今となってはどの鉄道会社もやらない、趣味的にもアラフィフ以上でないと何が何だか解らない「アジ電」。

労働運動が盛んだった昭和ならではの鉄道伝説ですが、こうやって車両に落書きをすることで、当局に猛アピールしているわけです。でも利用者目線で言えば「ただ、汚いだけ」にしか映っていなかったようです。

 

弊愚ブログの国鉄コーナーでは、何回かこの「アジ電」を取り上げたことがありましたが、アジ電の “アジ” とは扇動(煽動)を意味するアジテーション(Agitation)のことで、労働運動だけでなく、学生運動でも各大学で活動家が組織や自身の考えや主張を大衆や学生に向けてアピールをしていました。

現代日本において煽動する行為は時と場合によって犯罪になります。

 

良くも悪くも、国鉄の代表的労働組合は国労(国鉄労働組合)と動労(国鉄動力車労働組合)があります。勿論、当局(使用者側)との対立は日常的で、話し合いで解決しなければストライキも辞さないなど、国労と動労は職場を掻き乱していました。

そしてもう一つ、国鉄には「鉄労」と呼ばれる組合がありました。世間的にはあまり知られた存在ではありませんが、画像にも鉄労を糾弾するアジテーションが殴り書きされているように、「鉄道労働組合」という組織が存在しました。

 

鉄労のルーツは新潟にあると言われ、当時の国労の活動方針に疑念を抱いていた国労新潟地方本部の一部の組合員が脱退し、新たな組織(国鉄新潟地方労働組合)を結成、この動きは全国的に広まり、反国労色を強めた上、さらに職能毎に労組を結成して、これを統括する国鉄職能別労組連合会(職能労連)が発足します。時に昭和34年のこと。その2年後には各地方労組を統括する国鉄地方労組総連合会(地方労連)が発足し、昭和37年にこの2つの組織が統合され、新国鉄労働組合が発足、昭和43年に鉄道労働組合と改称します。

 

国労・動労と鉄労の大きな違いは、国労と動労が当局と対決姿勢にあるのに対し、鉄労は「労使協調路線」。例えば、国労と動労によってストライキ遵法闘争が実行された場合、管理者の意向で鉄労組合員に駅業務や列車を運転させたりして、急場を凌いだりしました。この事から、国労や動労の組合員から「御用組合」「当局の飼い犬」と揶揄されたりしました。

前述のように鉄労の源流は新潟ですが、意外にも大阪で鉄労の組織率が高く、これは特に京阪神間において、私鉄との熾烈な競争があり、「国鉄がこの競争に乗り遅れたら、共倒れだ」と危機感を募らせた職員が多かった説があります。

 

昭和50年暮れに実施された伝説の「スト権スト」でも鉄労は「職務に就く」と当局に伝えますが、これを重く見た国労と動労は鉄労に対して鉄労組合員を職場に入れさせない行為(ピケッティング)を強行。彼方此方でロシアとウクライナも真っ青の「仁義なき軍事衝突」が繰り広げられます。さらに組合員の家族にまでその影響が及ぶことになり、国鉄の職場は戦場と化しました。

 

「回復不可能な大赤字」と「地方における政争の具」、そして「腐りきった職場」「収束の兆しが無い労使対立と労労対立」が主因で国鉄は一気に分割民営化への道を進むことになりますが、動労など一部の組合が民営化賛成へ舵を切ったので、JRへの採用はこの賛成派に多く優遇されるのは自然の理になりましょう。

 

民営化後も鉄労系と動労系で意見が対立するなどして、合流と離脱を繰り返しているのが現状で、正確に把握しないとどの組合がどうなっているのか判らないです。

現在、JRグループで最も組合員数が多いのはJR連合ですが、これが鉄労の流れを受け継いでいる格好になります。

 

画像ですが、昭和48年3月に撮影したものだそうです。

春闘時期になると、こういった「アジ電」が出没しますが、クハ153の前面を見ても判るように、アジテーションを殴り書きしたのは動労。田町電車区配置の電車なのに、殴り書きしたのは「フナ支部」で判るように大船電車区の組合員。これを消すのは当局の管理者ですが、田町電車区の役付職員は大迷惑を被ることになります。クハ153(クハ153-4)の次位にもアジテーションが書かれていますが、そこには「鉄労解体 反合」と記されています。「反合」はおそらく「反合理化」だと思います。

サボは見えにくいですが、静岡行きの普通列車。裏面に書かれている列車番号は「339M」と記されています。それを手がかりに列車を調べると、東京駅を17時51分に発車する列車だと判りました。静岡着は21時42分。

 

なお、この殴り書きですが、石灰を水で溶いたものを使用しています。だから、水で落とせば跡は残るけど、字は消えます。

たまに思うことがあります。

「やれるもんならEF58 61と1号御料車に(殴り書きを)やってみろ」

って。

 

 

【画像提供】

ラ様

【参考文献・引用】

時刻表1973年4月号 (日本国有鉄道 刊)

ウィキペディア(鉄道労働組合、アジテーション、ピケッティングなど)