(その1からの続き)
-西小坂井(7:20発)-愛知御津(8:15着・8:30発)-
豊橋駅から線路の南側を進み、豊川渡って西小坂井駅に着きました。
次の駅へ向かいます。
まずは駅前通りとおぼしき道を北へ。
戦後生まれの駅ですが、駅前通りの雰囲気はありますね。
県道に合流しました。
このあたりにも古い建物がちらほら残っていました。
そのまま西へ進んで、踏切を通過。
小さな川を渡りました。
早くも暑くなってきたので、
西小坂井駅から重ね着の上着を薄くしました。
さらに進むと、道が急カーブ。
どうやら橋の架け替えが行われていたみたい。
老朽化か何かで架け替えしてるんだろうけど、
こんなに急カーブ切らせたら、それはそれで危ないような…。
橋を渡ると道幅がさらに狭くなりました。
…なのに車は次から次に来て、危ないもなんも。
特に、見通しがあまりよくないカーブは恐怖だった。
旧東海道は名鉄線沿いを通っていますが、
この道も旧東海道じゃないかと思うくらい古い民家が続いていました。
どうやらこの道は旧東海道から分岐して、
蒲郡、西尾を経由して平坂へ向かう平坂街道らしい。
豊橋市や豊川市は薬味等に使用される大葉の一大産地。
東三河地域だけで全国生産量の半分以上を占めるそうです。
音羽川を渡りました。
信号待ちで車が止まると前に進めなくなるくらい道が狭かったのですが、
橋の部分だけは道幅がしっかり確保されてた。
右手に愛知御津(あいちみと)駅が見えてきました。
名古屋方面のホームを眺めると、
ジャージを着た十数人の女子中高生が電車を待っていました。
何かの大会に向かうのかな?
駅をいったん通り過ぎて、駅の西にある踏切を渡るところで
岐阜行きの普通列車が通過しました。
愛知御津駅に着きました。
快速以上の列車は通過する無人駅ですが、
御油駅と名乗っていた開業時は豊橋・蒲郡間唯一の途中駅でした。
駅前には車が数台止まっていました。
そして、車の近くにいる人がホームに向かって大声で何かを話していました。
ホームをよく見ると、先ほど電車を待っていた女子中高生が全員残っていました。
どういうわけか、さっきの電車には誰も乗らなかったみたい。
車近くにいた人は彼女たちの親御さんだったみたいで、
あきれた口調で車に乗るように指示していました。
どうやら本来行くべき目的地まで車に分乗して向かった模様。
ほんと、何が起こったんだろう?
そんなプチトラブルを横目にホームへ。
ホームは2面3線で、南側には側線も設けられています。
庇は駅舎および跨線橋近くの一部に設置されています。
少し休憩して次の駅へ。
駅のすぐ西を南北に貫く道は駅前商店街然とした雰囲気。
踏切を再び渡って線路の南側へ。
この先にはかつて港があったそうですが、
昭和らしい街並みが続いているのはその名残なのかな?
(その3へ続く)
西小坂井駅周辺のGPSログ(1/30,000)です。