NO.2886 熊本地震から7年、新たな駅舎も建設されています、JR・南阿蘇鉄道、立野駅構内探訪 | コウさんのコウ通大百科 PART3

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(平成24年1月〜平成30年3月の記事はPART2の内容です)

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 平成28年4月、熊本県内を中心に発生しました「熊本地震」では、熊本県内を中心に大変大きな被害を受けていた事はご覧の皆様もご存知の事ではなかったかと思います。

 

 この地震では、平成28年4月14日に前震が、2日後の4月16日に本震が発生しておりまして、これによりまして多くの被害・死傷者までも出てしまった事は、7年経過しました今でも忘れられない出来事ではなかったかと思っております。

 

 この中でも、南阿蘇村立野地区では阿蘇大橋が崩落しまして、通行しておりました学生さんがお亡くなりになられましたリ、国道57号線まで大きな被害を受けておりまして、熊本から阿蘇方面への交通路も一時寸断されていた事も記憶に残られている方もいらっしゃるのではないかとも思います。

 

 

 そして、JR豊肥線・南阿蘇鉄道におきましても大きな被害を受けておりまして、立野駅から赤水駅間におきまして崩落した所が見られておりましたリ、南阿蘇鉄道でも立野駅から中松駅間で被害を受けてもいまして、鉄道に関しましても断たれる事態が発生するに至っておりました。

 

 

 けれども、様々な方々の尽力もありまして、4年後の令和2年8月に豊肥線は以下画像のように運行再開に至っておりまして、以下画像のようにスイッチバックもあります立野駅ではキハ185系気動車「九州横断特急」やキハ183系気動車「あそぼーい!」、キハ40系気動車やキハ200系気動車の普通列車も運行されるようにもなっておりまして、明るい姿が見られるようになっております。

 

 (立野駅ホーム)~令和元年撮影、既にその時点で整備されていました

 

 (キハ185系気動車、「九州横断特急」)

 

 (キハ40系(キハ147形)気動車、肥後大津行き)

 

 また、画像1・2にもありますように、翌令和3年には新阿蘇大橋も開通しておりまして、その結果、熊本から阿蘇・南阿蘇方面への交通路もほぼ回復に至っている事がお分かりいただけます。

 

 

 その一方、同じく「熊本地震」で被災しました南阿蘇鉄道に関しましても復旧に向けた工事は進んでおりましたが、画像の立野駅に関しましては、令和元年撮影時には時が止まったような姿が見られておりまして、非常に寂しい姿が見られておりました。

 

 実際に、令和元年訪問時にはホームには雑草が生い茂っておりまして、そういった姿からも時が止まったかのような姿が見られておりました。この時点では既に中松~高森間で定期運行は行われておりましたので、いずれは全線再開へ至る事になる事は存じてはいた訳ですが、それでもこの時点ではいつになるのかはまだわかりませんでしたので、いつまでそういった姿が見られる事になるのだろうか?とも思った事が偲ばれる所でもあります。

 

 (高森方)

 

 (JR立野駅)

 

 

 尚、この駅舎はその後解体されておりまして、この後ご紹介しますように、新たな姿へと変貌する事にもなります(以下画像はいずれも令和3年撮影です)。

 

 (高森方)

 

 (熊本方)~奥の白い建物の所にが豊肥線ホームがあります

 

 

 そして、「熊本地震」から7年経過しました去る7月15日、ついに南阿蘇鉄道も全線運転再開へと至りました。私自身もこの全線運転再開を待ち望んでおりましたが、再開2日後の7月17日、この南阿蘇地区へと足を運びました。今回からはその南阿蘇編をご紹介してまいりますが、まずは新しくなりました立野駅の姿を皆様にご紹介してまいります。

 

 

 この立野駅は、JRと南阿蘇鉄道の共用駅となっておりまして、駅とともに地元の方の交流施設(「立野交流施設」)としての顔も見せておりまして、熊本県と南阿蘇村によりまして建てられております。

 

 この駅では、木もふんだんに使っておりまして、画像の階段や屋根部分では鉄骨も見られておりますが、天井部分では木材も使っている姿をも見る事ができておりまして、明るい駅舎へと様変わりしております。やはり、「阿蘇の玄関口」にふさわしい部分も伺えるのではないかとも思います。

