青春18きっぷ旅 上野東京ラインで黒磯駅徒歩圏内の温泉へ行った話 | 余計なコトは書かなくていいだよ!

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鉄道に関する旅行記や独り言を書き込んでいくブログです。
場合によっては過去の乗り鉄記録についても掲載することがあります。

7月20日から青春18きっぷのシーズンが始まっています。私は東海道線~宇都宮線と上野東京ラインで北上して黒磯の温泉に行ってみました。乗ったのは1524E列車、上野東京ライン宇都宮線直通の宇都宮行です。JREポイントを使ってグリーン車を利用します。夏の定番だけど8月一杯まで首都圏の普通列車グリーン車が400ポイントで利用できるので、それを使わない手は無いですね。小田原の時点では4号車の1階は私だけで平塚あたりから徐々に乗客は増えて、辻堂を発車した時点では空いてるのが6席だけ・・・。藤沢では私の隣も埋まって満席になりました。特急湘南もそうだけど平塚~大船間の所謂湘南エリアの需要が東海道線の有料着席サービスでは中心的存在なのでしょう。

私が乗る1524E列車は横浜でとうとう立ち客を出してしまいました。デッキは勿論、階段下の私が座る席の前まで人が立っています。最近はグリーン車で立ち客を出す光景を見てなかったので、「未だに需要は高いんだなぁ・・・」と思うのでした。川崎で3人が降りて入れ替わりで立ち客が座ると1階で立つ人は捌き切れました。品川で2人下車、新橋で11人下車、東京で8人が下車してグリーン車1階はスッキリとして宇都宮線へ入っていきます。大宮を過ぎると車内案内表示板に気掛かりな文章が・・・。東海道線の横浜駅で人身事故が起きたらしい。乗る列車がもっと遅いモノだったら確実に巻き込まれていただろうし危なかったですね。その後もひたすら人身事故の件が表示板で流れるも、列車はお構いなしで埼玉県、栃木県と終点に向かって突っ走ります。

終点宇都宮に到着。接続する列車はE131系3両の黒磯行だけど、これはどうやら終点で新白河方面に乗り継げるらしく18きっぱーで大混雑を起こしていました。これに乗れないと白河越えも1時間半後の列車まで待たされるし混むのも当然でしょう。後続の列車に乗って宇都宮以北を目指します。宇都宮線の末端部はE131系に統一されて、長い6両編成も昼間は車両を切り離したり小山車両センターへ回送されたりで走っていません。勿論私が乗るE131系も宇都宮で青森方3両を切り離し、3両編成にされてしまいました。車内は席が8割近く埋まる状態で宇都宮を発車。さっき見送ったモノに比べればかなり落ち着いた環境です。烏山線との分岐点である宝積寺を過ぎると車窓は田園風景に変わり、氏家や蒲須坂と停まる度に乗客は減る一方。東北への大動脈をトコトコ3両で走る列車は宇都宮から50分掛けて終点黒磯のホームに滑り込みます。

最近首都圏の郊外を走るローカル線で積極的に導入されているのがE131系。宇都宮線・日光線を走るのは600番台で寒冷地仕様になっています。そのため、先頭車には霜取りパンタとスノープロウが取り付けられ、床下はセラミック噴射装置を付けることで日光線で悩みの種になっている落ち葉による空転対策を果たしています。この10年で211系5両、205系4両、そしてE131系3両と減車減便を繰り返してきた宇都宮線末端部の駅である黒磯。兵どもが夢の跡とは言いませんが寂しくなりました。ここは東北の玄関口としての役割を持ち、駅構内の跨線橋も「鉄道版白河の関」と呼ばれるぐらいです。ご存知の通り、黒磯で電化方式は変わり青森方へ向かう列車は交流2万ボルトに対応した車両でなければ北には進めません。以前は駅構内の断路器を扱い架線を直流と交流で切り替える仕組みだったのが、施設の老朽化や機器の誤操作によって作業員が亡くなったりと問題が多発していました。

その対策として出した結論は、駅の青森方に新しくデッドセクションを設けて他路線と同じく走行中に直流と交流に切り替えるシステムを導入することでした。これに伴い黒磯まで来ていた交流専用車両であるE721系と701系は途中の新白河止まりに、交直両対応のE531系が黒磯~新白河間を引き継ぐ形になっています。東北本線って只でさえ宇都宮、黒磯、郡山、福島・・・と小まめに乗り換えるパターンが多いのにそこへ新白河が加わったワケです。こうした点も私が青春18きっぷで東北に向かう場合は常磐線を利用しがちな理由になります。

