2005年まで走った寝台特急「あさかぜ」。東京ー博多間を走った往時の「本家」は13〜15両編成でしたが、下関止まりの「分家」が残った晩年は短い9両編成でした。それでも、年末年始やお盆などの多客時は4両を増結し、見応えのある13両編成で運転されてました。

 

 

多客時に13両編成となった晩年の「あさかぜ」。後部に4両増えるだけでブルトレとしての貫禄がグッと出ます=厚狭ー埴生、2005年

 

 

望遠レンズで撮影しても画面が引き締まりました=埴生ー小月、2004年

 

 

 

晩年の「あさかぜ」は電源車カニ24形を連結せず、架線からパンタグラフで電気を取り込むスハ25 形300番台が入った編成にそろえられていました。

 

特徴的な車両は、1号車に荷物室を持つオハネフ25形300番台、3号車にA個室寝台車オロネ25形300番台、4号車にラウンジカーのスハ25形300番台が組み込まれていました。

 

9両編成では、車掌室のあるB寝台緩急車オハネフ25形は7号車と最後尾の9号車に連結されましたが、13両化の際、9号車は車掌室のないオハネ25形に差し替えられ、編成端の13号車がオハネフ25形となりました。

 

 

13両編成は後ろから撮影しても長く、昭和のブルトレを思い出させてくれました=防府ー大道、2003年

 

 

13両化の際に増結された「あさかぜ」の編成後部。通常オハネフ25形が入る9号車がオハネ25形に差し替えられています=埴生ー小月、2005年

 

 

 

晩年の13両編成について、私はつい最近まで通常の9両はそのままで、後部に4両を増結するだけと思い込んでいました。

 

しかしよく考えると、9号車をオハネフ25形にする必要はなく、元々の「下関あさかぜ」(共通運用だった寝台特急「瀬戸」も)も9号車はオハネ25形でした。

 

晩年は短い9両編成になって元気のなさが伝わった「あさかぜ」ですが、多客時の13両編成は往時の雰囲気が感じられ、積極的にカメラを向けたくなる存在でした。

 

 

 

 

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※姉妹ブログでは、下関駅の機関車交換を書いてみました