 

 

 私自身、一か月前に膝の手術を行っておりましたので、足が痛い中ではありましたが、手すりを使いまして2階へと上がってまいりました。すると、画像のような姿が見られておりまして、まさに交流施設としての姿が見られております。尚、この施設は防災の拠点としての姿も見せるようにもなっておりまして、避難所的な役割も果たすようにもなるようでもあります。

 

 こちらは待合室であります。ここにもテーブル・イスを含めまして、周囲が木材に覆われている事がわかります。このような姿からもより明るい印象を得ているのではないかとも思います。ちなみに、ここにはWi-Fiも導入されておりまして、誰でも使用する事が可能となっております。

 

 (「くまモン」もあります、Wi-Fiのステッカー)

 

 

 駅舎内より、南阿蘇鉄道ホームを望みます。このホームには、後述のJR直通列車2本以外が停車するようになっておりますが、この姿からも、上の画像にありました令和元年・3年撮影時としますと大きく様変わりした事がお分かりいただけるのではないかと思います。実際に、この部分にも以前からホームがあった訳ではありますが、ホームも建て替えられておりますので、大変きれいになった事がわかります。

 

 一方、こちらはJR豊肥線からの連絡線の部分であります。かつて国鉄時代高森線と呼ばれていた頃には熊本駅から直通列車が運行されておりまして、左側の線路のみがつながっておりました。今回、JRとの乗り入れが行われるにあたりましては、立野駅が熊本方面・阿蘇方面と分かれていた事もありまして2本整備されておりまして、JR1番ホームに下り列車(肥後大津行き)が、JR2番ホームに上り列車(高森行き)が通るようになっております。

 

 (右側、1番ホーム(肥後大津・熊本方面) 左側、2番ホーム(阿蘇・高森方面))~高森方面はJR直通列車のみです

 

 また、南阿蘇鉄道に関しましては、熊本方にこれまでも存在しておりました留置線が再び設けられておりまして、後述のように最新鋭のMT-4000形気動車が入線を待つべく留置されている事がわかります。

 

 

 さて、ここからは1階へと進みます。今回の新駅舎では、画像のようにエレベーターも設けられておりまして、バリアフリーに特化した姿も見られております。先述のように、私自身膝の手術を行っていた事で階段の昇り降りがうまくできない事もありまして往復エレベーターを使用しましたが、やはりあるだけでも有り難い所ではあります・・・。

 

 こちらは階段であります。本来ならばこちらを利用する所ではありますが、今回は使用する事はありませんでした。今度来ました際には、こちらをスムーズに利用できればとは思っております・・・。

 

 

 さて、豊肥線のホームへとやってまいりました。先述のように、1番ホームが肥後大津・熊本方面、2番ホームが阿蘇・大分方面のホームではありますが、7月15日よりこのホームへも南阿蘇鉄道の車両が2往復乗り入れるようになっている事は明るい所ではないでしょうか。

 

 (左・2番ホーム、右・1番ホーム)

 

 (左・1番ホーム、右・2番ホーム)

 

 (2番ホーム・宮地行き入線時)~スイッチバックですので、この後向きを変える事にもなります

 

 そして、画像が南阿蘇鉄道へつなぐ線路であります。こちらは1番ホーム側ですので肥後大津行きの列車が入線する線路ではありますが、やはりこれまでも第3セクター化以降ありませんでしたJRとの直通列車が運行されると言うだけでも印象が違うのではないかとも思います。何と言いましても37年ぶりにもなる訳でもありますので。

 

 

 画像がJR側の時刻表です。時刻表には南阿蘇鉄道直通列車2往復分が追加されておりまして、肥後大津行きは6時59分・8時56分、高森行きが黄色で記されております7時47分・9時44分が該当します。尚、ご紹介しておりますように、それ以外の高森行きは南阿蘇鉄道ホームからの運行となりますので注意が必要であります。

 

 

