昭和50年代に登場しておりました代表的な近郊型電車であります117系電車は、旧国鉄時代京阪神や名古屋地区の中京圏内におきまして活躍していた電車でありまして、合計216両が導入されておりました。
これら地域では、いずれも「新快速」の愛称で、さらに東海地区では「東海ライナー」という愛称でも運行されていた電車でもありまして、運行区間の東海道線・山陽線を中心に、宮原運転所(現・網干車両所宮原支所)に所属しておりました関西地区ではさらに赤穂線や湖西線、東海地区でも所属の神領電車区(現・神領車両区)の存在もありまして、中央線でも活躍の場が見られておりました。
その後、昭和62年のJR化に伴いまして、JR西日本に144両が、JR東海では72両がそれぞれ承継されておりまして、引き続きそれら路線で活躍を続けておりました。
JR東海に関しましては、引き続き東海道線・中央線で活躍しておりましたが、313系電車などの導入に伴いまして廃車が見られるようになりまして、平成26年に残されておりました3編成の廃車に伴いまして全廃となっております。このうち1編成は窓や車体の一部を撤去しました「そよ風トレイン117」として改造されておりましたが、こちらも運行終了に伴い廃車となっておりますが、現在は名古屋市の「リニア鉄道館」におきまして以下画像のS1編成のうち、クハ117-30が屋内に展示されるのみとなっております。
(平成25年撮影、屋外展示時代)~後方2両は現在は解体されております
そして、JR西日本では平成元年より導入されました221系電車がが新たな「新快速」の車両として導入されましてからは、以降一部編成が福知山線など各地へ転属、また中間車が115系3500番台電車に改造されまして、岡山・広島地区に転属した車も見られるようになっておりまして、JR西日本の各地区の近郊区間におきまして、様々な姿を見せておりましたし、一部編成も引き続き「新快速」で活躍する姿も見られておりました。尚、福知山線に転属した車はロングシートを拡大したセミクロスシートの形に改造されておりました。
(福知山線用300番台)~下関転属時、カラーはそのまま
(車内)
それでも、福知山地区では207系電車の導入に伴いまして平成12年から徐々に撤退を開始、結果平成17年までに撤退しておりまして各地に転属しておりますし、「新快速」用として残りました車両も平成11年に運行終了、以降は引き続き京都地区・和歌山地区(紀勢線・和歌山線)、そして山陽線岡山地区・下関地区でも運行されておりました。
(京都地区・オリジナル塗装、B4編成)
(京都地区・緑一色、S編成)
こちらが下関地区の117系電車です。この運行はJR九州の415系電車の乗り入れ廃止に伴いまして運行されていたものでしたが、当初は上の画像のように福知山地区の塗装のままであった車あれば、オリジナル塗装の車も見られておりましたし、「黄色一色(末期色)」の車も見られておりました。私自身もこれまでも撮影・乗車しておりましたが、それほど関西で見られた車両が身近で見られていたのが懐かしい所でもあります。
(黄色一色、C105編成)
(オリジナル、C103編成)
(オリジナル車両、車内)
しかし、山口地区(下関総合車両所)も平成27年に撤退しまして、うち3編成が後述の岡山地区に、そして山口地区から2編成が転属しました和歌山地区(吹田総合車両所日根野支所新在家派出所)も平成31年3月の改正で撤退、そして京都地区(吹田総合車両所京都支所)も昨年まで運行する姿が見られておりましたが、残念ながら姿を消しております。
そして、7月21日まで運行する姿が見られておりましたのが岡山地区(岡山電車区)でありまして、関西地区から転属後、長らく岡山~福山間の快速「サンライナー」の専用車として運行されていた車両でもありましたが、令和4年の改正で廃止、そして新たな227系電車「Urara」が7月22日運行開始に伴いまして、117系電車の運行も観光用「WEST EXPRESS銀河」以外の運行が終了に至っております。
(下関駅内の垂れ幕より)
ここまで117系電車の現在までを簡単にご紹介しましたが、今回ここからは、平成25年訪問時に収めておりました、先述のように令和4年に廃止されました「サンライナー」としての117系電車の姿を中心に皆様にご紹介してまいります。
