絡線の工事は停滞しています。

阪急は手を止めてますが、1971年12月に「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備増強に関する基本的計画について」が答申されています。いわゆる、「都市交通審議会答申第13号」です。

この答申第13号において、新大阪連絡線が「新設すべき路線」として取り上げられています。

3.新設すべき路線
(中略)
 (3) 十三―新大阪―淡路
    ・阪急京都本線の輸送需要の増加に対処するとともに、新幹線との接続をはかるために必要となる路線である。

―都市交通審議会「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備増強に関する基本的計画について(答申第13号)」8ページより引用

1971年12月時点で動きが停滞している新大阪連絡線の工事ですが、都市交通審議会としては「新設すべき路線」としています。都市交通審議会の法的根拠と答申の効力がどれくらいあるのかは別として、話としては浮上していたみたいです。

ただし、気になるのが、「十三~新大阪~淡路」ルートのみ、「新設すべき路線」に取り上げられていますが、「神崎川~新大阪」ルートが答申第13号に入っていません。



今後、継続して調べること

現段階で、私人が気軽に調べることが出来るのは、これくらいが限界です。

というわけで、以下を継続して調べます。Twitterアカウントに情報頂ければありがたいです。

  • 新大阪連絡線の免許申請以前(1961年以前)の新大阪周辺開発計画
  • 新大阪連絡線の1962年~1966年の動き(免許取得後から梅田移設前まで詳細)
  • 「神崎川~新大阪」ルートが答申第13号で消えた理由
  • 「淡路~崇禅寺~南方~十三」(現行線)の扱い

上記も調べてからこの記事に書こうと思いましたが、手掛かり不明で沼に陥りそうだったので一旦は保留にしています。

タイムライン

新大阪連絡線、同時期に行われた梅田駅の移設、(大阪市がぶっこんできた)新大阪副都心構想、(言ったもん勝ちの)都市交通審議会の答申を時系列で並べてみました。

阪急としては緊急の課題である梅田駅の移設に7年以上かけており、その間に新大阪連絡線の建設をやれと言われても、たぶん無理な感じがします。

新大阪連絡線(発端)
  • 1961.02.01
    新大阪連絡線の免許申請
    地方鉄道敷設免許申請書提出(淡路~十三、新大阪~神崎川)
  • 1961.12.26
    新大阪連絡線の免許取得
    敷設免許が認可
  • 1966.02.01
    梅田駅の移設・拡張工事開始
  • 1967.02.??
    新大阪副都心の構想が明らかになる。
  • 1971.11.28
    梅田駅の移設工事完了
    2号線~9号線の移設が全て完了。
  • 1971.12.08
    「大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備増強に関する基本的計画について」が答申される
    新大阪連絡線が「新設すべき路線」として取り上げられる。
  • 1973.11.23
    梅田駅の拡張工事完了
    1号線ホーム増設完了。
  • 2002.12.25
    新大阪連絡線の一部免許廃止
    淡路~新大阪、新大阪~神崎川の免許を廃止。新大阪~十三は延長。

参考文献

『75年のあゆみ 記述編』 阪急電鉄株式会社 編

『私鉄統計年報 昭和36年度』運輸省鉄道監督局

『大阪市総合計画基本構想1990』大阪市総合計画局

『大阪圏における高速鉄道を中心とする交通網の整備増強に関する基本的計画について(答申第13号)』都市交通審議会

関連リンク

新大阪連絡線の鉄道事業許可の一部廃止について|阪急電鉄

「新幹線新大阪駅改良計画」への対応および当社用地の活用について|阪急電鉄

営業キロ程表|阪急電鉄

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