1982(昭和57)年に広島都市圏で等間隔・高頻度運転をする「ひろしまシティ電車」に合わせてデビューした115系3000番台。当初はクリーム色に青帯の瀬戸内色でしたが、93年に新広島空港の開業を機に設定された快速列車に充当するため、「広島快速色」と呼ばれた塗色に変更しました。

 

 

瀬戸内色から広島快速色へイメージを一新した115系3000番台=富海—防府、2000年

 

 

 

この広島快速色は、白とグレーを基調に瀬戸内海の朝焼けをイメージしたという5色のグラデーションラインを入れた塗装で、瀬戸内色と比べると華やかな印象でした。

 

 

瀬戸内海の入り江沿いを走る広島快速色の115系3000番台。遠くからでは窓周りのグレーが目立ちました=戸田—富海、2005年

 

 

 

115系3000番台は、広島快速色に変わった頃は下関運転所から広島運転所に転属していて、広島地区のエースとして活躍していました。私も「青春18きっぷ」で東京方面から東海道・山陽本線を下っていると、よく岡山駅から乗りました。

 

一方で山口県内ではあまり見かけなくなった印象で、「3000番台はよその電車になっちゃったな…」と、ちょっと寂しい気持ちでした。

 

 

埴生—小月間を行く広島快速色の115系3000番台=2003年

 

 

 

その後、115系3000番台より少し古いものの乗降性に優れた3扉だった2000番台が新車のようにリニューアルされると、2扉で混雑に対応しにくかった3000番台は広島快速色のまま下関に戻ってきました。

 

しばらくは塗色を維持していましたが、順次更新工事が施工され、2008年ごろには見られなくなりました。

 

 

「3000番台=瀬戸内色」のイメージが強かったためか、広島快速色は個人的にはなじみが薄かったのですが、合理化を進めた近年の濃黄色の単色塗装を思うと、5色のグラデーションラインなどはとても凝っていてぜいたくな塗装でした。

 

 

 

 

※姉妹ブログでは、デビューした頃の115系3000番台と「ひろしまシティ電車」を振り返っています