番外 今回団体臨時列車にて実現、上下分離区間用キハ47-4509の16年ぶりの里帰り ㏌ 唐津駅 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

 

 昨年9月23日ダイヤ改正より、長崎線の肥前浜~諫早間などでは、上の画像・後述の画像の気動車が運行されておりまして、特にその区間では主力として運行されている姿を見る事ができております。

 

 その気動車は、いずれもキハ47形気動車でありまして、全部で10両が運行されておりますが、その(江北~)肥前浜~諫早間は、「上下分離区間」と呼ばれます、経営を地元自治体(佐賀県・長崎県)によりまして移行された区間でありまして、その区間、及び所属の関係上佐世保線の佐世保~早岐間、そして諫早~長崎間でも運行されております。

 

 これによりまして、肥前浜~長崎間が全区間非電化されておりまして、長崎線自体も電化されております区間は鳥栖~肥前浜間のみとなっております。

 

 

 さて、そのキハ47形気動車は全10両中2両を除きまして、8両が青色塗装を施されておりますが(他2両は「Choo Choo 西九州 TRAIN」、元は熊本地区や大分地区で使用されていた車両でありまして、これら地区に長崎地区で運行されておりましたキハ200系気動車の転属などによりまして余剰となった車でもありました。

 

 これらはその後廃車となるかと思いきや「再就職」を果たしておりまして、ご覧の皆様も驚かれた方もいらっしゃるのではないかと思います。これらには、ドア際に新たなステップがつけられましたり、トイレが和式から洋式に改装されましたが、それ以外の変化は見られておりません。

 

 (ドア際に新設されたステップ)

 

 (改装されたトイレ)

 

 

 さて、これら10両の中で、1両に関しましてかつての所属先に16年ぶりに里帰りを果たした車両がありました。今回は、この車をその里帰り先で収める事ができておりましたので、皆様にご紹介してまいります。

 

 

 その車が、キハ47-4509でありまして、去る7月16日に長崎方面からの団体臨時列車として16年ぶりに唐津線に入線、西唐津駅(唐津車両センター)まで運行されておりました。

 

 

 このキハ47-4509、他3509・3510・4510は、昭和54年に旧・新潟運転所(現・新潟車両センター)に新製配置しまして、弥彦線・越後線で運行されておりました(旧車番・キハ47 509・510・1509・1510)。この車には、耐雪ブレーキまで装備しておりまして、まさに豪雪地帯を運行していた事が伺わせておりました。

 

 

 しかし、これら路線の電化によりまして、余剰となった事もありまして、昭和60年に九州入り、所属先は唐津運転区(当時)に転属に至りまして、唐津線・筑肥線(山本~伊万里間)、そして現在は廃止されました佐賀線、現在は第3セクター化されました松浦線(現・松浦鉄道西九州線)、平成に入りましてからは長崎線(鳥栖~佐賀~久保田間)・久大線(鳥栖・久留米~由布院間)でも運行されておりました。

 

 

 そして、平成3年の筑肥線ワンマン化に先立ちまして、平成2年にワンマン改造、以来唐津線・筑肥線に限りまして運行されておりましたが、その後機関改造等でキハ47 9509→4509へ改番、平成19年に「500」がつく車両は唐津運輸区(当時)を離れまして、大分車両センター・熊本車両センターに転属しておりました。

 

 (キハ47-4509)~大分車両センター所属時

 

 

 けれども、令和3年にキハ200系気動車の転属によりまして余剰となりますが、その後青一色に塗装、そして現在の姿となりまして長崎線の「上下分離区間」を中心に運行されております。

 

 

 これら車は先述のように、耐寒・耐雪構造、台車も異なる車両でもあります。これらはいずれも「DT44A」と呼ばれる台車をはいておりまして、寒地用の台車である事から空気ばね式(エアサス)となっているのが特徴でありまして、耐雪ブレーキも付いておりますし、機関改造の際に1軸から2軸駆動に改造されているのも特徴でもあります。

 

 (キハ47-3509台車)

 

 

 さて、今回里帰りの姿を唐津駅で収めておりましたが、やはり唐津時代は上の画像のように白地に青ラインの「九州近郊塗装」でしたので、青地の姿に変わった姿は「上下分離区間」で活躍している事をも伺わせるほどでした。本当にこの姿からも一日だけであるとはいえ里帰りする事ができたんだと言う事がわかる姿ではないかとも思います。

 

 (後部より)

 

 もちろん、今回は団体臨時列車としての運行でしたので、手作りサボには「団 体」の表示が見られておりました。正直このような姿もあまり見られない訳ですので、こちらも貴重な姿であるともいえましょうか。

 

 

 尚、この車の伴車がキハ47-8135でありました。実はこのペアはこれまで収めていないペアでもありまして、それがこの里帰りの場で収める事ができた訳ですので、正直よかったなと思うほどでもありました。

 

 

 今回は、団体臨時列車として16年ぶりの唐津線里帰りを果たしましたキハ47-4509を中心にご紹介しましたが、昨年9月に同じ活躍の場でもあります佐賀県内に帰ってきまして、いつかは「500」のつく車両の団体臨時列車の姿を見たいなとも思っていた矢先での入線でしたので、その姿が見られて良かったと思っております。それにしても、離れてもう16年もの月日が経過していた事には驚きでしたが、それでも機関改造やエアサスの存在があったこそこうして残る事ができているのだろうかと思います。とにかく、今回1両が里帰りを果たしましたが、残り3両もまたいつか里帰りを果たしてほしいものであります。