この快速「サンライナー」は、福山~岡山間に運行されていたものでありまして、10年前の時点でも福山~岡山間が10往復、笠岡→岡山間が上りのみ1本運行されておりまして、運行は朝・夕方~夜にかけての運行となっておりました。尚、以前は日中にもこの列車は運行されておりましたが、利用者減のため日中の運行は中止されておりまして、朝・夕方~夜の運行となっておりました。
その「サンライナー」の10年前の時点の停車駅は以下の通りでした・・・。
福山~笠岡~里圧(笠岡発のみ)~鴨方(福山発1本・笠岡発のみ)~金光(岡山発夕方一部及び福山発1本・笠岡発のみ)~新倉敷~倉敷~岡山
となっておりまして、岡山・倉敷・福山方面の足となっていたのがわかるのではないでしょうか。
この当時には、4両時でも画像のように「ワンマン」による運行も行っておりました。ただ、ドアの開閉等は運転士は行うものの、ドアの開閉は乗務員室のドア際にあります通常のドアスイッチを使用しておりまして、「運転士なのに車掌」みたいな姿も見る事もできておりました。尚、停車駅が全て有人駅であった事もありまして、運賃収受は行っておりませんでした。
ちなみに、以前は岡山~高松間で運行されておりました「マリンライナー」に使用されておりました213系電車もこの「サンライナー」に使用されておりました。これらはパノラマ型のグリーン車も連結しておりましたので、瀬戸大橋線で味わえる列車がこの福山地区でも見られていたなど、117系電車登場前はそういった変わった姿も見られておりました。
さて、その117系電車の岡山地区の車両は、10年前の時点で6編成24両が岡山電車区に所属しながら運行されておりました。これらは、冒頭ご紹介しましたように元は旧宮原運転所(現・網干総合車両所宮原支所)に所属しておりまして、「新快速」として使用されておりましたが、平成4年に岡山に移りまして、それら車両も画像のように「SUN LINER」とも書かれた白地に3色の専用塗装であります「サンライナー塗装」が、名称のように明るいような印象でもありました。
(E04編成・前面)
(側面)
(「SUN LINER」とかかれた車体)
しかし、そんな117系電車も山口地区と同様、黄色一色に塗り替えられた車両もあるなど、上の画像のような専用塗装の車両も徐々に減りつつあるのが現状でもありました。
(E05編成)
(E02編成)
この117系電車では、表示が種別の表示と行先表示と2分しておりました。実際に左側の「サンライナー」、そして「岡山」の行先と分かれていたのも見ていてわかります。
実際に、行先指令器の姿を画像のようにご紹介しますが、このように2つのダイヤルがあるのがわかります。これらは上部ににあるのが種別、下部にあるのが行先を表しておりまして、それぞれダイヤルの数も違うのもわかるのではないでしょうか。
さらに種別表・行先表も見てみますと、確かに行先は岡山地区を中心に出しておりますが、中には高松など四国の行先(25番~29番)や、下関行き(41番)も入っていた事がわかるのではないでしょうか。また、種別はコマは少ないですが、それでも急行(7番)も入っていたのもわかります。
(行先表)
(種別)
所で、10年前の時点では画像のように専用塗装同士の姿を収める事もできておりました。この時点ではE03編成・E04編成の姿を収めておりましたが、E03編成は平成27年に先述の下関からの3編成の転属に伴いましてE01・E02編成とともに廃車となりますし、E04編成はその後「黄色一色」に塗り替えられておりますので、このような姿を収めたのも最後となってしまった事が残念でなかったでしょうか。
この117系電車も、先述のように観光用として1編成は残っておりますが、営業用としては21日の運行で終了となりました。この岡山地区が最後となった訳ですが、冒頭でも述べましたようにこの117系電車自体とも各地でも活躍する姿が見られていたわけですので、しっかり足跡を刻んだことには間違いなかったでしょうか。
今回は、21日で営業運行が終了しました117系電車の現在までの概要、そして10年前に収めておりました岡山地区運行の姿をご紹介しましたが、かつて「新快速」として関西圏を運行していた電車が岡山地区で活躍する姿が見られていた訳ですし、「サンライナー塗装」自体ももう見られないのが懐かしい所ではないかと思います。それとともにその「サンライナー」という愛称・快速列車自体が見られない訳でもありますので、それだけ需要も減りつつあったのかなとも思ってならない所でもあります。とにかく、営業用として最後まで残りました岡山地区の117系電車に関しましてはお疲れ様と言いたいと思います。