 立野駅1番ホームから南阿蘇鉄道の留置線を望みます。ここには3本が設けられておりますが、手前1本が第3セクター後もつながっていた線路でありまして、これまでも甲種輸送や検測時等に通っていた線路でもありました。ちなみに、今回導入されました画像のMT-4000形気動車2両はトレーラーによりまして輸送されておりまして、それもシートまで完全にかぶせた状態での輸送でしたので、ほとんど気付かれずに輸送が行われておりました。

 

 (MT-4000形気動車、MT-4001号)

 

 この留置線のポイント転換は手動で行っておりまして、画像中央にありますように転轍機も設けられております。こうした面が自動になっていない事が伺わせる部分ではないかとも思います。

 

 この留置線のそばには、「復旧復興応援ありがとうございますと記されました看板が見られております。この看板は、令和に入りましてから設けられたものであったようですが、その令和5年間の間に、JR豊肥線、そして南阿蘇鉄道も全線開通(運行再開)へ至った訳ですので、尽力された方々の存在は忘れてはならないのではないでしょうか。

 

 

 さて、これから駅舎へと戻ります。先述のように正面では木材をふんだんに使っている事が伺わせておりましたが、JRホーム側から見ますと画像のような姿が見られておりまして、鉄骨の割合が高い事も伺わせております。

 

 ホームへ行く通りの所に見られます駅案内です。こうしてみますと11駅が見られるのがわかりますが、中でもかつては日本一かな文字数が多い駅でもありました南阿蘇水の生まれる里白水高原駅が2行にもわたっている分目立っている事がお分かりいただけるのではないでしょうか。

 

 

 ホームへとやってまいりました。ホームはこれまで通り1面1線となっております。ちなみに、1面1線ではありますがこのまま折り返さない列車も見られますので、その際には先述の留置線によりまして引き上げられまして、その間に別の列車によりまして折り返す姿も見られております。

 

 先程留置線にいましたMT-4001号の高森行きです。客扱いを行う場合は画像の場所から発着しておりますが、JR直通列車の場合は先述のJRホーム発着ですので、注意していただきたいと思います。この後私は、この画像を収めた後に立野橋梁が見られます立野ダム展望台へと「再び」移動(一度立野行き「ゆうすげ号」を収めていたため)、高森行きの姿を収めるに至りました。

 

 

 場所は変わりまして、立野駅から数百メートルの所にあります立野橋梁であります。南阿蘇鉄道で橋梁と言いますと、最も知られておりますのが第一白川橋梁でありますが、立野橋梁も後方に立野ダムの工事が行われている事や展望台がある事もありまして多くの方が撮影に来られております。

 

 (工事用のダンプカー)

 

 

 今回は、トロッコ列車「ゆうすげ号」の立野駅へ向かう姿と、先述のMT-4001号によります高森行きの姿を収めておりましたが、この立野橋梁も地上から高い位置にありますので、眺めはいいのではないかと思います。ちなみに「ゆうすげ号」はゆっくり走行する事もありまして、アップで収めやすいのがいいのではないかと思います。尚、この撮影後は食事に出向いておりましたので、折り返しの高森行き「ゆうすげ号」、そしてMT-4001号の立野行きは収める事はできませんでした

 

 (橋の中央部撮影)

 

 (橋の手前側撮影)

 

 

 そしてこちらは、先述のMT-4001号によります高森行きを収めたものであります。正直立野行きでしたらまだよかったですが、この日の行程を思えば致し方ない所ではありましたでしょうか。それでも後述の画像のようにアップした姿も収める事ができていたなど、橋を通過する部分を収めただけでもまだよかったとも思いますので。

 

 (アップ)

 

 (再び引きまして撮影)

 

 

 今回は、JR豊肥線・南阿蘇鉄道の駅でもあります立野駅の新しくなった姿をご紹介しましたが、正直ここまで変わる事ができていたため、この復旧により尽力されました方々の努力あっての所ではなかったでしょうか。そう言った事もありまして、ご紹介した立派な駅舎を建てる事ができた訳ですし、かつ南阿蘇鉄道も立派な車両の導入に至る事もできたのが良かったのではないかとも思いますので。ご紹介しておりますように、この「熊本地震」では特に被害が見られていた場所でもありましたので、これで全ての交通機関が開通・再開に至れた事も良かったとも思いますので、これからも様々な形での利用を望みたいものであります。