陸羽線で東北横断 | 旅一郎のブログ

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国鉄(日本国有鉄道)が、最後の全盛期を迎えた昭和47年ー53年までをテーマにした、汽車旅のブログです。

旧型客車亡き後、日本の鉄道旅行は本当につまらなくなりました。そのため海外ネタも載せています。

当時の雰囲気を伝えるものは鉄道にかかわらずアップします


陸羽西線代行バスから所々に見える線路。

ここに限っては、24年度には運行再開が予定されているのでそこまでの悲壮感はない。


初めてバスから廃止路線を見たのは鹿児島交通の枕崎線だろう。


バスからみた赤錆びた線路が、列車は二度と来ないということを物語っていた。

駅名を見て「はっッ!」としました。

ここは昭和62年3月31日、国鉄最後の日、謝恩フリー切符を使って、急行きたぐにに接続する特急「いなほ」が積み残しとなり、急遽仕立てられたキハ58系6両編成の臨時急行「しらゆき」に乗って、混雑に辟易として余目から陸羽西線に乗り換え、交換待ちでホームに降りた駅だ!

長い説明でごめんなさい。

再び汽車が来る日まで!

定刻10:54に新庄到着。ここで2時間のインターバルがある。

ホームにいくと「秋田」という方向幕をつけたクロスシート車が止まっているのが見えた。

駅員に聞くと、本日は大曲止まりとの事。

最上公園

帰りに創業150年の蕎麦でも食べようと店に入ると、なんと満員で前に5名ほど待ち客がいました。

汽車の時間を考えると、忙しないので今回は諦めた。

快速ゆけむりが到着

その10分後14:48に陸羽東線列車が入線


 トイレは昨今まれにみる汚さ

奥羽本線が別れる

さて、炎天下ですしを。




なつやすみ