北行での次の停車駅が大崎になるか品川になるかの違いですが、うっかり横須賀線(か湘南新宿ラインを)乗り間違えた人はこの駅が乗り直す最後のチャンスです。
湘南新宿ラインに乗れば大崎を経由し山手線の西に、
横須賀線に乗れば品川を経由し山手線の東へ遠心力で飛ばされます。
RPGでよくいる序盤は大した活躍を見せないのに急に日の目を浴びるようになるキャラっていますね。そんな感じの駅です。
駅のすぐ近くを東海道新幹線の高架線があり、颯爽と新幹線が駆け抜けていきます。
駅前は多くのマンションが乱立した城東の住宅街となっており、空気の良さげな雰囲気があります(実際に現在の西大井駅付近に伊藤博文の邸宅がありました)
また、バスロータリーの脇にはこのような青銅製の銅像が。
タイトルは「平和の誓い」だそうです。Twitter民の私からすると「子供からTwitter(の鳥)を取り上げる母」という構図で青い鳥がアイコンを飾っていた頃にはこの像を大喜利ネタに出来ましたが、今はアプリ名諸共"X"になったので出来なくなりました。
そういう意味での"平和の誓い"でしょうか……本当は品川区が世界平和を願いこの地に建てた青銅製の像ですが。
駅コンコースにある生け花を軽く見た後にUbereatsで注文した時ぐらいサクッと来た次なる列車で東京都を抜け、神奈川県に渡ります。横須賀線での神奈川県最初の駅は……
~築き上がる栄光を求める、鬨の駅~
JO15/JS15 武蔵小杉 1927年11月1日開業
元々は「グラウンド前駅」という名前で開業し、当初は南武線しか止まらなかった駅ですが、第二次世界大戦末期に東急東横線の駅が開業し、2005年に横須賀線の止まるホームを設置する事がJR東日本と川崎市の合意で決まり、その5年後の2010年に横須賀線のホームが誕生し、同時に成田エクスプレスとスーパービュー踊り子が停まりました。武蔵小杉の栄光はまさにここから始まったと言っても過言ではないです。
こちらは混雑解消の為に昨年末に新設された新3番線。成田エクスプレス等が発着します。
武蔵小杉駅の周辺の再開発が進んでからは日常的に激しく混雑する日々が続いたために新南口が増設される等、当駅の利用者数は(コロナによる多少の減少はあれと)鰻登りで増え続けており、最も多かった時の2018年の乗車人員は130752人と、柏駅を差し抜き、船橋駅に迫る勢いでした。
まさに鉄道界のタイトルホルダー(2022年天皇賞春勝ち馬)といった感じでしょうか。
駅周辺にはウサイン・ボルトも驚くスピードでタワーマンションが乱立し、今年の住みたい街ランキングでも14位に入る等、まさに飛ぶ鳥を落とす勢いで発展を続けている「鬨(とき)の駅」とも言えるほど、駅周辺のタワーマンションに住む人々は輝ける栄華を謳歌し続けていますが……この駅(とその周辺)も4年前、台風の毒牙に冒されました。
10月12日は台風19号が関東一円を襲い、各地に大雨をばら撒きまき各地に被害をもたらし、その際の武蔵小杉駅は横須賀線の新南改札口が浸水するという被害になり、その様子は連日ニュースで報道されました。
この影響で翌日の13日は横須賀線の上下線全列車が武蔵小杉駅を通過(厳密には通過扱い)するという前代未聞の事態にまで発展し、(この日の湘南新宿ラインは全列車が運休していました。)コンコースに降りたった瞬間終わるぐらい駅構内は冠水し、駅周辺には悪臭を伴う茶色い泥水、水が引こうが砂泥が残り駅周辺に住む住民や利用客を苦しめました。
この悪影響は今でもGoogleで「武蔵小杉 台風」と調べた時に強烈なキーワードがサジェストに並ぶ程の、街に対する風評被害…デバフとなっています。閲覧は自己責任でお願いします。
そこで横浜駅は使えなくなった武蔵小杉駅の新南改札の脇に簡易改札機を提供してくれました。……という応急処置が取られた事もありました。
…それは4年前の話。時を私が武蔵小杉駅を訪問した時に戻します。
かの2019年の台風19号から4年の月日が経ち、当時を想起させない程綺麗な駅になりました。訪れた時が休日であったせいか、平日限定解放の改札口は閉鎖されていました。
