今朝、東洋経済の次のような内容の記事を見た。

「田端駅は1896年に東北本線の駅として開業した。

当時隣駅だった上野に、東京芸術大学があったことから、芸術家が多く住むようになった。

北口ができてから、徒歩でしかアクセスできない南口は衰退した。」という内容だった。

田端駅南口を利用した時、その意外性が印象に残っていたので、手持ちの写真を探したが、どうやら写真は撮っていなかったようだ。

ただその南口に至る不動坂の写真はあったので、その時書いたブログを再掲する。

前記の記事の中に関東大震災の避難地となったことも書いてあったが、その慰霊碑の場所にも立ち寄っていた。

 

東覚寺から通りを渡り、小さな道に入る。
マップでは左手に銭湯の表示があるがそこは更地になっていた。
突き当たって右に折れ、坂を下ると與楽寺があった。
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門を入って左手に関東大震災の慰霊碑があり、その奥に井戸が見えた。災害の時は水の確保は不可欠であり、この井戸はその時、避難民に貢献したのだろう。
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本堂では数人の僧がお勤めの最中だったので、近づくのを遠慮して墓地に向かった。
奥に進むと台地の斜面になっていて、中世のものと思われる墓碑か並んでいた。
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與楽寺は江戸時代20石の朱印を拝領していたということだが、その雰囲気は今も残っている感じがする。
與楽寺坂を登り詰めた先が不動坂になる。
浴衣姿の女性が石段を下りて行った。後姿を入れて不動坂を撮ろうかと思ってためらっているうちに改札に向かって曲がっていった。田端駅の南口になる。山手線の駅前にこんな風景があるとは意外だった。不動坂は時折人の行き来が途絶える。そのタイミングを見計らっての写真。
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いま気になってること

 

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