機  番:86号機

新  製:昭和30年3月10日

製  造:東洋電機/汽車会社大阪

製造番号:汽車No.2696

新製配置:東京機関区

最終配置:高崎第二機関区

廃  車:昭和57年3月24日

 

【廃車時の形態】

パンタグラフ:PS15

前照灯:原型(ハチマキ状ケース無し)

尾灯:原型内バメ式

正面窓:小窓+Hゴム支持

Hゴム色:黒色

正面ヒサシ:大型

デフロスタ:あり

正面飾り帯継ぎ目:タイプ〈

列車電話:あり

電源車制御装置:なし

元空気ダメ引き通し管:なし

スノープラウ:固定式

ステップ:改造前端梁側面取り付けタイプ

汽笛カバー:大型

常磐線用列車無線:なし

乗務員ドア:原型

側面ハシゴ:改造切り欠きタイプ

側面エアフィルター:改造鎧戸タイプ

側面ナンバープレート:板状タイプ

暖房装置:EG

 

【改造履歴(抜粋)】

昭和30年12月 6日~:丙修繕(施工は浜松工場で同年12月12日に出場)

              電気式速度計の取り付け。

昭和32年 3月 7日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年3月15日に出場)

              特急用淡緑色に塗り替え。

              列車無線の取り付け。

昭和33年 3月26日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年3月29日に出場)

              前照灯の改造。

昭和33年 8月23日~:丙修繕(施工は鷹取工場で同年8月27日に出場)

              列車無線を取り外し。

昭和34年 7月 4日~:甲修繕(施工は鷹取工場で同年7月13日に出場)

              車警(A)の取り付け。

昭和40年 1月25日~:甲修繕(施工は大宮工場で同年2月3日に出場)

              デフロスタの取り付け。

              尾灯に円盤状標識板を取り付け。

              側面ハシゴを切り欠き式に改造。

昭和45年 2月13日~:臨時検修(施工は大宮工場で同年2月23日に出場)

              前面窓をHゴム支持に改造。

昭和47年 3月19日~:臨時検修(施工は大宮工場で同年5月2日に出場)

              暖房装置を電気暖房に改造。

昭和50年 6月19日~:要部検査(施工は大宮工場で同年6月27日に出場)

              ワイパーをWP50に取り替え。

 

【転配履歴】

昭和30年11月 2日:米原機関区

昭和31年 6月 7日:梅小路機関区に貸し出し

昭和31年 9月 5日:宮原機関区

昭和36年12月27日:東京機関区に貸し出し

昭和37年 1月30日:宮原機関区に返還

昭和37年 2月 1日:東京機関区

昭和38年10月 1日:高崎第二機関区

昭和41年 5月11日:宇都宮運転所に貸し出し

昭和41年 5月16日:高崎第二機関区に返還

昭和55年10月 6日:第一級休車に指定

 

 

大型の氷柱切りとスノープラウが厳めしい、如何にも「上越線用です」と言わんばかりの86号機は東洋電機と汽車会社(大阪)の手によるものですが、汽車会社製としては初めての前面小窓車になります。その前にも汽車会社で製造されていましたが、いずれも落成当初は大窓だったんですね。そしてもう一つ、86号機はEF58にとってエポックメイキングな事がありました。それはパンタグラフ。

EF58といえばPS14が代名詞で、後期になってPS15を装着するようになりますが、86号機はそのPS15を初めて装着した機関車として特筆されます。

新製配置こそ東京機関区ですが、これもその前の機関車同様に米原電化用として製造されたもの。事実、すぐに米原機関区へと送り込まれますが、その1年後には宮原機関区へと転配され、特急牽引機に抜擢。「青大将」と呼ばれる淡緑色に塗り替えられまして、「つばめ」や「はと」といった特急列車を牽引しました。

「つばめ」「はと」の電車化によって活躍の場を失った86号機は、古巣の東京機関区に戻った後、半年強で高崎第二機関区に転配、ここが終の棲家になります。ここで上越線向けに大型の氷柱切りや固定式スノープラウを取り付け、さらに電気暖房に改造されます。

宮原での華々しい活躍もありましたが、基本的には「東日本の機関車」と言えるかもしれません。

 

 

貴重な青大将時代の86号機。

宮原機関区でしょうか? ということは、昭和32年~35年の間に撮られたものと推察します。

実際に取り付けて営業運転したのか、ファンサービスで取り付けたのかは知らんけど、「かもめ」のヘッドマークもまた、貴重かもしれませんね。

【画像提供:ウ様】

 

 

特急牽引の任務を終えて、高崎第二に転配された86号機。

既に大型の氷柱切りやスノープラウ、尾灯に付いている円盤状標識板、そして側面ハシゴが切り欠き式になっているところから、昭和40年以降の撮影なんですが、この後に直流電機標準の青色+クリーム警戒色に塗り替えられているはずなので、ぶどう色はもしかすると貴重な記録かもしれません。

撮影は多分、東北本線の荒川橋梁かなと。

【画像提供:テ様】

 

 

晩年の86号機ですが、撮影時期と撮影場所は不明。高崎駅っぽくも見えます。

ただ、ヘッドマークにその手がかりが読み取れるのですが、「90」という数字以外、読み取りはこの段階では不可でした。

路線か、駅か、何かの90周年記念列車というのは想像出来ます。

【画像提供:タ様】