駅周辺には言わずと知れたタワーマンション群が乱立しており、東京港区の高速ビル群を彷彿とさせる光景が広がっています。
タワーマンション群が並び始める前までの武蔵小杉一帯は工場街でしたが、そういった工場の一つ一つが事業所の統合や海外への移転などにより無くなり、駅周辺に大規模な空き地が出来たために白羽の矢が立ち、工場跡地を利用した高層住宅街が建設される僥倖に至りました。幸運A++ぐらいありそう。
果たしてそれは、祝福か、はたまたは街を衰退させる呪いか……それはさておき次の駅へ、
~操車場を眼前に望む、川崎の精鋭~
JO14/JS14 新川崎 1980年10月1日開業
東京駅の時に述べたSM分離と時期を同じくして誕生した駅です。この新川崎駅と同じ日に東戸塚駅も生まれており横須賀線の駅の中では西大井駅に次いで新しい駅となります。どちらも請願駅として誕生した背景があります。(東戸塚に至っては100年以上前から駅の誕生を地元住民から懇願されていましたが…)
下写真のように島式1面2線のホームからは新鶴見機関区(新鶴見操車場)が見え、停車中の機関車を拝む事ができます。
また羽沢横浜国大に向かう相鉄直通列車は貨物線の線路を使用するため、新川崎駅を名の知れたモブキャラのように通過していきます。
かつては愛知の稲沢操車場、大阪の梅田操車場と並ぶ日本の三大操車場として全盛期はフル稼働でしたが高速道路・自動車の発達により御役御免(アバダケタブラ)となってしまいました。
それでも線路までは廃止されていないので発着する機関車の様子を金網・草むら越しに見る事ができます。
また、下記のように当駅から600mほど歩けば南武線鹿島田駅と乗り換えは可能ですが、制度上の乗換駅には指定されていません。
同じ横須賀線と南武線が乗り換え可能な武蔵小杉駅も乗り換えるのに500mの通路を歩かされますが、武蔵小杉は乗り換え駅に指定されています。これがこの世の不条理です。
また、駅構内には崎陽軒があり、ド定番幕の内弁当やシウマイ弁当等が売っています。
我孫子駅の唐揚げ蕎麦ぐらい定番のメニュー、一般人にもわかりやすい例えで言ったら回転寿司屋で頼む中トロマグロぐらいの定番品です。
駅周辺は微々たるものの再開発は進んでおり、2000年には駅の南側に慶應義塾大学の新川崎タウンキャンパスが開設されて以来、「新川崎・創造のもり」構想の名のもとに先端技術研究が行われる教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育教育って感じの街となっています。
道端の選挙広告ぐらいどうでもいい話題にはなりますが駅前に置かれている郵便ポストはプロサッカークラブ・川崎フロンターレ仕様となっております。
新川崎駅周辺の偵察を済ませた後はカフェ休憩を求め横浜駅へ。この日の朝は菓子パンのみなので流石に小腹が空きます。
日本のサクラダファミリア、別の例えで言うならば霊基が秒単位で変わる某妖精王(クラス・プリテンダーのサーヴァント)並に駅構内で常に改築工事を行う横浜駅です。人類が滅ぶまで工事をやっていそう。
という事で一旦横須賀線から離脱し駅直結のCIAL横浜地下1階のタリーズコーヒーへ
なんか色々添えてありますが主の趣味です。今回は先月に獣神化改を遂げたルシファー様とトレだまの山手線E235系、エアリアルくんを連れていきました。
バウムクーヘンは私が小さい頃からの嗜好品なので思いっきり食べます。
タリーズコーヒーで一服した後は横浜駅へ戻り、ここから再び横須賀線に乗り…
と思っていたのかァ?(ブロリー)
我は東海道線に乗る!今からその理由を教えてやろう。
横須賀線上にある保土ヶ谷駅、東戸塚駅、戸塚駅は前年の東海道線駅巡りで降りたからだ!つまり用が無いという事だ…
ということで一区間のみですが戸塚駅まで東海道線でぶっ飛ばしショートカットします。マリオカート7・ウーフーアイランド2のバグショートカット並に飛ばします。
戸塚駅に着いた後は対面にやってきたE217系に乗り換えて大船駅へ
旅客を乗せた東海道線を間違って貨物線に転線させたり近くで架線が倒れる等呪われし大船駅も昨年5月に小田原に行った際に下車したので軽い駅紹介を。