初めて出会った「381系やくも」、模型で購入していたとはいえ実物を目の前にすると、やはり良い。
関東では見かけなくなった「国鉄特急顔」、数年前では当たり前だった光景が、今見ると懐かしく思い出させられる。
まぁブログを編集していて、そんな感じに浸っていた関係で、予定には無かった「中編」として一回分増やしてしまいました。
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こんな写真も記録してしまうが、自由席の方は忘れてしまったorz
座席は「3列」で、その右側の一人座席の先頭(C列1)・・・。
パノラマだったら景色が良かったんですけどね。
それにしても豪華な座席ですね。
模型用の内装の参考写真にもなりますね。
今回「備中高梁」駅までの乗車。これは、山陽線内だけだと、振り子を体験出来ないかもとのことで、伯備線内も乗車することにしました。
あっという間に「備中高梁」駅へ到着。
初めて振り子電車に乗ったが、結構傾いてますね。
なるほど、遠心力で頭に血が上った感覚は感じられましたが、それが「グッタリやくも」と言われる理由なんですね。
なくなる前に、381系(自然振り子)に乗車出来たのは、来た甲斐が有りました。
本当は終点の「出雲市」まで行ってみたかったんですけど、明日は仕事。コレばかりはしかたない。
途中「倉敷駅」を通過してふと気づく・・・。「水島臨海鉄道も乗車してみたかったな」
じつは水島臨海鉄道には、元JR東日本の「キハ30/37/38」が走っており、うち「キハ30/38」は、実家のある「八高線」も走っていた車両なので、会いに行く候補に入っていた。
話を戻しますが、この「備中高梁」駅まで来たのには、理由があった。
それは、少し待つと「上りのやくも」が来るので、撮影出来なかった「パノラマ車」も見れそう。
期待度は薄いが、運が良ければ「復活国鉄色」や「紫なスーパーやくも」が来るかもしれないと、ワクワクしていた。
そして顔を見せたのは・・・。
「ライラックか・・・」
ん?それは北海道だよな、と言うことは?
「復刻スーパーやくも色」
確かアンケート取って、「復刻させるなら無い色が良い?」という内容で、第一位だったと聞いてます。
模型では持っていますが、やはり実物を目の前にすると、かっこいい塗装。
そして「パノラマグリーン車」が目の前に登場したことに、感動が走る。
出来ればこの車両の「C列の1」に座りたかったorz
「おじさんおでこ広いね・・・」いや、そんなのはどうでもいい。
余韻を残したまま、走り去っていった。
とりあえず次の普通列車で戻ります。
あれ?なんか見慣れない色が来たぞ。
D-07編成「SETOUCHI TRAINラッピング」らしい。
内装も違いますね。
模型出たら買う・・・かわからんけど。
何気に中間車で「115系の爆音サウンド」を感応。
やはり国鉄型のモーター音は、乗っていて落ち着きますね。
関東じゃ、ほぼ聞けませんから・・・。「101系」「103系」「113系」「115系」「415系」等、あれだけ居たのに。
岡山の一つ手前の「北長瀬駅」で下車。
時間を確認したら、「やくもの発車時刻(毎時5分)」だったので、撮影しようかと。
しかも撮影しやすい対向ホームで中線付き・・・。
お、戻ってきた!
こっちの顔も、かっこいいですね。
雨降ってましたけど、こんなチャンス無いですからね。
ああ、行ってしまった。
岡山下車で、もう一本「やくも」撮ろうかと考えていましたが・・・。
「近郊顔は、思い入れが多すぎる」
じつは私、近郊型の顔には縁がありまして、「中央本線の115系スカ色」「房総(千葉)の113系スカ色」「横須賀線の113系(スカ色)」「東海道線の113系(湘南色)」と引っ越し先に、この顔が存在したために、見ていると落ち着くんですよ。
普通に長年乗っていた車両が、ちょっとしたきっかけで置き換えられてしまう。
それから数年過ぎると、「モーター音」「垂直な座席」「独特な前面展望」・・・、なんというか会いに行きたくなるもので、今回足を伸ばしてしまったと言うことです。
これは103系なんかも同じだし、「EF64-1000」も該当。うちの近所(新鶴見)限定では「EF65-1000」はまだ見れますけど、徐々に「黄色ラインの桃太郎」が増殖。広島行かないと見れないと思っていたのに、いつの間にか普通に走っている。
時代の流れとは言え、ちょっと悲しいですね。
そして横須賀線の113系を置き換えた217系が、今置き換えられている状態・・・。2世代見てきたのか、時の流れは残酷ですね。
そんな懐かしい車両が、ここでは現役。うち300番台は「元三鷹車」で、新宿まで乗り入れていた時代の車両。
当時方向幕は「準備工事」でしたが、転属先でも3両中、中間のみ方向幕付けていたっぽいですね。考えると結構面白いです。
話しが長くなりましたが、後編の「帰宅編」に続きます。
以上、「ゆったりやくも乗車と、紫やくもと115系の黄電撮影編」でした。