17日目 きらめく浜名湖
徒歩旅行日:2021年5月23日(日)
歩き旅を始めて17日目。1泊2日で前日から土日を使って歩いている。
前回の記事はこちら→会社員の東海道53次 徒歩旅行記⑯【磐田〜浜松】 - 旅の記憶
宿泊していた浜松のビジネスホテル。目が覚めると、部屋の小さな窓から、強い陽射しが差し込んできている。もうきっと部屋の外は暑いに違いない。朝支度をして、宿のオーナーのおばさんに鍵を返して街に出る。午前9時半、既にカラッと暑い。この日は浜名湖を越えて、17キロ先の新居宿まだ歩く予定だ。日焼け止めを入念に塗り込んで、歩き始める。
スタート地点の板屋町交差点から。市街地を抜けていく。
浜松城へも足を伸ばそうかと思ったものの、1キロほど離れてることもあり、またの機会に訪れることにした。この暑さの中で往復2キロの寄り道は気が進まない。
道中、本陣の跡があったり、地名が宿場町らしかったりと、あまり面影はないものの歴史を感じられるタイミングが多々ある。
やけにまっすぐに伸びた遊歩道。これは廃線跡か…この辺りの嗅覚はかなり鋭くなっている。
遊歩道を少し進んでみると蒸気機関車があった。やはり…。1人きりで鼻高々。廃線跡であることはほぼ確定だろう。調べてみると、ここは堀留ポッポ道と言われる場所らしく、この先にあるJRの工場への引込線跡とのことだった。
この後、東海道は大通りに合流。新幹線のガードをくぐる。道には全く日陰がなく、容赦なく太陽光が降り注ぐ。夏の時期、この先の歩き旅が過酷になることが容易に想像できる。
浜松市南区へ。進行方向右手にはJR浜松工場がある。
「八丁畷」という地名に出会う。川崎にもあった、京急の駅名でもお馴染みの八丁畷。川崎は八丁(約900m)の間まっすぐな道というのが地名の由来であったが、ここも同じなのだろうか。確かにこの先、東海道はまっすぐだった。
スズキ入口というバス停がある。道の右手にスズキ本社があった。
そして、スズキ本社に最も近いと思われる販売店も近くで発見。
直線の道中を進み、時刻は12時を回る。西区へ。
次の舞阪宿までは11キロと少し距離がある。休憩場所である立場の跡の案内もあった。
遮るものがない頭上の青空、周囲に山もないため、やけに空が広い。前方の視界がひらけているのは、浜名湖に近づいてきているからだろうか。早く浜名湖が見たい、この一心で汗ばみながらも進んでいく。
しばらく進むと、松並木が日陰を作っていた。途端に風も涼しく感じられて生き返る…。どうやらもうこの辺りから舞阪宿に入るらしい。舞阪宿は江戸から数えて30次目の宿場町。
宿場入口を示す石垣が今でも残っている。
舞阪宿場内。のり、たたみいわし、しらすぼしの文字が浜名湖が近いことを教えてくれる。そしてお腹が空いたので、ふらりと入った食堂で腹ごしらえ。冷房が効いた店内、天井の近くに置かれている小さなテレビを見ながら食べる定食と冷たい水はとても美味しい。
脇本陣が復元されていたので見学してみる。
大正時代には役場としても使われていたらしい。だいぶ身体をクールダウンさせることができたので、再び歩き始めようと思ったが。
歩き始めるや否や、眼前に浜名湖が広がり思わず足を止める。かつて対岸まで繋がっていた砂州は1498年の大地震で途切れてしまい、江戸時代には船で渡っていたらしい。雁木と言われる渡し場が、灯台とともに復元されていた。
東京から浜名湖まで歩いてくる人なんて普通いないよな…。と妙な達成感と感慨深さがある。
今はもう渡し船はないので、弁天島を通り対岸まで歩く。
対岸に着くと、湖西市に入った。静岡県最後の街。
国道1号線は日本橋から274キロ、自分もほぼ同じ距離歩いたのだと思う。
少し路地に入ってみると、穏やかな港があった。
16時過ぎ、程なくして新居町駅に到着。今日はここまでとしよう。帰路に着くことにする。次は愛知県に入ることになるだろう。長かった静岡も遂に踏破が近い。
帰りは天竜浜名湖鉄道経由で掛川へ。歩き疲れた後の冷房の効いた車内は気持ち良すぎて、車窓はほぼ見ずに熟睡…。
そして静岡からは沼津行きのホームライナーがうまく接続して、新幹線は使わないながらも快適に帰ることができた。
つづく。