国鉄末期の累積赤字や組合員の不祥事などなにかとザワザワとした嫌な空気の中で、1981年初めに185系電車が登場したときは一服の風が吹いた感じがした。その理由はなんといってもあの塗装である。白地に緑の斜めストライプという従来の国鉄にはないデザインに対し、古くからのファンは厳しい見方をしていたようだが、僕はその斬新さに大いに共感した。しかし、153系置換用というのに特急用の180番台の形式名を名乗るのは何故だろうと思った。朝夕ラッシュ時には通勤通学用として運用するが日中は間合い運用として特急にも充当することから、特急である以上は180番台を名乗らなければならないということなのだろう。特急運用といっても現行の“あまぎ”に当てるのではなく、急行“伊豆”と特急“あまぎ”を統合して新たに設定する特急“踊り子”に当てるというのだから、手が込んでいるというか、理屈っぽいというか、いかにもお堅い国鉄らしい対応だと思った。その新しい特急“踊り子”はどんな絵入りマークになるのだろうと楽しみにしていたが、お菓子の小梅ちゃんそっくりでずっこけた。特急としての品格のかけらもないデザインだった。
↓清水谷戸トンネルを抜けて伊豆を目指す小梅ちゃんの“踊り子”(1983.12/東海道本線横浜ー戸塚)
↓先日線路に近づき過ぎてカシオペアを停めてしまった屑鉄3人組がいたが、昔はこんなものだった。この日はリバイバル特急“はと”が運転されることもあって、特に人出が多かった。時代と共に規範が厳しくなっていくことを肝に銘じなければならない。(1982.7/東海道本線横浜ー戸塚)
↓冬の日が傾きつつある頃太平洋を左に見ながら温泉地に向かう“踊り子”(1983.12/東海道本線早川ー根府川)
エクステリアはともかく実質は117系と変わらないのに、と思ったのも確かである。110番台は急行形ですらなく近郊形だ。急行形の形式名を名乗りながら、“ひびき”や“あまぎ”といった東海道筋の特急にも充当された157系という先例があるのだから、それに倣えばよい。番号の空きがないのであれば、157系1000番台を名乗ってもよいと思ったものだ。現に全く別の機関車なのに1000番台を名乗ったもの(EF641000)が185系の直前にデビューしたのだから、先例はあると言える。
また、屋根上の冷房装置が集中式に統一されていたことも通勤形・近郊形に寄っていると思った。特急形は分散式であってほしいところである。
とかなんとか言っても、特急用車両としては1972年の381系以来久しぶりの登場であり、関西にだけ投入された117系から遅れること2年、ようやく首都圏にも新鮮な車両がデビューしたことがうれしかった。
↓朝の普通列車に充当される185系(1981.11/東海道本線真鶴ー根府川)
↓早春の東海道を下って修善寺に向かう“踊り子”(1982.3/東海道本線函南ー三島)
↓“踊り子”は伊豆急線方面は10両だが、伊豆箱根線方面は5両。熱海で分割併合する。富士山をバックに修善寺発の“踊り子”が行く。木製架線柱健在の頃。(1981.12/東海道本線三島ー函南)
そんな185系に対し被写体として熱心に取り組んだかと問われると、そうではなかった。185系の主たる舞台である東海道本線にはブルートレインやEF58の牽く団臨・荷物列車という魅力的な被写体がひしめいていて、そちらをメインに撮影していたからである。そんなわけで、185系はやって来るとついでに撮るというスタンスであった。今もわずかに残る185系をシャカリキになって追いかけている若い鉄チャンには申し訳ない気もするが、正直にいってそんな感じだった。
185系はその後上野口用に耐寒耐雪装備等を施し、ごく一般的な緑帯の塗装をまとった200番台が登場したり、1990年代以降のリニューアル車両には変な塗装が施された。幸か不幸かリニューアル車両の方は本業が忙しく鉄チャンから遠ざかり気味であったこともあり、実見はしていない。
185系がいまなお臨時列車とはいえ運用についていることは驚きを禁じ得ない。今更185系の撮影に乗り出すことなどないが、どうか天寿を完うしてほしいと願うものである。
↓東北新幹線大宮暫定開業時に登場したリレー号に充当される200番台車。この日は上越新幹線開業を数日後に控え、廃止される列車を片っ端から捉える中でリレー号もついでに撮影した。(1982.11/東北新幹線浦和ー赤羽)
↓赤城国体開催に伴いお召列車が運転された日、沼田からのお召回送を撮るべく大勢のギャラリーが待ち構える中、露払いとして新特急“谷川”が利根川を渡る。(1983.10/上越線敷島ー渋川)
↓最後にお目にかける写真は大学鉄研の夏季合宿で日本車輌豊川蕨製作所を見学した際に撮影したもの。新製直後の185系で、公式試運転前のもの。“あまぎ”のヘッドマークを掲出していることに今回初めて気がついた。蛇足ながら画面右はワム80000。この時点でまだ製造が続けられていることに驚いた。(1981.7)