黒磯の改札口には昔懐かしきサボの山が・・・。これは当然115系のモノなんでしょうけど。90年代までは上野~黒磯間を直通する列車もそこそこ走っていたし、湘南新宿ラインが存在せず1時間に1本だけ宇都宮・高崎線からそれぞれ池袋行が走っていたのも過去の思い出です。ちなみに私も池袋行の快速ラビットなど乗っている世代、おっさんになってしまいました。当時は115系が7両や11両だったりで今みたいに日中でも15両が当たり前に走る状態ではなかったものの、ボックス席を独り占めしてMT54の唸り声を楽しむことはできました。池袋発着は懐かしいなぁ。ボックス席に私だけポツンと座って211系が池袋を空気を運ぶ様な形で発車していたのも今では信じられません。15分間隔で南北を縦断する現在と違って、日中は1時間に2本だけ存在するある意味レアな列車でしたからね。

気温33℃、避暑地とはとても思えない環境下で目的地まで歩きました。田舎道を歩き国道4号黒磯バイパスを横断して30分弱掛けて到着。那珂川温泉「皆幸乃湯」です。バスでもっと奥地の温泉に行きたかったけど鹿温泉などがある那須湯本まで片道1,000円掛かると知った時点でやめました。基本ケチな性格でそうした点から駅の徒歩圏内にあるここを選んだワケです。駐車場は大体「とちぎ」や「宇都宮」ナンバーの車ばかりで地元民を中心に利用されていることが分かります。早速と中へ入り受付で料金を払おうとしたら今日はなんとサービスデーらしく500円。普段平日700円だから200円得しましたね。受付の裏は食堂になっていてその光景はなんともレトロで味のあるモノです。脱衣所で20歳前後の若者の団体が大騒ぎしていたけど、風呂上がりらしく雰囲気をブチ壊される心配はありませんでした。温泉は屋内と露天風呂に分かれて利用客は老人だらけ。そりゃ平日の昼間ともなれば無理もないでしょうね。

温泉に入ると肌がスベスベになって「美肌の湯」と言われてるのも納得できます。神経痛や関節痛、疲労回復などにも効果があるようでこうした風呂ならいつでも利用したいですね。身体が温まってきたら屋内にある水風呂で冷やしたり、外のベンチに横たわったり・・・。30℃を超える猛暑にも関わらず、風呂上りに浴びる風は何とも気持ちが良いモノです。他に打たせ湯もあったので座り込んでゆっくり時間を潰します。どのぐらい温泉に浸かっていただろう。満足したら風呂上りにロビーで飲み物を買って火照った身体を冷ましました。ここで駅に戻ることも考えたものの、せっかく猛暑の中を歩いてきたんだからそれは勿体無い。受付から右手にまだ部屋があったから覗いてみると休憩室がありマッサージチェアなどがズラリと並んでいます。薄暗い部屋で音楽を聴きながら横になってると、やがてぐっすり寝てしまいました。1時間ぐらい昼寝して目が覚めると15時近くに・・・。そろそろ帰らないと普通列車で帰るとなれば家に着くのが21時を過ぎてしまいます。明日も仕事だから夜遅くまでブラブラしてられない。

真っ青な空に地平線から飛び出す入道雲・・・。夏真っ盛りですねぇ。途中のヨークベニマルでお土産を買い、皆さん信じられないと思いますが帰りも黒磯駅まで歩きました。汗はドバドバ出るし温泉に入った意味はここで無くなりました・・・と言いたいところだが、これもまた思い出の一つになるでしょう。黒磯は列車が宇都宮方面で1時間に2本、新白河方面は1時間に1本あるか無いかの頻度です。その合間に貨物列車が通り抜けるけど基本寂しい日常を送っています。貨物も機関車にEH500形金太郎を使った列車ばかりで昔みたいにEF65形やEF210形が来ることはありません。しかしまだ黒磯機関区は健在で貨物は側線に入り機関士と交代するために長時間停車します。もう駅構内で直流と交流を切り替えないが、この駅は貨物列車にとって重要なのは今も変わらないでしょう。ちなみに黒磯機関区は南だと新鶴見と隅田川、北は仙台まで乗務するみたいです。

帰路に着く前に駅スタンプをポチリ・・・。汗だくで紙が肌に少し触れるだけで濡れてしまいます。苦戦しながらも何とか綺麗に押すことができましたよ。帰りもE131系の3両で、こちらは新白河方面からの接続列車だったためゾロゾロと青春18きっぷを使ってるであろう旅行客が乗り込んできます。風貌ですぐに分かりますよね。その割には列車自体さほど混雑していることもなく、終始席が埋まる程度で終点の宇都宮に到着します。さてここで考えました。上野東京ラインを使う上でグリーン車に乗るか普通車に乗るか・・・。接続する列車は上野行で尚且つ10両編成でした。これだと久喜や蓮田付近では混雑しそうだと判断し、後続の上野東京ライン小田原行の15両で帰ることにしました。15両ならボックス席だと東京までは1人で占有できるし、東京から平塚ぐらいまで混雑を我慢すれば再びガラガラになるから普通車を選択します。案の定、今まで通り東京駅まで1人でボックスを独占し快適に過ごすことができました。東海道線品川~川崎間で踏切の安全確認があって10分近く遅延したけど小田原には21時過ぎに到着。往復495kmに及ぶ日帰り温泉旅行を無事に終えることができました。